ソ連における大粛清と、ドイツ情報部門の謀略とをつなぎ合わせて検討する。
1 謀略
1936年からスターリンは古参党員の抹殺を開始した。この本のテーマは1937年6月に行われたトハチェフスキーら将官の粛清である。
ボリシェヴィキの政権掌握後、亡命した帝政軍人らは反ソ運動団体を結成し、ソ連や東欧に影響を及ぼしていた。しかし、亡命者たちの経済状況は悪く、多数の者がソ連やドイツに雇われスパイとなった。
元白軍司令官スコブリンはドイツとソ連の二重スパイとなった。かれがハイドリヒに対し、赤軍将校らのクーデタ計画について情報提供したことが、大粛清の発端となった。
ヒトラー、ヒムラー、ハイドリヒは、赤軍弱体化のため、スターリンに味方する事を決めた。
2 軍人
第1次大戦で功績を挙げたトハチェフスキーについて。
終戦後、ドイツとソ連はラパッロ条約を結び、併せて秘密軍事協力協定を締結した。ゼークトはドイツ再軍備を目標とし、赤軍との協力、交流を進めた。
3 偽
反ソ思想の持ち主であるヒトラーが政権を掌握してすぐに、独ソの軍事協力は解消された。ドイツはポーランドと不可侵条約を結び、ソ連はフランス、チェコスロバキアと相互援助条約を結んだ。
ゲシュタポ、ジポ(保安警察)、SD(SS保安部)の長ハイドリヒは赤軍切り崩しの工作に着手した。
――トハチェフスキーと赤軍将官達がスターリンの排除と軍部独裁実現を計画中であることを異論の余地なく証明している資料を、どうやってスターリンの手に握らせるか。それから、証拠資料を伝達するのは、この独裁者に信頼されている決して欺瞞工作の疑いをかけられないような人物でなければならない。
4 傀儡
ハイドリヒはナチ党員の信頼できる印刷屋に、トハチェフスキーらによるクーデタをほのめかす偽造書類を作らせた。その書類と、クーデタの情報を、チェコスロバキアの大統領ベネシュや、チェコ情報機関に渡した。ソ連とチェコの情報機関は協力しており、チェコが偽情報の発信源となれば信頼性が高まるからである。
偽造書類の取扱には、ホフマン、ヴィティヒ等の交友関係の広い人物を利用した。
チェコスロヴァキア経由の偽情報によりトハチェフスキーは孤立した。かれはドイツの侵略性を説いて回ったが、逆に親独派であるとのデマを流され逮捕された。
8人の元帥がNKVDによって逮捕され、ルビャンカ(NKVD本部)の一角で処刑された。陪審した多くの将軍もその後処刑され、1500人の高級将校、2万人の政治委員が処刑された。またその親類縁者も処刑または強制収容所送りとなった。
***
ハイドリヒがトハチェフスキーらの粛清に影響を及ぼしたかどうかは確定していない。大粛清の根本要因は、スターリンが赤軍高官を邪魔に感じたことである、と著者は結論を出している。