沖縄戦時、北部でゲリラ戦を強いられた少年兵たちがいた。
NHKの取材班は、生き残った当時の人びとを取材しその全貌をつかもうとする。
新潮文庫版は『少年ゲリラ兵の告白』という書名に変わっている。
◆所見
小野田氏で有名な陸軍中野学校二俣分校が主役の本である。
二俣分校は遊撃戦専門家を育成しており、太平洋戦線や沖縄など各地に指導のため出身者が派遣された。
中野学校には正規軍とは異なる謎めいたイメージがある。
しかし本書において護郷隊……少年兵を指導する出身者たちは、日本軍の精神主義や非合理性を濃縮したような存在である。
これは光人社『陸軍中野学校』に書いてあるように、教育の根底にあるのが非常に強烈な愛国教育であることに由来するのだろう。
子供を教育する手段は恐怖と暴力だった。紛争国の少年兵やISIS、左翼ゲリラと教育訓練手法が似ており、また招集自体が当時でも違法だった。
弱者が抵抗する方法として持久戦やゲリラ戦は非常に有効である。よって、根絶するのは容易ではない。
日本軍が後世まで指弾される原因は、もっと大きな目的や意図、戦略における失敗にある。
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1
沖縄戦に備え、参謀本部は遊撃戦部隊の編成を命じた。それが第一護郷隊と第二護郷隊である。
護郷隊の編成には中野学校出身者と、中野学校二俣分校(遊撃戦教育)出身者があてがわれ、将校・下士官が沖縄に派遣された。
遊撃戦の方法は既に研究されており、「戦闘教令」を参考に教育訓練を行った。
中野学校出身者たちは、沖縄県北部の市役所に指示を出し、13歳~17歳の少年たちを招集した。これは、当時の兵役法や義勇兵役法に照らしても明確な違法行為だった。
護郷隊の人数は約1000人である。
2
第一護郷隊の記憶について。
少年たちはゲリラ戦教育を受け、上陸した米兵と戦闘した。脱走しようとした少年は銃殺刑になった。
米軍宿営地の夜襲、燃料・弾薬爆破工作、待ち伏せ攻撃など。
3
第二護郷隊生存者の回想。
将校たちの教育は、まさに恐怖と暴力による洗脳である。教義の暗唱、ビンタ、殴打によるしつけが行われ、子供たちの精神は麻痺していった。
生き残りによれば、米兵を殺すこと、戦うことよりも、上等兵や教官に殴られる方が恐ろしかったという。
ミスした少年を、別の少年たちに殴らせた。
少年たちは体格や素養に応じ、情報班、偵察班、司令部要員などに分かれた。
民間人のふりをしてキャンプに入り、夜間に米兵テントに擲弾筒を投げ込んで逃げた。
爆弾を持って特攻することになったが、これは中止になった。
五月末に恩納岳の戦いが起こり、その後組織的抵抗が終わった。
4
久米島作戦……各離島においてゲリラ活動を主導するため、中野学校二俣分校出身の工作員が派遣された。
かれらは身分を隠し潜入し、島民を指導し義勇兵を組織した。
久米島にやってきた出身者は、教員になりすました。かれは戦後米軍に連行され、そのときに「残地工作員」――米軍占領後も残ってゲリラを組織する要員――であることが明らかになった。
5
ゲリラ戦計画は、本土決戦にも含まれていた。
『国内遊撃戦ノ参考』や、関係法令について。
中野学校出身者が各上陸予想地点に配備された。
中野学校は元々、諜報・謀略・宣伝・防諜が任務だったが、二俣分校は特に遊撃戦指導者育成のため、座学・計画立案・スリ技術・破壊工作などを教育した。
中野学校の教え……生き残って持久戦をすること。国の為に悪いことをしても許される、特別に悪いことをする。
――……体にうじがわくでしょ。そのうじを、鉄棒に集めて、洗って、そして、煎って食べる。火を焚いて。雪隠食いって、こっちでは。うんこの中のうじ虫やら、屍体に出てたやつ。それを洗ったりできる体のもんは助かっておるわけや。ひもじいからそのまま食べたやつはみんな、マラリアやら下痢で死んでいっちょるわけだよ。
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本土決戦では、建前では水際決戦、攻撃主義を推進していたが、実際には、米軍が日本軍を打ち破るだろうと想定し、ゲリラ戦の準備も進められていた。
◆参考
the-cosmological-fort.hatenablog.com
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