うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『地獄の日本兵』飯田進

 著者はニューギニア島に派遣され、終戦後、オランダ軍によってBC級戦犯として訴追され懲役20年の刑を受けた。

 本書は、日本兵の最大の死因である餓死を軸として、若者たちが被った悲惨な従軍の様子を伝えるものである。

 国家と軍隊に裏切られた若者の怒りが、凄惨な戦場体験を通して伝わってくる本である。

 

 1

 著者は興亜青年として、アジアの復興の志を抱き、ニューギニア海軍民政府に調査局員として雇われた。ニューギニア島は海軍が軍政を敷いており、著者は地理情報などを集める職員として昭和18年に派遣された。

 ニューギニアでは山脈の調査や人食い種族との交流などを行った。

 一方、隣のガダルカナル島では日本軍が壊滅していたが、報道統制のために著者でさえ何も知らなかった。

 

 2

 昭和17年8月、米軍……海兵隊含む2万名が上陸し、ガダルカナルの飛行場を奪取した。2500名の陸軍作業部隊と250名の海軍陸戦隊はすぐにジャングルに撤退した。

 そこで川口少将率いる6000人の部隊が上陸したが突撃失敗しジャングルに追い込まれ、飢餓が始まった。

 その後も増援されるが同じ結果となり、昭和18年2月に撤収したときは3万1000人兵力のうち2万800人が死亡し、その大部分は餓死だった。

 命令により、患者は射殺、歩行不能者は自決させられた。敗北の状況が本土で漏れないよう、撤収兵は、激戦地に転戦させられ多数が死亡した。

 ガダルカナル島撤退の前に、ニューギニア島東南端の連合軍基地ポートモレスビーにおいても、日本軍は奪回作戦を失敗しジャングルで全滅した。

 ※ ガダルカナル島の生命判断

 

 3

 東から西へ進行する連合軍に対し、日本軍は基本的にはジャングルを撤退するだけとなった。

 ――もっとも拙劣な戦術は、軍隊の逐次投入である。

 

・サラワケット山越えでの転落死、凍死、河を渡るときの溺死

・下痢による衰弱死

・牛革ベルトや革靴をかじって食べる、地下足袋を燃やして暖を取る

・蚊の大群、シラミ、ブヨ、巨大なヒル

・生き残りが衣類や装備をはぎとるため、屍体は裸

 

 ――さらには、糧秣の不足は、人間性を最も露骨に現し、戦友をだまし、盗み、時には殺人までして、食糧を少しでも多く、自分だけでいいから手に入れたいとの行為が、相次いで見られ、鬼畜のふるまいもこれまでと思われることが平常となった。

 

 4

 マダンからウエワクにかけて、セピック河と広大な湿地帯を進んだ。軍の靴は濡れるとすぐに壊れた。

日本兵による強盗殺人の多発

・虫、爬虫類を食べる

 

 ――あのなあ、転進者の生き残りがたむろしているところにはな、単独で兵隊を使いに出せないんだ。どこから撃たれて食われるかわからねえからだ。

 

 5

 連合軍を陸海共同で攻撃する「あ号」作戦が幻に終わり、日本兵はジャングルに退避することになった。一部の日本兵は原住民たちに歓迎され、村落で生活し生き延びた。

 しかし、村落の作物を荒らす日本兵もいたため、原住民から襲撃を受けたり、連合軍に寝返ったりする住民もいた。

 

 6

 ニューギニア島西端のビアク島は、フィリピンやトラック島への爆撃拠点となる重要地だった。

 ――陸軍参謀本部も、海軍軍令部も都合の悪い情報は一切伏せて知らせなかったのです。それを知っていたのは、大本営の作戦参謀だけでした。現地部隊にはまったく真相を隠していたのです。

 ビアク島の戦いで日本軍は敗北し、ジャングルで消滅した。

 

 ――そのほとんどは、餓死するか、現地兵に囲まれて虐殺されてしまいました。かつて無理やり労役に駆り出し、鞭と棍棒で重労働を強いた住民の恨みが、こんな形で晴らされることになったのです。

 

 7

 著者は、マノクワリ増強のため中国戦線から送られてきた師団の情報要員として、偵察などを行った。

 このとき、事情聴取のため現地人を連れてきたところ、部隊の少佐はかれらの処刑を決定した。

 

 ――師団の作戦命令も出ている。北岸一帯の敵性原住民は、ことごとく殺戮殲滅すべしとな。本官も生きて帰還するつもりはない。まずこやつらを先陣の血祭りにあげ、亡き戦友の霊を弔うのだ。

 

 ――……私は、第221連隊が中国戦線で、とりわけ八路軍中国共産党軍)の激しい抵抗の鎮圧にあたった部隊だったことを失念していました。後から思えば、そこでは正規兵とゲリラ、良民の区別などつかなかったのです。女子供と思って油断したら全滅の危険に直面する事例が、数え切れぬほど起きていました。

 

 ――中国戦線では、一番年次の新しい兵士の肝試しに、このようにして捕虜を殺させたのだそうです。

 

 処刑に失敗する様子をみかねて、著者は日本刀で現地人村長を斬殺した。

 著者らのいる地域には米軍はやってこなかった。将校、兵隊のほとんどは病気または飢えで死んだ。

 

 8

 ニューギニア島に投入された兵隊20万人以上のうち、生還したのは1割未満である。

 インドネシア・オランダ軍(蘭印軍)は独立運動鎮圧の一方、日本軍を裁判にかけた。

 著者は住民殺害等の罪で懲役刑となった。オランダ軍は400人以上の日本軍人を銃殺したが、間もなくインドネシア独立により主権を喪失し、日本兵たちも送還されることになった。

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 スガモ・プリズンでは、警察予備隊創設のニュースを受けて「おれたちが戦犯として裁かれた意味はなんだったのか」と批判の声を上げる囚人もいたという。

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 ――「あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかにお眠りください」……飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。怒り狂った死者たちの叫び声が、聞こえて来るようです。そんな理由付けは、生き残った者を慰める役割を果たしても、反省へはつながりません。逆に正当化に資するだけです。実際、そうなってしまいました。

 

 著者は、戦争指導者や戦争犯罪人にまつわる著名な例をあげ、醜い事例としている。

・戦後、GHQに重用され、また自衛隊創設に貢献した服部卓四郎

東京大空襲を指揮し、空自創設に貢献した功績を評価され勲一等旭日大綬章を受けたカーチス・ルメイ佐藤栄作内閣時代)

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地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相 (新潮新書)

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