うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『日本海軍の終戦工作』纐纈厚 その2

 4 東条内閣打倒工作

 東条首班指名の理由は以下のとおり。

 

木戸幸一が、開戦首相を非皇族にすることで、皇族に責任が及ぶことを回避しようとした。

・東条が軍の強硬派を抑えることを期待した。

天皇が東条を信頼していた。

 

 ――……近衛は開戦後において一貫して軍部の戦争政策に批判的な立場を取り続けることになったのであり、その点で軍部に迎合しつつ開戦に傾斜し、開戦直後の予想外の戦果に喜びを隠さなかった天皇との違いを見せていた。

 

 大本営陸軍部第二十班『大本営機密日誌』より……「御上もご満足にて、ご決意ますます鞏固を加えられたるがごとく拝察せられたり」。

 

 国内においては東条体制の確立が進められた。

・「戦時犯罪処罰特例法」:左翼、在日朝鮮人の逮捕拘禁

・「戦時民事特別法

憲兵政治・東条憲兵

 

 戦局悪化と強権政治により、岡田啓介を中心に反東条運動がおこるが、木戸はこれを押しとどめた。

 

 ――東条のことをかれこれいうが一体わたしにどうせろというのか、……又現に御信任のある東条に対し辞めたらどうかと言うべき筋でもないし又わたしから陛下に東条を辞めさせられたがよろしうございますと申し上げる筋でもない。

 

 海軍内では、東条に追従する嶋田繁太郎への不満が強まっていた。

 東条内閣を倒しても、代わりがいないということが、運動の障壁だった。

 

 1944年になると、しびれを切らした木戸や各所から「東条利用論」が持ち上がる。

 

 ――……要するに戦局の悪化の原因や戦争責任を東条一身に集中させ、戦争の怨念が天皇や皇族に波及することを阻止することのほうが賢明だとする議論である。

 ――「自分は矢張り東条に最後まで責任を取らせるがよいと思う。悪くなったら皆東条が悪いのだ。すべて責任を東条にしょっかぶせるがよいと思うのだ。内閣が終わったら責任の趨勢がぼんやりして最後には皇室に責任が来るおそれがある。だから今度はあくまで東条にやらせるがよい」(東久邇宮の発言)。

 

 その後、木戸、近衛、皇族らの支配者内部の調整と、天皇の意識の変化が重なり、終戦工作に結び付いた。

・主戦派と宮中の分離

天皇の東条信任

天皇の権威の必要性

 

 5 終戦工作の真相

 小磯内閣は徹底抗戦、国体護持精神の覚醒、皇土護持を掲げる一方、極秘裏に戦争終結の道を探った。

 しかし、天皇は主戦派=梅津、阿南らの一撃論、徹底抗戦論に同調しており、国体護持を条件とする「聖断」を木戸・近衛らが説得するまでに時間を要した。

 

 ――いうまでもなく、「聖断」の目的は天皇制の維持=国体護持の一点であり、「下万民のため」と称したのは表向きのものに過ぎなかった。……これ以後日本政府は軍部の動向を警戒・牽制しつつ、連合国側とのあいだに「国体護持」の確証を得ようとした。そして、「国体護持」の一点だけのために二ヵ月以上の時間を費やすことになる。

 

 終章 海軍の戦争責任

 1945.8.12、米内光政は「原子爆弾ソ連の参戦は天祐だ」と発言している(「米内海相直話」)。

 戦争終結が国内の事情でなく外的要因であれば主戦派も納得し、また国内の権力機構も温存されるからである。

 米内は海相時代、参謀本部に反対し、近衛の日中交渉取りやめに同調したが、対米開戦については、海軍力不足として判断を回避した。

 また、海軍の対中国政策は陸軍と本質的に変わるものではなかった。

 

 終戦工作は、海軍、木戸ら宮中、天皇といった支配層が基盤を温存するために行われたと著者は結論づける。

 

日本海軍の終戦工作―アジア太平洋戦争の再検証 (中公新書)

日本海軍の終戦工作―アジア太平洋戦争の再検証 (中公新書)

 

 

『日本海軍の終戦工作』纐纈厚 その1

 海軍の政治的役割を再検討し、特に海軍への過大評価、善玉評価を見直す。

 

 ◆感想

 本書の要点は、日米開戦後から終結までの、責任回避の応酬である。
 「海軍善玉論」、「天皇に実権はなかった」、「海軍は初めから戦争に反対していた」といった説は、こうした責任回避工作の結果がいまも継続していることを意味する。

・海軍はアメリカを仮想敵国とする経緯上、対米開戦に消極的ではあったが明確に反対はしなかった。開戦前夜には判断を放棄し、近衛首相に一任した。

・対中政策においては陸軍と変わらず、満州事変に便乗し、上海では陸軍の慎重姿勢を押し切って派兵した。

・東条内閣打倒と終戦工作においては、宮中と連携し、自分たちの責任を回避することに努めた。

・「聖断」は天皇の徹底抗戦論を、周囲がなだめることで実現した。しかし、降伏の是非は天皇制の維持にかかっており、その確証がとれるかどうか議論している間に原爆が落とされた。

 

  ***

 序章 日本海軍の時局認識

 本書は高木惣吉海軍少将の資料(高木惣吉史料)を活用する。高木惣吉海軍大学校主席卒業後、教官や海軍省調査課長、海軍省教育局長などを務めた。

 高木惣吉の時局認識は、海軍の一般的な認識を示すものである。

 

・時勢は英米自由主義から、独伊の新体制に傾きつつある。議会政治ももはや古い勢力に過ぎない。

・浜口内閣の軍縮は否定する。

・陸軍の満州事変が成功したため、海軍も中国においてプレゼンスを示さなければならない。

・1932年第1次上海事変では、海軍が積極的に侵略主義を掲げた。

・1937年盧溝橋事件では静観していたが、第2次上海事変では陸戦隊の出兵と渡洋爆撃を開始し、不拡大方針を捨てた。当時のスタッフは穏健派と呼ばれる者たち……米内光政海相山本五十六次官、豊田副武軍務局長、伏見宮博恭軍令部総長嶋田繁太郎軍令部次長、近藤信竹第1班長だった。

 

 ――彼らは、それなりの合理性を重んじはしたが、海軍の利益拡大の機会と見るや、陸軍以上の侵略性を露骨に見せるグループでもあった。

 

 この時点で、太平洋での権益をめぐって英米と衝突が不可避であると海軍首脳は考えていた。

 

 1 欧州情勢の変化と海軍

 日中戦争開始後の海軍の情勢認識の変遷について。

 海軍が、まったく独自に世界情勢の分析と、日本の外交方針の検討をしているというのが面白い。同じことを陸軍も独自でやっていたということだろう。

 両手がばらばらに動いているような国家をコントロールするのは不可能である。

 

 当初海軍は、陸軍の推進する対ソ戦準備、中国完全制圧、三国同盟締結には反対していた。

 海軍は、対ソ戦を回避し、中国を制圧次第大陸進出をやめ、海洋における東亜新秩序建設のために海軍力を増強すべきと考えた。

 やがて、枢軸同盟を強化し英米に対抗するという陸軍とほぼ融合した方針に変化した。

 

 2 日米開戦の前提

 海軍は最後まで対英米戦に反対していたわけではない。対英米戦に消極的ではあったが、海軍の役割拡大に際し不可避だろうと判断したに過ぎない。

 

 ――……海軍は、むしろ独自のスタンスを確立することに懸命であり、同時にドイツの新国際秩序形成への動きを肯定的にとらえ、自らの役割期待を積極的に見出そうとしていた。

 

 1941年の御前会議までには、このまま制裁により窮乏する前に対米開戦すべきとする考えが海軍の見解となった。

 

 ――早期に開戦決意を固め、積極的な戦争発動こそが勝機をつかむ最大の要件とする高木の主張は、永野軍令部総長はじめ、海軍首脳たちの見解を補強するものだった。この主張の背景には、海軍が政局に左右されず、対陸軍との関係において主導権を発揮したいとする強い願望があった。

 

 陸海軍の戦争能力に不安を抱き、判断できずに迷っていた近衛首相は、海軍の意見を参考に対米開戦に傾いていった。

 

 3 日米交渉の展開

 御前会議に先立ち、天皇も永野のジリ貧開戦論に納得した。

 陸海軍は日米交渉を単なる時間稼ぎとしか見ていなかったが、世論は交渉に期待し、株価が高騰した。

 開戦が間近にせまると、海軍は開戦の回避判断を放棄し、「首相一任」とした。この理由は、開戦責任を回避するか、または海軍内で意見が一致しなかったためと思われる。

 設立以来、アメリカを仮想敵国としてきた海軍が、自ら開戦回避を主張することは自滅につながると首脳は判断した。

 

[つづく]

日本海軍の終戦工作―アジア太平洋戦争の再検証 (中公新書)

日本海軍の終戦工作―アジア太平洋戦争の再検証 (中公新書)

 

 

『アフリカ大陸探検史』アンヌ・ユゴン

 ◆メモ

 主に19世紀のアフリカ探検をたどる。

 探検家たちの多くは偏見や白人至上主義の持ち主だったが、リヴィングストンやメアリ・キングズリー等、当時の基準からすれば公平な視点を持つ者もいた。

 アフリカ探検は文明化の象徴として本国でもてはやされ、やがて帝国主義の先駆とされた。

 本書には探検家の写真や、アフリカのスケッチ、文物のカラー写真が多く含まれている。

 "Scramble for Africa"で言及されていた、冷酷で異常なドイツの探検家カール・ペータースKarl Petersについては記載がない。

 

  ***

 1 未知の世界

 19世紀のヨーロッパ人にとって、アフリカは未知の世界だった。かれらの知識は沿岸部に限られており、また奴隷貿易は栄えていたが、内陸に入りこむ必要はなかった。

 18世紀、啓蒙主義の時代に、奴隷貿易の廃止とともにアフリカへの伝道、探検の動きがおこった。。

 カトリックプロテスタントの各国は盛んに伝道師を派遣した。同時に、商業的な理由からの探検(天然資源や、市場)も増加した。

 ナイルの源流は、ヨーロッパ人にとって、地中海の成り立ちを知るという意味を持っていた。また、アフリカ大陸の赤道上には、雪山があるという伝説があった。

 

 1880年以降は、軍人が中心となり、探検は植民地化と同義となっていった。

 

 フランス語のCを用いてアフリカ探検の歴史を表現する。

・Curiosite好奇心

・Civilisation文明化

・Christianisationキリスト教

・Commerce商業

・Colonisation植民地化

 

 2 ナイルの水源を求めて

 18世紀末から、ナイルの水源地を求めてイギリス人、フランス人、エジプト人らが探検した。ナイル川は途中でスーダンの湿地帯に吸い込まれるため、その先をさかのぼるのは困難だった。

 

 1850年代、イギリスは軍に対しナイル川水源への探検を命じた。

 英軍人のバートンとスピークはナイル源流を探し、1856年、ヴィクトリア湖を発見した。しかし、ヴィクトリア湖は水源ではなく、湖に流れ込む複数の湖や河が水源だった。

 サミュエル・ベーカーはバートンらに続きナイル水源発見の旅に出て、アルバート湖を発見した。かれは西洋文明主義者であり、アフリカの部族を軽蔑していた。

 探検家は、西洋文明の伝道者としての役割も担っていたが、かれらの多くは、自分たちの窮屈な社会からはみ出した者が多かった。

 

 3 リヴィングストンの伝道の旅

 19世紀、南アフリカにはボーア人とイギリス人が住んでいた。1849年ごろから、宣教師だったリヴィングストンはケープ植民地から北上する探検を開始した。

 リヴィングストンはアフリカを横断し、本国では英雄として迎えられた。

 イギリスは奴隷貿易の廃止政策を掲げていたが、アラブ商人、中央アフリカ部族、ポルトガル人らによる貿易は継続していた。リヴィングストンの報告は、奴隷貿易廃止を願う人びとにも刺激を与えた。

 1871年、ウジジ村で静養していたリヴィングストンを、特派員のヘンリー・モートン・スタンリーが発見する。

 リヴィングストンは、伝道者、文明の使者として、ヨーロッパにおいて伝説化された。

 

 4 大森林の中で

 リヴィングストンの死後、探検はヨーロッパの植民地化と一体化していった。

 1870年代には、コンゴ川流域、ルアラバ川流域が探検領域となった。英海軍人カメロンや、アメリカ人スタンリーがこの地を探検した。

 その後、スタンリーはベルギー王レオポルド2世の支援を受け、悪名高いコンゴ自由国の設立に貢献した。

 フランスもコンゴ川地域の植民地化に乗り出し、サヴォルニャン・ド・ブラザを派遣した。

 メアリ・キングズリーはアフリカ探検によって魚類や民族を調査し、やがてスタンリー、キプリング、植民地相チェンバレン等と親交を深めた。

 

 5 探検家という職業

 探検家の荷物……

・医薬品、蚊帳、シーツ、マットレス、毛布、テント

・食糧、調味料

・舟、大工道具、測量道具、通行料用の品物

・銃、弾薬

・荷役人夫:アフリカ人は、見知らぬ土地の探検に関心を持ち、こぞって応募した。

 

  ***

 アフリカの万年雪……キリマンジャロ、ルウェンゾリ、ケニア

 ザンジバル……タンザニア沿岸の島。19世紀、奴隷貿易の中心地として経済発展した。

 マルシャン海軍大佐……1896年、フランスの横断政策に従い、西アフリカからナイル上流に向かった。1898年、ファショダでキッチナー率いる英軍と対峙した(ファショダ事件)。

 

アフリカ大陸探検史 (「知の再発見」双書 (29))

アフリカ大陸探検史 (「知の再発見」双書 (29))

 

 

図書案内:日本と歴史

日本史に関する本のメモをリストにしました。

基本的な文献を読んでおくことの重要性を実感します。

なぜなら歴史は人間の世界観をつくるもので、物の見方・方針に大きく影響するからです。虚偽に基づいた世界観は、人を誤った選択・判断に導きます。

自分の価値観を補強するためだけに本を読みがちになってしまいますが、それではやがて認識と事実が離れていきます。

書かれていることが事実や史料に基づいているのか、根拠があるのかを判断する能力を養いたいと考えています。

しかし、どうしても変えられない根本的な思考はあります。

 

古代

『古代国家の成立』直木孝次郎 その1 - うちゅうてきなとりで

『古代国家の成立』直木孝次郎 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『蝦夷と東北戦争』鈴木拓也 - うちゅうてきなとりで


 

中世

『足利尊氏』高柳光寿 - うちゅうてきなとりで

 

『南北朝の動乱』佐藤進一 - うちゅうてきなとりで

 

『下克上の時代』永原慶二 - うちゅうてきなとりで

 

『信長の戦争』藤本正行 - うちゅうてきなとりで

 

『一向一揆と石山合戦』神田千里 - うちゅうてきなとりで


 

『関ヶ原合戦と大坂の陣』笠谷和比古 - うちゅうてきなとりで

 

『信長の天下布武への道』谷口克広 - うちゅうてきなとりで

 

『百姓から見た戦国大名』黒田基樹 - うちゅうてきなとりで

 

『信長の親衛隊』谷口克広 - うちゅうてきなとりで

 

『信長軍の司令官』谷口克広 - うちゅうてきなとりで

 

『毛利元就のすべて』 - うちゅうてきなとりで
 

『北条早雲とその一族』黒田基樹 - うちゅうてきなとりで

 

 

近世

『江戸開府』辻達也 - うちゅうてきなとりで

 

『元禄時代』児玉幸多 その1 - うちゅうてきなとりで

『元禄時代』児玉幸多 その2 - うちゅうてきなとりで
 

『身分差別社会の真実』斎藤洋一 大石慎三郎 - うちゅうてきなとりで

 

『かたき討ち』氏家幹人 - うちゅうてきなとりで

 

『島原の乱』神田千里 - うちゅうてきなとりで


 

『現人神の創作者たち』山本七平 - うちゅうてきなとりで

 

『幕末の天皇』藤田覚 その1 - うちゅうてきなとりで

『幕末の天皇』藤田覚 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『大江戸死体考』氏家幹人 - うちゅうてきなとりで

 

『江戸の刑罰』石井良助 その1 - うちゅうてきなとりで

『江戸の刑罰』石井良助 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『江戸時代の罪と罰』氏家幹人 ――治安があまりよくない - うちゅうてきなとりで

 

『幕末百話』篠田鉱造 ――明治維新の現場の声 - うちゅうてきなとりで

 

『弾左衛門とその時代』塩見鮮一郎 ――江戸から明治にかけてのえた頭と被差別民の歴史 - うちゅうてきなとりで

 

『弾左衛門と江戸の被差別民』浦本誉至史 ――被差別民統治の歴史 - うちゅうてきなとりで

 

近代

『近現代日本を史料で読む』御厨貴 - うちゅうてきなとりで

 

『未完の明治維新』坂野潤治 - うちゅうてきなとりで

 

『韓国併合』海野福寿 ――植民地政策の時代 - うちゅうてきなとりで


 

『神々の明治維新』安丸良夫 - うちゅうてきなとりで

 

『戊辰戦争』佐々木克 - うちゅうてきなとりで


 

『特高警察』荻野富士夫 その1 - うちゅうてきなとりで

『特高警察』荻野富士夫 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『治安維持法』中澤俊輔 その1 - うちゅうてきなとりで

『治安維持法』中澤俊輔 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『日本の軍隊―兵士たちの近代史』吉田裕 - うちゅうてきなとりで

 

『海軍と日本』池田清 - うちゅうてきなとりで

 

『シベリア出兵』麻田雅文 その1 - うちゅうてきなとりで

『シベリア出兵』麻田雅文 その2 - うちゅうてきなとりで

 

 

『キメラ―満州国の肖像』山室信一 その1 - うちゅうてきなとりで

『キメラ―満州国の肖像』山室信一 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『わが半生』溥儀 その1――宮殿の異常な人びとと、そこにたかる人びと - うちゅうてきなとりで

『わが半生』溥儀 その2――宮殿の異常な人びとと、そこにたかる人びと - うちゅうてきなとりで

『わが半生』溥儀 その3――宮殿の異常な人びとと、そこにたかる人びと - うちゅうてきなとりで

 

『関東軍』島田俊彦 - うちゅうてきなとりで

 

『陸軍中野学校』加藤正夫 - うちゅうてきなとりで

 

『五・一五事件』保阪正康 - うちゅうてきなとりで

 

『Japan's Total Empire』Louise Young - うちゅうてきなとりで

 

 

『未完のファシズム』片山杜秀 その1 ――日本軍の精神主義の起源 - うちゅうてきなとりで

『未完のファシズム』片山杜秀 その2 ――日本軍の精神主義の起源 - うちゅうてきなとりで

 

『日中十五年戦争史』大杉一雄 - うちゅうてきなとりで


 

『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ』小林英夫 - うちゅうてきなとりで

 

『日中アヘン戦争』江口圭一 その1 - うちゅうてきなとりで

『日中アヘン戦争』江口圭一 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『細川日記』細川護貞 その1 - うちゅうてきなとりで

『細川日記』細川護貞 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『地獄の日本兵』飯田進 - うちゅうてきなとりで

 

『従軍慰安婦』吉見義明 - うちゅうてきなとりで

 

『「慰安婦」問題とは何だったのか』大沼保昭 - うちゅうてきなとりで


 

『大本営参謀の情報戦記』堀栄三 - うちゅうてきなとりで

 

『憲兵』大谷敬二郎 - うちゅうてきなとりで


 

『憲兵物語』森本賢吉 その1 - うちゅうてきなとりで

『憲兵物語』森本賢吉 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『ガダルカナル戦記』亀井宏 - うちゅうてきなとりで

 

『アーロン収容所』会田雄次 - うちゅうてきなとりで


 

『宇垣一成』渡辺行男 - うちゅうてきなとりで

 

『陸軍登戸研究所の真実』伴繁雄 その1 - うちゅうてきなとりで

『陸軍登戸研究所の真実』伴繁雄 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『謀略戦 陸軍登戸研究所』斎藤充功 - うちゅうてきなとりで

 

『インパール』高木俊郎 - うちゅうてきなとりで


 

『東京裁判』日暮吉延 - うちゅうてきなとりで

 

『日本の近代5 政党から軍部へ』北岡伸一 - うちゅうてきなとりで

 

『日本の近代6 戦争・占領・講和』五百旗頭真 - うちゅうてきなとりで

 

『日本の近代9 逆説の軍隊』戸部良一 - うちゅうてきなとりで

 

『昭和天皇』古川隆久 - うちゅうてきなとりで

 

『陸軍特攻振武寮』林えいだい - うちゅうてきなとりで

 

 

『今日われ生きてあり』神坂次郎 - うちゅうてきなとりで

 

『日本海軍の終戦工作』纐纈厚 その1 - うちゅうてきなとりで

『日本海軍の終戦工作』纐纈厚 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『南京事件』笠原十九司 - うちゅうてきなとりで

 

『日本軍と日本兵』一ノ瀬俊也 - うちゅうてきなとりで

 

『私の中の日本軍』山本七平 - うちゅうてきなとりで


 

『一下級将校の見た帝国陸軍』山本七平 - うちゅうてきなとりで


 

『ある異常体験者の偏見』山本七平 - うちゅうてきなとりで

 

『レイテ戦記』大岡昇平 その1 - うちゅうてきなとりで

『レイテ戦記』大岡昇平 その2 - うちゅうてきなとりで

『レイテ戦記』大岡昇平 その3 - うちゅうてきなとりで

 

『十七歳の硫黄島』秋草鶴次 - うちゅうてきなとりで

 

『英雄なき島』久山忍 ――硫黄島の戦いと名将の実態 - うちゅうてきなとりで

 

 

『沖縄決戦』八原博通 その1 - うちゅうてきなとりで

 

『沖縄決戦』八原博通 その2 - うちゅうてきなとりで

 

 

『僕は少年ゲリラ兵だった:陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊』NHKスペシャル取材班 ――我が国の少年兵政策 - うちゅうてきなとりで

 

 

『海上護衛戦』大井篤 - うちゅうてきなとりで


 

『禅と戦争』ブライアン・アンドルー・ヴィクトリア - うちゅうてきなとりで

 

『瀬島龍三』保阪正康 - うちゅうてきなとりで

 

『昭和天皇の終戦史』吉田裕 その1 - うちゅうてきなとりで

『昭和天皇の終戦史』吉田裕 その2 - うちゅうてきなとりで

 

『大元帥・昭和天皇』山田朗 その1 ――最高指揮官の行動をたどる - うちゅうてきなとりで

『大元帥・昭和天皇』山田朗 その2 ――最高指揮官の行動をたどる - うちゅうてきなとりで


 

『昭和天皇独白録』寺崎英成 - うちゅうてきなとりで

 

『スターリンの対日情報工作』三宅正樹 - うちゅうてきなとりで

 

『暗号を盗んだ男たち』桧山良昭 - うちゅうてきなとりで


 

『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』戸部良一 - うちゅうてきなとりで

 

『宮中からみる日本近代史』茶谷誠一 - うちゅうてきなとりで

 

 

『特攻』森本忠夫 その1 - うちゅうてきなとりで

『特攻』森本忠夫 その2 - うちゅうてきなとりで

 

 

『海軍伏龍特攻隊』門奈鷹一郎 ――やる前にだれか止めなかったのか - うちゅうてきなとりで

 

『本土決戦』土門周平 ――ひのきのぼうや石のオノで米軍を迎え撃つ - うちゅうてきなとりで

 

 

『毒ガス戦と日本軍』吉見義明 その1 ――日本軍はどのように化学兵器を使ったか - うちゅうてきなとりで

『毒ガス戦と日本軍』吉見義明 その2 ――日本軍はどのように化学兵器を使ったか - うちゅうてきなとりで

 

 

『大本営報道部』平櫛孝 ――大本営発表の内側 - うちゅうてきなとりで

 

 

『太平洋戦争と新聞』前坂俊之 その1 ――マスメディアと権力との癒着 - うちゅうてきなとりで

『太平洋戦争と新聞』前坂俊之 その2 ――マスメディアと権力との癒着 - うちゅうてきなとりで

 

『餓死(うえじに)した英霊たち』藤原彰 その1 ――日本軍の餓死に関する概説書 - うちゅうてきなとりで

『餓死(うえじに)した英霊たち』藤原彰 その2 ――日本軍の餓死に関する概説書 - うちゅうてきなとりで

 

『忘れられた島々』井上亮 ――南洋諸島と日本の歴史 - うちゅうてきなとりで

 

『日本奥地紀行』イザベラ・バード ――残っていないようで残っている日本の風景 - うちゅうてきなとりで

 

『真珠湾収容所の捕虜たち』オーテス・ケーリ ――アメリカの傘の下で - うちゅうてきなとりで

 

『思想検事』萩野富士夫 ――人間の思考をとりしまる国/特高と思想検事の連携 - うちゅうてきなとりで

 

『日本海軍の戦略発想』千早正隆 ――「アメリカには、物量だけでなく、組織力・精神力でも負けた」 - うちゅうてきなとりで

 

『日本陸軍と中国』戸部良一 ――陸軍の中国通が見落としていた要素 - うちゅうてきなとりで

 

『徴兵制』大江志乃夫 その1 ――徴兵制の歴史をたどる - うちゅうてきなとりで

『徴兵制』大江志乃夫 その2 ――徴兵制の歴史をたどる - うちゅうてきなとりで

 

 

『戦争の記憶 ――日本人とドイツ人』イアン・ブルマ その1 ――中東欧の子供に殴られた東ドイツの子供 - うちゅうてきなとりで

『戦争の記憶 ――日本人とドイツ人』イアン・ブルマ その2 ――中東欧の子供に殴られた東ドイツの子供 - うちゅうてきなとりで

 

『初めて人を殺す』井上俊夫 ――ある日本兵の回想 - うちゅうてきなとりで

 

現代

 

『日本の統治構造』飯尾潤 - うちゅうてきなとりで

 

『CIAと戦後日本』有馬哲夫 - うちゅうてきなとりで

 

『児玉誉士夫』有馬哲夫 ――外交のもう1つの顔 - うちゅうてきなとりで

 

『水俣病』原田正純 - うちゅうてきなとりで

 

『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』 ――経緯と現状 - うちゅうてきなとりで


 

『ミグ25事件の真相』大小田八尋 - うちゅうてきなとりで

 

『プリンセス・マサコ』ベン・ヒルズ その1 - うちゅうてきなとりで

『プリンセス・マサコ』ベン・ヒルズ その2 - うちゅうてきなとりで

 

 

その他 テーマ別

『歴史人口学で見た日本』速水融 - うちゅうてきなとりで


 

『人口から読む日本の歴史』鬼頭宏 - うちゅうてきなとりで

 

『動物たちの日本史』中村禎里 - うちゅうてきなとりで

 

『茶道の歴史』桑田忠親 - うちゅうてきなとりで

 

『茶道の美学』田中仙翁 - うちゅうてきなとりで

 

『漢字伝来』大島正二 - うちゅうてきなとりで

 

『日本語の歴史』山口仲美 - うちゅうてきなとりで

 

『ひらがなでよめばわかる日本語』中西進 - うちゅうてきなとりで

 

『禅と日本文化』鈴木大拙 - うちゅうてきなとりで


 

『在日朝鮮人 歴史と現在』水野直樹、文京洙 - うちゅうてきなとりで

 

『靖国参拝の何が問題か』内田雅敏 - うちゅうてきなとりで

 

『国家神道と日本人』島薗進 ――「神社は宗教にあらず」戦前には宗教ではなかった神道の話 - うちゅうてきなとりで


 

『はじめての部落問題』角岡伸彦 - うちゅうてきなとりで

 

『ふしぎな部落問題』角岡伸彦 - うちゅうてきなとりで

 

『近代の奈落』宮崎学 - うちゅうてきなとりで


 

『田中清玄自伝』 - うちゅうてきなとりで

 

『過激派事件簿40年史』 - うちゅうてきなとりで

 

『公安警察の手口』鈴木邦男 - うちゅうてきなとりで


 

『城郭の見方・調べ方ハンドブック』西ヶ谷恭弘 - うちゅうてきなとりで

 

 

『天皇家の財布』森暢平 ――三種の神器は非課税かつ売買不可の私的財産 - うちゅうてきなとりで

 

『日本残酷物語 1』その1 ――飢饉から生まれた人食い女 - うちゅうてきなとりで

『日本残酷物語 1』その2 ――飢饉から生まれた人食い女 - うちゅうてきなとりで

 

『日本残酷物語 2』その1 ――ブラックとしか言えない昔の生活 - うちゅうてきなとりで

『日本残酷物語2』 その2 ――ブラックとしか言えない昔の生活 - うちゅうてきなとりで

 

『日本残酷物語3』 ――DIVIDE AND RULE - うちゅうてきなとりで

 

『歌舞伎の歴史』今尾哲也 ――傾奇者、アウトローたちの話 - うちゅうてきなとりで