うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

働くことと『人間の条件』、ヘンリー・ミラー、読書の実益

 ◆働きたくないおじさん

 働きたくない、なるべく自分の時間を増やして過ごしたい私のようなニート気質の人間にとっては、「働くこと」は重大な問題である。

 

 最近読み始めたハンナ・アーレント『人間の条件』(The Human Condition)は、働くことの意味や位置づけが古代ギリシアからどのように変遷したか、現代社会というのが働くことをどのように意味づけており、どういった問題が発生したかを考える本である。

 内容は非常に概念的だが、冒頭の第1章から非常に面白いのでメモをとっている。

 

 

 アーレントは、古代ギリシアのポリスにおける労働や政治に関する価値観に、新しい考察のヒントを見出している。

 冒頭のアーレントは以下のような歴史解説をおこなっている。

 

 古代ギリシアにおける人間の活動の3分類:

  労働(Labor)……人間が生命・種として生存するための、動物と同種の活動

  仕事(Work)……人間が自ら作り出した環境に関わる作業

  活動(Action)……人間が集団で生きていく上で発生する、人間同士の関わりに関するもの。これは、政治に最も近い。

 

 古代ギリシアでは、公的領域、すなわちポリスの政治に携われるのは、労働を克服し、自ら労働する必要のない市民だけだった。

 こうした市民は家(Household)の支配者として奴隷などを使役し、自らは市民として公的活動に携わった。

 ポリスの世界においては、たとえ安楽な生活をしていても、政治活動の権利を持たない奴隷は、動物やペルシア人など蛮族と同種でしかない。

 一方、たとえ困窮していようと、政治活動を行う人物は「善い生活」を営んでいる。

 

 ポリスの政治では、支配/被支配というのは存在しない。ポリスの政治を貫いていたのは、市民の平等である。

 市民は、自分の家においては支配者として、奴隷などを使役し労働を克服する。ここで用いられるのは暴力や強制力である。

 本来、支配と暴力は、政治の領域ではなく、私的領域、家の領域に属すると考えられていた。

 公的領域であるポリスの政治において最も重要視されたのは、言葉と説得の力だった。

 

 中世から近代にかけて、古代ギリシアにおける私的領域(家、労働)と、公的領域(ポリス、政治)との境界はあいまいになっていく

 

 近代は、本来は家すなわち私的領域だった空間が「社会(Society)」という巨大な空間となり、公的領域を飲み込んでいった時代である。

 社会は、生きるために働く労働が、支配者の下、奴隷や下僕によって行われる世界の拡大版である。よって、社会においては、そこに生きる人々に順応主義(Conformism)が強制され、「政治的活動」は排除される。

 社会があまりに巨大化し、またメンバーに対し順応や画一性を強いるため、本来は同じ領域にあった個人の世界=プライバシーが新たに成立し、社会に対立する概念として個人主義ロマン主義が成立した。

 

 政治的な歴史においては、個人の逸脱した活動や並外れた勇気・行為が重要な意味を持つ。

 しかし、社会と、家(Household)が拡大した経済(Economy)の世界では、人間はただ統計学に基づく存在であり、画一的な行動をする単位にすぎない。近代経済学では、個人の逸脱した行為は、非標準的(Abnormal)な行為であって、考慮の対象にはならない。

 

 古代ギリシアにおいても、ポリス政治が成立するためには人数に限界があることが認識されていた。住民が増えれば増えるほど、市民の平等は失われ、ペルシア帝国のような専制支配=支配者による「家」的な支配が進行していった。

 こうした傾向は、近代にかけての人口増加状態においても生起した。

 

 

 若いときにパン工場や引っ越しバイトが苦痛だったときには、シモーヌ・ヴェイユを読んでどうすべきか考えた。

 

あきらかに苛酷で、容赦しない抑圧によって、ただちにどういう反動が生じてくるかというと、それは反抗ではなく、服従である……ルノー工場では……服従よりもさらにすすんで、何ごともあきらめて受け入れるようになっていた。

 

理想、第一に人間は、ものに対してだけ権威をもつべきであって、人間が人間に対して権威をもってはならないということ

 

 

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 元々無職気質があったので、ヘンリー・ミラーを働く前によく読んだが、おそらくいまでもわたしの人格に影響していると思われる。

 

 

ヨーロッパから戻ってきたミラーは改めてアメリカの問題を認識した。アメリカは、奴隷たちの民主主義の国になってしまった。貴族ではなく奴隷、機械が平等に生活する国、無為と無害の一生を約束される国、これが建国の理念を忘れたアメリカである。

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老サラリーマンよ、現在のぼくの僚友よ、ついに何ものも君を解放してはくれなかったが、それは君の罪ではなかったのだ、きみは、かの白蟻たちがするように、光明へのあらゆる出口をセメントでむやみにふさぐことによって、きみの平和を建設してきた。きみは、自分のブルジョワ流の安全感のうちに、自分の習慣のうちに、自分の田舎暮らしの息づまりそうな儀礼のうちに、体を小さくまるめてもぐりこんでしまったのだ、きみは、風に対して、潮に対して、星に対して、このつつましやかな堡塁を築いてしまったのだ。

 「きみは答えのないような疑問を自分に向けたりはけっしてしない。要するにきみは、トゥールーズの小市民なのだ」。

 

 「ぼくは、疑わなかった、自分に、こんなにわずかな自治しか許されていないとは。普通、人は信じている、人間は、思いどおり、まっすぐに突き進めるものだと。普通、人は信じている、人間は自由なものだと……

 すべては明快だ。思いどおりにならないときは死ぬ。力のない人間は死ぬ。

 「ぼくには、もう理解できない、あの郊外列車の市民たち、自分では人間だと信じているが、じつは彼らの感じない圧力によって、その用途からいうと蟻のようなものに退化してしまったあの人たちを」、「ぼくは、自分の職業の中で幸福だ」。

 

 

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 ◆ヘンリー・ミラーを考え直す

 ヘンリー・ミラーはドイツ系アメリカ人の作家で、現在では、シュルレアリスム的な手法を活用した文体、タブーを気にしない性的な表現によって歴史に残っている。

 しかし、わたしがもっとも好きなのはかれの自由や個人主義を追求する姿である。

 

 このブログのタイトルの由来にもなった『宇宙的な眼』からの引用は以下のとおり。

 この本のなかでの労働は、アーレントが定義するような、生存するための労働(Labor)ではないか。

 

"We want plot because our lives are purposeless, action because we have only an insect activity, character development because in turning in upon the mind we have discovered that we do not exist, mystery because the dominant ideology of science has ruled mystery out of our scope and ken. In short, we demand of art a violence and drama because the tension of life has broken down..."

(私たちはプロットを求めるがそれは人生が無目的だからです。昆虫的活動しかしていないからアクションを求めます。自分自身の心を振り返ると私たちは存在していないも同然なので、キャラクターを求めます。科学イデオロギーが謎を排除しているので、ミステリーを求めます。要するには、わたしたちが暴力とドラマの芸術を求めるのは、わたしたちの人生における緊張がなくなっているからです)

 

Men are struggling for the right to work! It sounds almost incredible but that is precisely what it amounts to, the great goal of the civilized man. What an heroic struggle! Well, for my part, I will say that whatever else I may want, I know I don't want work.

(人々は働く権利のために戦っている! まさに信じがたいことだが、これが正確な実態であり、われわれ文明人の偉大な目標なのである。なんと英雄的な戦いだろう! さて、わたしについていえば、自分が何を望んでいようと、労働を望んでいないことは確かである)

 

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 「汝のあるがままなれ、ただし極限まで!」

 

彼は電報会社の雇用主任として働いていたことがある、その経験は「人間が職などというものをこうも恥知らずに他人に哀願できるということに腹を立てさせる」ものであり、電報配達夫たちにとってミラーは神だった――そして神たることは、贋物、まがいものとしてにすぎぬとしても、人間の見出しうるもっとも荒廃的な立場だといっても過言ではなかろう。

 

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アラビア語にしろ、またナヴァホー族のことばにしろ、それを知るためには現地人にならなければだめです……ぼくらを賢明にしてくれるのは年齢ではありません。人びとは経験だというようなふりをするけれども、それでもない。要は精神の敏活さです。

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「もう一つぼくが心からその価値を信じないものがある――労働だ。労働、こいつは人生のほんの門口にいるぼくにとっても、愚鈍な人間のためにとっておかれた活動であるとしかおもえない。それは創造とは正反対のものだ。創造は遊びであり、それ以外に何の存在理由もないがゆえに人生における最高の原動力なのだ」。

 

 

 ――ぼくがもっともきらっていたのは、彼らのうわべだけのまじめさだった。ほんとうにまじめな人間は陽気なものだ。のんきといってもいいくらいだ。腹の底からの安定を欠いているがゆえに、この世のいろんな問題を引きうけるやつらを、ぼくは軽蔑した。いつまでも人類の状態になやんでいるやつは、自分自身の問題を一つももたないか、ないしは、それと対決するのを拒んでいるのだ。

 

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――われわれは実に多くの若者が人生を恐れているのを知って唖然とした。彼らの心理は年寄り、病人、虚弱者のそれであった。

 

 

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 ◆読書の実益

 フィクションや歴史、哲学に関する本など、実益と程遠い本を読んできて今までに実社会に役だった例を適当にあげたい。

 

曹操やエルンスト・ユンガーなどにあこがれて、格闘技を始めて自〇隊に入ったら健康維持に向上し、その後の転職にも有利になった

・本を読みたいので英語を読んでいたら仕事で有利になった

古代ギリシアの戦記やコリン・パウエル、シュワルツコフなど軍人の自伝、戦史を読んでいたらどういう指導者が支持されるか・優れているか知ることができその後管理職になった際に部下から無能とバカにされない程度に仕事ができた

・一連の本を読んで、夜中に疲れ切って帰るようなむなしい生活から逃げ続けていたら、そこそこ自由な暮らしができるようになった(金持ちではないが時間はある)

・メモをとったり、このブログを書いたりしていたので、文章を書くことが苦でなくなった

・このブログのアフィ収入で本が数冊買えるようになった

 

 

 ◆園長先生はいらない

 無職戦闘員になって以降、主に自宅戦闘員として働いてきたが、自〇隊の点呼のような強制出社命令が出たので、新しい仕事にもうすぐ切り替えることになった。

 幼稚園が園児を子守りするような組織にはいたくないので、今後も自分の方針を堅持したい。

 現場作業を下に見ているのではなく(元々現場そのものの自〇隊だったので)、出社して会議室が足りないのでリモート会議や、夜まで待機して海外部門と会議などがばからしい、何よりそのような方針を出す昭和臭のする組織に嫌悪を抱いた。

 現在のわたしの環境においては、無意味だとおもう仕事、しょうもない組織に所属しているのは自分の選択の結果だと考えている。

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『いじめの構造』内藤朝雄 ――閉鎖空間からの脱出

 ◆所見

 いじめの性質やいじめを生む構造を提示するだけでなく、そうした閉鎖集団が社会の基礎部分に蔓延する状況を、中間集団全体主義社会として提示している。

 学校や職場で生じる醜い状況をほぼ正確に分析しており、解決策も説得力のあるものである。

 このような社会で育った人間が市民社会的な理念……自由、公平、公正、人権等を嫌悪・憎悪するようになったとしても不思議ではない。

 

  ***

 本書は、人間の普遍的現象としてのいじめを論じる。考察対象となるのは主に学校である。

 

 1 「自分たちなり」の小社会

 いじめは学校独特の秩序のなかで行われており、子供たちは非常に付和雷同的である。そこでは市民社会の秩序が後退し、学校的な秩序が蔓延する。子供たちの秩序において命や善悪は重要ではない。

 

 

彼らは人権やヒューマニズムを生理的に嫌悪する。それらは、かれらなりの倫理秩序にとって、本当に「悪い」ことだ。

 

 

 子供たちは「残酷で薄情なものでしかない群れに対する」忠誠と紐帯に依存している。

 群れの勢いによる秩序、群生が畏怖の対象・善悪の基準となる型を「群生秩序」と呼ぶ。群生秩序は、普遍性と人間性を重視するいわゆる「市民社会の秩序」とは異質である。

 子供たちの秩序においては上下関係、群れの空気・雰囲気(ノリ)に従うかどうかが善悪の基準となる。群生秩序においては、みんなの関係が第一にあり、個人は二の次である。

 

その場の空気を読んで集団に同調することが唯一の規範である学校共同体では個人の責任などという事態は生じえないのだから、かれらは自分の行いに対して責任をとろうとはしないだろう。

 

 

 2 いじめの秩序のメカニズム

 宿主を操る寄生虫のイメージを用いて、生徒に寄生し行動を操作する「社会」の性質を説明する。

 

 人は不全感(存在していることが落ち着かない)を持つと、錯覚としての全能感(なんでも思い通りになる)を持つようになる。全能感は、必ず一定の体験によって得なければならない。全能感を得る方法は、暴力、暴走、性行為、スポーツ、アルコール、仕事と千差万別である。

 

多くのいじめは、集団のなかのこすっからい利害計算と、他人を思い通りにすることを求めるねばねばした情念に貫かれている。この情念の正体は、他人をコントロールするかたちを用いた、全能気分の執拗な追求である。

 

 他者コントロールによる全能の中にいじめも含まれる。

 コントロールの対象が反抗した場合、加害者は自分の世界を壊された、全能感を壊されたとして激しい怒りにさいなまれる。

 いじめは、全能の自己と、尊厳を踏みにじられ、奴隷となる他者という関係を基盤に成り立つ。この関係には直接暴力から主人奴隷型、玩具かわいがり型まで幅がある。

 被害者はこの関係を維持しながら友達への格上げを願ったり、消極的な反抗に出がちだがこれは危険である。一気に相手との関係を崩すような刑事告発や通報が最も効果的だが、学校はこうした学校権力からの解放を嫌悪する。

 

 

 3 「癒し」としてのいじめ

 いじめられた経験を持つ者、理不尽な暴力に痛めつけられた経験を持つ者は、自分の体験を他人に投影し、被害者を自身の体験の容器として扱う。いじめにおけるこの現象を、投影同一化と呼ぶ。かつてのいじめ被害者は、いじめをすることにより癒しを得る。

 いじめ被害者は自身の体験によって自分が強くなった、タフになったと考えることで全能感を得、癒しを得る。

 また、いじめ加害者のうち正面から攻撃を加えず陰で画策するものは、うまく世渡りをしている自分に全能感を得る。

 いじめ被害者が、うまく立ち回る者へ、そして加害者になることはよくある。

 

つまり、このような生徒たちにとっては、自分が所属し、忠誠をささげ、規範を仰いでいる社会は、人を殺してはいけないとする社会や、法律で人びとを守っている社会ではなく、涙を流しながら「世渡り」することで自分たちが「タフ」になってきた社会である。生徒たちは、学校で集団生活をすることによって、このような集団教育をされてしまう。

 

 このような群生秩序においては、上位者の要求にすなおに答えるような身分の認識が必須となる。それは場の空気にあわせるだけでなく、なりきることであり、なりきる以外に生きるすべがない。

 

 

 4 利害と全能の政治空間

 他者をコントロールしたいという全能感は、通常利害意識と結びつく。

 

市民社会の論理を学校に入れないことが、ハードケースを頻発させている。暴力に対しては警察を呼ぶのがあたりまえの場所であれば、「これ以上やると警察だ」の一言で、(利害計算の値が変わって)暴力系のいじめは確実に止まる。

 

 利害と全能が結びついた政治空間では、「一貫した人格状態を保持するのが難しくなる。むしろ、利害に対して昆虫のような反応を示す人格以前の存在に、解離した人格の断片が薄皮のようにはりついているほうが、群生秩序には適応しやすい」。

 閉鎖されたコミュニティは、権力闘争の絶えない、冷酷な政治空間を生みがちである。

 利害図式に基づく権力は、生活環境や構造が変わることで消滅もしくは変化する。

 

 

たとえば内申書制度が廃止されれば、教員は気に入らない生徒の将来を断ち切ることを「やりたくてもできない」。学校に法が入れば、気に食わない人を「殴りたくても殴れない」。学校が閉鎖的でなく、人間関係を選択できる自由度が高ければ、「友達」を「しかと」で震え上がらせることはできない。

 

本当はいっしょにいたくない迫害的な「友達」や「先生」と終日べたべたしながら共同生活を送らなければならないという条件に、さまざまな強制的学校行事が重なる。さらに暴力に対しての司直の手が入らぬ無法状態であるということが、この事例のような集団心理―利害闘争の政治空間がはびこる好条件を提供している。

 

 

 5 学校制度がおよぼす効果

 日本の学校制度は生徒を全人格的に囲い込む学校共同体イデオロギーに基づいており、学年、学級、部活動、学校行事等を通じて絶えず生徒同士の関わり合いを強制する点で、学校は非常に「迫害可能性密度」の高い空間である。

 教員や一部の生徒による暴力支配は、本来なら警察がかれらを逮捕すべき問題である。

 

これが、一部の独裁国家や、武装民兵が支配する地域をのぞく、まともな法治国家のありかたである。

 

……加害生徒グループや暴行教員は、自分たちが強ければ、やりたい放題、何をやっても法によって制限されないという安心感を持つことができる。

 

 また、過剰接触状態を強制する学校では、無視する、悪口を言う等のコミュニケーション操作から逃れることができない。

 

 生徒たちに親密さを強制する様子は感情奴隷といえる。強制的に友達にさせられる、友達を選択する余地のない環境では、子供たちは自分の人格を変えようとする。

 

……しかとや悪口(ぐらいのこと!)で自殺する生徒がいるのは、このような生活空間で生きているからだ。市民的な空間で自由に友を選択して生きている人にとっては痛くもかゆくもないしかとや悪口が、狭い空間で心理的な距離をとる自由を奪われ、集団生活のなかで自分を見失った人には、地獄に突き落とされるような苦しみになる。

 

 これまでに説明したような人間の生態を、政策レベルでコントロールしようとする試みを、生態学的設計主義と呼ぶ。この主義は、良いほうにも悪いほうにも利用可能である。

 

 世界の学校制度には、共同体的に縛り付けるタイプ(英米、日本型)と、自動車教習所型(ドイツ、フランス等)、また地域共同体型(薩摩藩社会主義諸国)等がある。

 

(教習所型学校では)暴れたらあっさり法的に処理され、学校のメンバーシップも、しばしばあっさり停止される。

 

 

 6 あらたな教育制度

 いじめの温床である学校制度を変えるための提言。

 

 短期政策:

・学校の法化(治外法権の廃止、加害者メンバーシップの停止)

 

学校に限らず、個を守るために法が入らず、仲間内の脅しや暴力に対してなすすべがない「泣き寝入り」状態を日常的に体験させることは、市民的な現実感覚を破壊し、群生秩序を骨の髄まで習慣化する教育効果を有する。それに対して、仲間内の勢力関係をとびこえて法によって加害者が処罰されるのを目撃する体験は、中間集団は強い者が弱い者を圧倒する力によって治められるという秩序学習をさせず、普遍的な正義が法によって守られていることを学習させる市民教育として効果がある。

 

・学級制度廃止

 開かれた交友関係の世界では、つまり市民社会では、「しかと」や「無視」といった行為は意味がなくなり、逆に加害者が相手にされなくなる。

 

 長期政策:

 筆者は教育制度を改革するための根本思想として「自由な社会」を想定する。それは構成員に対し特定の生き方や幸福の形を強制しない社会である。自由な社会実現のためには様々な政策が必要であるため、ある程度の規模の政府が必要になる。

 

・閉鎖的な空間を廃し、生活圏の規模と流動性を拡大

・公私を峻別し、客観的・普遍的なルールを通用させる

 

「仲良く」しなければ仕事や勉強にならない社会では、生きていくために「へつらう」、つまり上位者や有力なグループに自分の生のスタイルを引き渡さざるをえない。

 

自由な社会は、他人の自由を侵害する自由を認めず、それを徹底的に阻止する。
このような社会のおいては、子供も大人も自己は確立されておらず、自ら試行錯誤して生き方や絆、共同体を見つけていくことになる。

 

 

 長期政策:

・義務教育を以下の項目に限定する……読み書き、お金の計算、法律と公的機関の利用法

・国の配布するバウチャーを利用し、学習サポート団体を活用し国家試験に備える

・義務教育は大幅削減され、代わって教育を受ける権利を拡大させる→生涯学習・社会教育への重点移動

 

 教育は技能習得系統と生活充実系統に分けられる。教育業務と資格認定業務は峻別される。

 

 

 ※

 他者コントロールが利害と結びつくとき、暴力はエスカレートしがちである。以下の例は、全能支配暴力が利益追求と結びついた例である。

 

魔女狩り(金儲けのよい手段)

・暴行教員は出世しやすい

・非常識なことを言うと出世する軍部

文化大革命

民族浄化は、有力グループによる利益獲得競争の延長だった

 

 

 7 中間集団全体主義

 全体主義国家においては、本来個人に対する防波堤となるべき中間集団が、個人を締め付け、全体主義的支配を支えた。これを著者は中間集団全体主義と定義する。

 

各人の人間存在が共同体を強いる集団や組織に全的に(頭のてっぺんからつま先まで)埋め込まれざるをえない強制傾向が、ある制度・政策的環境条件のもとで構造的に社会に繁茂し、金太郎飴の断面のように社会に偏在している場合に、その社会を中間集団全体主義社会という。

 

 戦時中の隣組や大日本少年団にまつわる体験は、学校のいじめと酷似している。

 

小権力者は社会が変わると別人のように卑屈な人間に生まれ変わった。

 

 企業や学校には全体主義が蔓延しており、国家はこれを規制する政策をとってこなかった。結果、国家全体主義は消滅し、見かけ上は自由主義的な先進国だが、例えば労働者の隷属度は旧ソ連よりも高いのではないか。

 

 トクヴィルの『アメリカの民主主義』には、各自治体が厳格なピューリタン主義に基づいて統治をおこない、個人の自由を圧殺する光景が記録されている。

 

 おわり

 

 

 

『帝国以後』エマニュエル・トッド ――2003年当時のロシア認識

 著者の2003年時点での認識は2点である。

アメリカの力の低下

・ロシアの協調

 

 9.11以後、アメリカは求心力を低下させた。イラク戦争における仏独、トルコの不服従はその証拠である。

 根本的原因は、アメリカが対外政策のための経済的・財政的手段をもはや持たないことにある。

 経済制裁や報復の最初の被害者は合衆国自身である。

 日本がドイツと違いアメリカからの独立を指向しない理由は地政学的な孤立である。

 ロシア、日本、ドイツ、イギリスの外交的自由の確立が、帝国の時代を終わらせ、より確実な平和を保障すると著者は主張する。

 イラク戦争は、アメリカによる演劇的小規模軍事行動だが、アメリカの長期的な先行き……衰退に歯止めをかけることはないだろう。

 

  ***

 ◆メモ

 納得のいく点もあるが、家族形態から国家の形態や未来を推測する方法(トッドの本業)や、ロシアに対する楽観的な見方、日本に対する過大評価等、同意できない箇所もある。

・農村的家族形態がその国の政治制度を規定するという考え

・ロシアが協調的になるという予測。ヨーロッパと連帯し、アメリカの暴走を相殺する役割を担うのではないか、という見通しが描かれる。

・教育と人口抑制が個人主義・民主主義につながる。

アメリカは小国相手にしか戦争ができない。また、アメリカは日欧の経済ブロックを統制することなしに生存できない。

 

 2022年現在では考えられないが、本書刊行時(2003)のロシアは今とだいぶ異なる外交方針を持っていた。

 ティモシー・スナイダーらによれば、ロシアが反西側指向を強めたのは、プーチン大統領選での苦戦、国内でのプーチン支持率低下がきっかけだという。

 

 なお、トッドはフランス国内では現在取材を受けておらず、日本メディア向けにウクライナ戦争に関する見解を述べている。

 

 

  ***

 開幕

 9.11テロ当時、アメリカはそのソフト・パワーによって世界各国の同情と支援を得た。ところが程なくして、アメリカは自己中心的で攻撃的な国とみなされるようになった。

 これはなぜか?

 チョムスキー、ベンジャミン・バーバーは、アメリカを悪魔化しており、またその力を過大視している。

 一方、ポール・ケネディハンチントン、ギルピン、キッシンジャーブレジンスキーらの分析では、アメリカは弱さを抱える国である。

 アメリカは自らが無用になることを恐れている。

 第2次大戦後、アメリカは帝国となったが、今は逆にアメリカの経済が世界を必要としている。

 逆転現象……英米仏という古い民主主義国が寡頭制に変貌しつつある。階級・階層による分断がこれにあたる。

 自由主義的民主国家は戦争をしなくなるが、衰退した民主国家は再び戦争に戻ることもできる。

 トッドの仮設……

 

すなわち、世界が民主主義を発見し、政治的にはアメリカなしでやっていく術を学びつつあるまさにその時、アメリカの方は、その民主主義を失おうとしており、己が経済的に世界なしではやっていけないことを発見しつつある、ということである。

 

 

 アメリカは小さなならず者国家を相手にする力しか持たなくなる。

 

  

 1 全世界的テロリズムの神話

 世界は常に破滅にあると考えられているが、データを見れば、各国の情況は好転している。

 識字率の向上と、それに伴う出産率の抑制は、発展の照明である。

 識字率が向上すると、伝統的な生活からの意識変化により、一時的に革命や暴力・虐殺が行われ、やがて出産率の低下に至る。

 

 フランシス・フクヤマは民主主義についての認識を誤った。

 危機と虐殺は、トッドによれば、安定化への道である。

 イスラム圏は全体的には識字率向上すなわち教育の普及と、出産率の低下に向かっており、原理主義的なイスラム主義は退潮している。

 混乱と危機の過程として、テロ集団が出現している。

 

 

 2 民主主義の大いなる脅威

 民主主義の原動力は、フクヤマの主張する経済的発展ではなく、教育にある。

 教育の普及は個人主義と平等意識を芽生えさせ、ある時期の揺り戻しと混乱(過激派イスラムボリシェヴィキジャコバン、ナチズム、ファシズム等)を経て、自由主義的・民主主義的なイデオロギーに至る。

 しかし、各国家の近代政治イデオロギーは一律ではなく、その様式は、各国の伝統的な家族形態に由来する。

 こうして、同じ民主主義であっても、民族ごとの家族システムに基づき、英米式、フランス式、イラン式、日本式のような相違が生じるのである。

 

 

 3 帝国の規模

 アテネとローマの類推を手掛かりに、アメリカの帝国としての実態を考える。

 

 経済的グローバリズムは、アメリカの経済学者が唱えるのとは異なり、政治的・軍事的な影響力の結果である。

 自由主義的経済論は、映画や音楽と同様、アメリカの文化的輸出品目であり、その理想と実態はかけ離れている。

 不平等拡大と需要の停滞が、グローバル経済において見られる現象だが、唱道者たちはこの事実に目をふさいでいる。

 

 トッドの解釈……

 アメリカは国民国家ではなく、帝国を目指したが、挫折するだろう。

 

 帝国の定義:

 

帝国は軍事的強制から生まれる。そしてその強制が、中心部を養う貢納物の徴収を可能にする。

 

中心部は終いには、征服した民を通常の市民として扱うようになり、通常の市民を被征服民として扱うようになる。権力の旺盛な活力は、普遍主義的平等主義の発達をもたらすが、その原因は万人の自由ではなく、万人の抑圧である。この専制主義から生まれた普遍主義は、征服民族と被征服諸民族の間に本質的な差異が存在しなくなった政治的空間の中で、すべての臣民に対する責任へと発展していく。

 

 アメリカは、強制できる軍事・経済力に欠けており、また諸国民を平等に扱う普遍主義に欠けているため、帝国にはなれないだろう。

 

 

 4 貢納物の頼りなさ

 アメリカの軍事力は帝国の維持という点からすれば、常に不足してきた。

 建国から現代にいたるまで、アメリカは海軍力・空軍力では他を圧倒してきたものの、地上戦では目に見える結果を出していない。第2次大戦のヨーロッパ戦線は、ロシアの犠牲の上に成り立っている。

 ロシアはソ連崩壊後大幅に弱体化したが、いまだに人的犠牲を国民に要求することができている。

 一方アメリカは、伝統的な非対称戦争の特徴である、死者なき戦争を強いられている。国民は大量死が伴う大規模地上戦を許容できないだろう。

 

 海外駐留人数の第1位は日本、第2位はドイツ、第3位は韓国であり、これらを帝国の保護領と考えることができる。日独が米国の支払う滞在費用は、伝統的な意味の貢納物といえる。

 

 9.11以前から、一般的なイメージとは逆に、アメリカは軍事力の削減に向けて政策を実施してきた。

 なぜアメリカに資本は集中するのか? 軍事力がその背景にあり、金を預けるのにもっとも安全な場所だと考えられているからである。

 アメリカ経済の実質は、古典的な金持ちの世界、富裕層が大量の支配人を雇い養う形態である。

 

株式資本家の増大は、アメリカ経済の現実の成長とは全く比例しておらず、現実にはいわば金持ちたちの膨張のごときものにすぎない。

 

 アメリカ経済は周辺の保護領の同意により成り立っている……EUと日本。しかし、アメリカは普遍主義から後退し、かれらを二級市民として扱おうとしている。それでは帝国は維持できなくなるだろう。

 

 5 普遍主義の後退

 帝国は被征服民族を同等に扱い、また同化させることで拡大してきた。

 著者は統治の方式を普遍主義(フランス、中国、ローマ、アラブ)と差異主義(ナチスドイツ、アテネ大英帝国、日本帝国)とに大別する。

 

 アメリカは普遍主義に基づいて諸民族を国民として統合してきた一方、常に差異主義に基づく敵(インディアン、黒人、ヒスパニック)を抱えてきた。

 著者は、アングロサクソンの外国人に対する認識は、不安定で曖昧だとする。これらもすべて、家族形態に由来する。

 

 人種間の婚姻率と乳幼児死亡率から、アメリカ社会を分析する。黒人は公民権運動時代後ふたたび孤立しており、また乳幼児死亡率は社会環境の悪さを指摘している。

 アメリカは普遍主義を唱えながら、差異主義的な国に変質しつつある。国民は白人、黒人、ヒスパニックに三分割され、外ではイスラエルに肩入れしアラブ人を排斥する。

 

民主主義国間の必然的な協力関係という仮説は成立しない。イスラエル人の植民がパレスチナ人に残されたわずかな土地に対して、毎日のように犯している不正は、それ自体が、民主主義の土台である平等原理の否定に他ならないからである。

 

 もともとキリスト教右派アメリカ・ユダヤ人は敵対関係にあったが、近年は反イスラム感情から意気投合するようになった。

 

不平等と不正への選好というものも存在するものなのだ。

 

……アングロサクソンの心性は、他者に対する関係については2つの特徴を有する。すなわち包含するために排除する必要があるのだ。包含される者と排除される者の境界は一定しない。

 

 普遍主義を捨てたアメリカは帝国として成立しなくなった。

 

 

 6 強者に立ち向かうか、弱者を攻めるか

 アメリカは、ならず者国家という小国を敵視しプレゼンスを示すことで、自分たちの必要性をアピールしているに過ぎない。

 アラブ世界が敵視される原因は、アメリカの石油依存による。また中東の石油は、主要保護領である日欧を統制するためにも不可欠である。

 またアングロサクソンとアラブの家族形態・人権意識は対極にある。一時期、アメリカはイスラム世界の女性蔑視にたいして爆撃しているのだ、というような論調さえあった。

 アメリカは、日欧やロシアが、アメリカなしでやっていくことを恐れている。

 

 

 7 ロシアの回復

 ロシアに関するトッドの見方は非常に友好的であり、本書での予測は外れたものもある。

 

・2000年代初頭のロシアは自殺率・殺人率ともに深刻であり、人口減少は国力低下を示唆する。それは長期的には安定化の要因である。

・ロシアは欧米と同種の民主主義には成り得ないだろう。トッドによれば、プーチンのメディア統制や、ロシアのネオナチは、ロシアの奮闘の証拠であり、西側メディアはこうした欠点をあげつらっている。

天然ガスを持つロシアは自活が可能である。

・ロシアは伝統的に普遍主義を持つ国であり、かつては共産主義イデオロギーが衛星国を統合していた。現在はナショナリズムにより、普遍主義は影を潜めている。

中央アジアベラルーシウクライナをやがて勢力圏に引き戻すだろう。

チェチェンでの汚い戦争は、アメリカの介入もまた責任の一端である。チェチェンの独立を認めることは、ロシアの解体を認めることである。

ウクライナは位置的にロシアから離れることはできない。欧州に組み込まれた場合、欧州はその影響力を維持できないだろう。アメリカの支援が望めないからである。

・ロシアを中心とする勢力圏は、「政治体制が複合的であるため、現実的に攻撃的な行動は困難であろうし、大規模な軍事紛争へ参入はかなり考えにくいだろう」。

 ロシアは、アメリカの暴走をけん制する潜在的な要因になる可能性がある。

 

 

 8 ヨーロッパの独立

 9.11から1年経ち、アメリカの保護国・属国とみられていたイギリス、フランス、ドイツが次々に反対を表明し、またイラク戦争に関してトルコも基地使用を拒否した。

 

 ヨーロッパとアメリカとは全く別の性質を持つ。

 

アメリカは中央統制を極度に嫌い、調節なき資本主義を信奉する。

・日本、ヨーロッパの国民は、国家機構に対してより宥和的である。

・ヨーロッパは経済的・軍事的にもアメリカから独立しつつある。

アメリカの国際政治学者は、イギリス、トルコ、ポーランドアメリカの前進基地と考えるが、三国の経済はユーロ圏に組み込まれている。

アメリカは、ロシア&イスラム圏という敵を必要とするが、ヨーロッパの基本的な戦略は平和である。

・仏独露の人口減少は安定化要因である。

 

 

 ゲームの終わり

 アメリカは国際社会の不安定要因となっており、ロシア、日欧は、アメリカに対抗して結束する可能性がある。

 アメリカは消費量を他国に依存しており、日欧経済、資源なしに生存することができない。

 トッドは核の拡散による均衡、日本の政治的自立を信頼し、常任理事国加盟をよしとしているが、わたしは賛成しない。

 

 

政教分離について調べた

 ◆ライシテ

 最近、フランス現代史にかんしていくつか本を読んだのをきっかけに、フランスの政教分離(ライシテ)について興味を持ちました。

 

・フランスは歴史的経緯により、国家・公的空間から宗教を排除する。

・あらゆる宗教の平等を認め、信仰の自由を尊重する。

・しかし、実際には「カト=ライシテ」とも呼ばれ、カトリックが「伝統」の扱いを受けて他の宗教よりも公的に優遇されている。

・一方、イスラームはライシテの厳密な適用を受け、スカーフ/ヴェール問題などに発展している。

政教分離解釈は自治体や各地方裁判所によっても様々で、世論、有識者の見解も様々である。

 

ja.wikipedia.org

 

 

 

 

 タイトルはうさんくさいですが、フランスのムスリム哲学者が、フランスにおける政教分離について考えを展開しています。

 

 

 こちらはフランスの著名な学者によるイスラム過激派論です。

 

 

 ◆クンデラ

 チェコの作家ミラン・クンデラの評論集を読んで、まだ読んでいない本をいくつか買いました