クリヴィツキー、ゾルゲ、日本人スパイ「エコノミスト」等の事例を参考に、昭和前半期における日本政府の内部情報のほぼすべてが、スターリンに伝達されていた事実を明らかにする本。
1 クリヴィツキー
クリヴィツキーはスターリンの工作員だったが亡命し、告発書を刊行した。
トロツキーはクリヴィツキーの著作を引用し、スターリンの秘密警察・工作員体制を批判した。
クリヴィツキーはウクライナ生まれのユダヤ人で、1925年頃から情報関係の仕事に従事した。1930年代、オランダのハーグにおいて諜報機関に勤務し、日本の暗号電報の解読を通して、日独防共協定による対ソ包囲網の情報を入手した。
スターリンは、ドイツにおける1934年の「長いナイフの夜」を、政権強化のための素晴らしい行動であると評価した。
かれは一貫してヒトラーを尊敬しており、親独路線を追求させた。
こうした事情を正確に把握していれば、独ソ不可侵条約は予測できなかったわけではない。
スターリンの親独路線を暴露したクリヴィツキーの記事は、日本においても翻訳され、『文芸春秋』に掲載されたが、陸軍はこれを握り潰し、政府も黙殺した。
大島浩とリッベントロップは日独防共協定に向けて外交調整を実施していたが、それらはすべてソ連に傍受され、スターリンに掌握されていた。
2 ゾルゲと諜報団
ゾルゲと、日本における協力者の説明。
ゾルゲは第1次大戦中、ドイツ兵として参戦中負傷し、マルクス主義に接近した。その後、コミンテルン職員となったが脱退し、赤軍の情報関係部署に配属された。
かれは上海で情報業務に就いた後、1933年に、ドイツ有力紙の記者、ナチ党員という肩書を得て日本に侵入した。
かれはドイツ大使館の信頼を得ることに成功し、日独の幅広い情報をモスクワに報告した。しかし、ゾルゲは、粛清されたブハーリン系統の人脈だったために、スターリンはかれの情報をほとんど活用しなかった。
尾崎秀実は新聞社から御前会議の情報を入手し、ゾルゲに渡した。それは、独ソ戦開始後も、日本は北進はせず、南進するというものだった。尾崎は、コミンテルンによる世界革命が実現されると信じており、ゾルゲについても、赤軍情報部ではなくコミンテルンの所属だと信じ込んでいた。
3 ゾルゲと赤軍第4本部
ゾルゲ及び、協力者であるドイツ人クラウゼン夫妻は、自分たちが赤軍第4本部の指揮下で働いていることを知っていた。
一方、尾崎秀実らは、ゾルゲがコミンテルンに属していると考えていた。
現在ではコミンテルンがソ連の一機関であることが明らかになっているが、当時、コミンテルンはソ連の国益ではなく、世界革命に奉仕するものだと考えられていた。
日本の検察庁は、赤軍やソ連政府のスパイを結社として定義することができないので、あくまでコミンテルンのスパイという扱いにより治安維持法を適用した。
4 オット駐日大使
ゾルゲを友人としてドイツ大使館に迎えていたオット大使は、ゾルゲ逮捕に驚いた。その後、更迭され、終戦まで日本で生活した。
5 トルストイの暗号解読
スターリンは独ソ戦開戦時、日本が対ソ戦争を始めるかどうかに強い関心を持っていた。
当時、日本の軍事情報を収集していたのはゾルゲだけではなかった。
NKVD暗号解読部門のセルゲイ・トルストイは、日本の外交電報暗号、通称「パープル暗号」の解読に成功した。かれらは、日本が北進する可能性は低いという情報をつかみ、モスクワに報告した。
これを受けて、スターリンは極東ソ連軍を対独戦に割り当てることができた。
以上の事実は、KGB職員ミトロキンが亡命によってイギリスに持ち込んだ文書群から明らかになった(ミトロキン文書)。
6 エコノミスト
第3の情報源として、日本政府内部の協力者「エコノミスト」が存在した。
対日スパイ養成担当として日本で勤務し、後にアメリカに亡命したラストボロフの告白文を参考に、「エコノミスト」とは北樺太石油会社勤務の高毛礼茂ではないかと推測する。
45年ヤルタ会談によってソ連の対日参戦は決定していたが、日本の戦争指導部はこの事実を知らず、最後までソ連が英米との仲介役になってくれるのではないかと期待し、様々な働きかけをおこなっていた(樺太の譲渡案等)。
***
ソ連は複数の情報源を日本に潜伏させ、軍事外交情報のほぼすべてを収集することに成功した。
一方、日本は、連合国の方針について最後まで見極めることができなかった。
諜報と防諜は国家の保全にとって極めて重要であることがわかる。
***
参考文献
クリヴィツキー『スターリン時代』
『ヴェノナの秘密』
『スターリン――その謀略の内幕』
クリストファー・アンドルーのミトロキン文書についての本2冊。
『KGBの内幕』
スターリンの対日情報工作 クリヴィツキー・ゾルゲ・「エコノミスト」 (平凡社新書)
- 作者: 三宅正樹
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2010/08/11
- メディア: 新書
- 購入: 2人 クリック: 6回
- この商品を含むブログ (16件) を見る