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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『スターリン時代』クリヴィツキー その1 ――亡命・不審死したソ連情報員の暴露本

 ◆メモ

 著者のワルター・クリヴィツキーは西ヨーロッパのソヴィエト諜報機関長として勤務したのち亡命し、1941年に不審死した。

 著者はロシア革命当時からボリシェヴィキとして働いてきたが、スターリンの所業――集団餓死、大粛清、スペイン内戦における不正、ヒトラーとの融和――を目の当たりにし亡命し、1937年から暴露を始めた。

 

 ……ヒトラーとは、偽善的に執着していた社会主義的言辞とマルクス主義的訓練の名残の点だけで異なる一人の専制君主に自分が使えていたのだと、わたしは、肝に銘じたのだった。

 

 ……真実こそが第一の武器であり、殺人はその本来の名で呼ばれるべきだと認めるだろうと、考えるのである。

 

 

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 1 スターリンヒトラーを宥和する

 1934年当時、著者は赤軍参謀本部諜報部(GRU)に所属していた。

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 スターリンは一貫して親独派であり、脆弱な民主主義国よりも全体主義国家、そして独裁者に敬意を払った。

 政権掌握後、ヒトラー国防軍赤軍の秘密軍事協力を打ち切っても、スターリンヒトラーへの擦り寄りは変わらなかった。

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 スターリンは、ヒトラーソ連に対し借款をおこなった事実をもって、ドイツが戦争をしかけてくることはあり得ないと豪語した。

 

 1935年9月から、著者は西ヨーロッパの諜報網担当となった。

 

 日独の秘密協定を著者らのスパイ網が事前入手し報告しても、スターリンの媚態は変わらなかった。

 結果、1939年8月の独ソ不可侵条約に至った。ヒトラーの増長は、イギリスとソ連の宥和政策の結果といえる。

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 2 共産主義インターナショナルの最後

 インターナショナル(コミンテルン)は1919年に設立されたレーニンの遺産であり、ロシア式の暴力革命を伝播させようという目的をもっていた。

 しかし、ソ連に協力したほとんどの外国共産党員・活動家はその後粛清されている。それは、レーニンスターリン等指導者の方針変更に伴い、かれら各国の有力者が邪魔になったからである。ドイツ、ポーランド等。

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 OGPUに務める諜報部員も、兵役のために赤軍で勤務する必要があった。

 

 1923年ドイツにおける共産主義者蜂起は、コミンテルン司令部のジノヴィエフらの稚拙な指揮により失敗した。その責任は、当時のドイツ共産党指導者が負った。

 コミンテルンはドイツ、ポーランドハンガリーエストニアブルガリア等各国でテロ、暗殺、宣伝工作等に励んだが成果は得られなかった。

 

 重要なのは、コミンテルンの真の仕組み、すなわちOGPUと軍事諜報部(GRU)との密接な関係である。

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 コミンテルン参謀本部はOGPU職員が厳重に警備している。また、コミンテルンの実権を持つのはOMS(国際連絡部)であり、人事と財政(非合法資金の送達)を担った。

 各国大使館にはOMS職員が身分を偽って勤務していた。またOMSは旅券の偽造・詐取を任務とした。

 共産党への宣伝活動もOMSの重要任務の1つでらう。

 

 外国人共産党員は、OGPUと軍事諜報部に乗っ取られたコミンテルンの手先として扱われる。しかし、ソ連共産党の脅威になりそうな外国人はソヴィエトに呼ばれ、閑職に追いやられる。

 大粛清時、ホテル・ルクスに滞在していた外国人活動家のほとんどは処刑された。

 

 

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 3 スターリンのスペイン内戦干渉

 スターリンは当初フランコの反乱に沈黙していたが、やがて秘密裡に共和派を支援することを決定した。不干渉主義を貫く英仏にかわってスペインをコントロールし、ドイツとの交渉に利用するためだった。

 スペイン共和国は民主主義者、共和主義者、サンディカリスト社会主義者アナキストらからなり、共産党は少数派だった。

 スターリンは秘密援助と同時に、スペインにOGPU支部(ヤゴダが担当)を設置し、義勇兵や反共産党分子を統制しようと試みた。

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・ヤゴダ(のちエジョフ)を責任者とした各国からの武器密輸

スターリンはカタロニア(バルセロナ)を拠点とする反スターリン派共和派を敵視しており、その他義勇軍、国際旅団をクレムリン支配下に置こうと画策する

・ベルジン将軍率いるロシア軍特派部隊はスペイン人から隔離された

・国際旅団はOGPUとコミンテルンが組織し、有名人のクレベールは義勇兵ではなくGRU所属の軍人だった。

陸相カバリェロ、ソ連共産党員スタシェフスキーによるスペイン共和国財政のコントロール

・OGPUがスペインで粛清を開始し、クレベール将軍や多数の外国人義勇兵が逮捕・処刑された。

 

 

 スペインでのスターリンの役割は、見苦しい結末に近づきつつあった。……かれは神の勇気が欠けていた。かれはスペイン人民の独立に対しては、勇敢に勝負を挑んだが、フランコに対しては弱腰だった。スターリンは殺人の陰謀には成功したが、戦争の遂行には失敗した。

 


 スターリンはやがて戦争から手を引き、スペインの金だけをうまく手に入れた。
 

 [つづく]