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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『スターリン時代』クリヴィツキー その2 ――亡命・不審死したソ連情報員の暴露本

 4 スターリン、ドル紙幣を偽造する

 スターリンの指示を受けた各国の工作員たちはドル紙幣の偽造に従事した。

 

 5 オゲペウ(OGPU)

 OGPUはジェルジンスキーの設立したチェカの後身である。OGPUはスターリンの手先として粛清を実行したが、長官ヤゴダはスターリンを知りすぎたために自らも粛清された。

 1937年に長官となったエジョフはOGPUをNKVD(内務人民委員部)に改編した。

 エジョフは、前任者ヤゴダとその配下を処刑した。

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 ……それからエジョフは、ヤゴダが1907年にツァーの秘密警察オフラナで働いていたということを、劇的な調子で声明した。そこに会している警察の高官たちは、この告発をまばたきもせずに受け取った。1907年には、ヤゴダは10歳だったのだ!

 

 でっちあげと尋問によって自白を強要し「一世代を犠牲に」した大粛清について。

 著者の知り合いや後輩の多くが、いわれのない罪によって投獄・処刑された。スペイン内戦の担当者だったスルツキーも処刑された。スターリンは、革命前後に活動していた世代を根絶しようとしていた。

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 スターリンは被害妄想に取りつかれていた。

 1935年、内戦と飢餓の影響で大量の浮浪児が発生している、とOGPUが指摘した。スターリンは、反革命罪による死刑の適用を12歳まで拡大した。

 

 

 6 なぜ、かれらは自白したか?

 レーニンジャコバン派の自滅を教訓として、ボリシェヴィキ党員の処刑を禁止した。

 

 1933年頃、スターリンは政策の失敗で多くの反対派を抱えていた。反対派は古参党員を擁して団結するおそれがあった。

 1934年、スターリンの党員処刑適用案に反対したキーロフが何者かに暗殺されると、スターリンは秘密軍事法廷・処刑を実行する特別布告を発した。

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 それは、ボリシェビキ古参親衛隊の公開裁判と秘密裁判の時代、自白の時代を招来した。

 

 

 スターリンの活用した組織

・エジョフの秘密警察

・フリノフスキーのOGPU武装部隊

 

 スターリンはいかにして嘘の「自白」を引き出したのか?

1 肉体的・精神的拷問

2 スターリンの秘密文庫――個人情報の収集・スパイ活動

3 陰謀のでっちあげ

4 家族・身内の命と、他の政敵との命を取引する

 

 秘密警察、党、赤軍の隅々にまでスターリンの個人スパイが浸透していた。

 

 都合の悪いときに、例えば、だれもがスターリンを賞賛しているとき、一瞬でも沈黙することは、不忠実の嫌疑を正当化するに十分だった。

 

 

 レーニンと同僚だったルイコフはスターリンの反対派とされていたため、だれも話しかけず、若い党員から嘲笑された。その後ルイコフは処刑された。

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 拷問例……

・まぶしい光の前で55時間立たされる

・2日間、片足で立たされる

・続いて、ベテラン尋問官による懐柔

 

 尋問官の説得・誘導により、革命と社会主義のためには、自白、犠牲になることが必要なのだ、と信じるようになった。

 

 スターリンは、「党、それは余である」という地位をほしいままにしていた。かれらは、自分たちの生命を党の奉仕に捧げた、そして、スターリンの命令に従う以外に、党に奉仕する道は残されていないと考えた。こうして、かれらは、革命に奉仕しているという幻想をもちこたえたのだった。

 

 

 7 なぜ、スターリンは自分の将軍たちを銃殺したか?

 赤軍大粛清の真相について。

1 陰謀はスターリンが少なくとも6か月前に用意した。

2 スターリンゲシュタポのでっちあげた証拠を採用した。

3 証拠は国外のツァーリスト組織を仲介したが、スターリンは関係したツァーリスト軍人会会長を誘拐した。

 

 赤軍スターリンの敵となった理由は以下のとおりである。

 

1 軍の大部分は農民からなり、農民たちは集団化と飢餓で強い反感を抱いており、ウクライナコーカサス、シベリアでは暴動の危機が生じていた。

2 内戦中に将官たちはスターリン以上の人気を得ていた。

3 赤軍高官らは党から距離を置いており、絶対服従の状態になかった。

 

 スターリンに対する赤軍ゲシュタポの陰謀といわれているものが、実は赤軍の将軍たちにたいするスターリンの陰謀だったということ、そして、自分の将軍たちに「ぬれぎぬを着せる」ために、スターリンが、ゲシュタポによって作成され、ツァーリスト勢力を通じて、オゲペウに供給された「逆情報」を使ったことに、疑問の余地は全くないのだ。

 

 この陰謀工作にかかわったシュピーゲルグラス、スルツキーらOGPU関係者もその後不審死した。

 

 

 8 スターリンとの訣別

 スターリンとエジョフらによる粛清は赤軍、OGPU、末端党員にまで広がりつつあった。

 

 「諸君が、生者の間にとどまりたいならば、互いに告発し合え、互いに密告し合え」

 

 著者クリヴィツキーは、長年の友人イグナス・ライスがスターリンによるファシズムを拒否して組織を離脱し、その報復として射殺されたのをきっかけに、自身もフランス政府の支援を受けて亡命した。


 その後1941年、ワシントンのホテルで不審な拳銃自殺を遂げているのを発見された。

  

 

 

 ◆参考

 

the-cosmological-fort.hatenablog.com

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