うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『戦争の記憶 ――日本人とドイツ人』イアン・ブルマ その2 ――中東欧の子供に殴られた東ドイツの子供

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 戦犯裁判

 戦犯裁判は政治的なものなのか、八百長、勝者の意図なのか。

 東京裁判の欠陥は、西洋的な公正さ、法の運用を掲げながら、真の指導者である天皇がまったく登場しないことである。

 

 この裁判は、日本人に自分の過去を理解させ受け入れさせる役には立たず、それどころか、冷笑し、憤慨する姿勢を残した。政治裁判というのは政治的に捻じ曲げられた歴史を創り出してしまう。

 

 木下順二の戯曲が伝える主張について。

 

 ポイントはただひとつ、自分の罪を裁かなければならないのは観客席にいるわれわれ自身だ。

 

 天皇不在の東京裁判や、冤罪の多いBC級戦犯にまつわる不公正によって、日本人は自分たちの罪を正しく認識する機会を失った。日本人の歴史館はその後歪められることになった。

 

 

 ドイツの教科書

 東ドイツでは、国民は反ファシストの子、ブルジョワ独占資本の権化ヒトラーと戦った、英雄の子だと教育されていた。実際にチェコポーランドに行ってみるとかれら東ドイツ人は侵略者の扱いを受けた。

 一方西ドイツは自分たちを罪を犯した人間と認識するよう努めた。そこで取り上げられたのはヒトラー暗殺計画や抵抗運動だった。

 

 両ドイツとも、その歴史の教科書には、レジスタンスの遺産の上に築かれたのだと書かれていた。……歴史的人物と同じ民族なのだという意識を高めるのであれば、たとえばハインリッヒ・ヒムラーのような人物よりもフォン・シュタウフェンベルク伯爵と同じ民族だと思う方がよいに決まっている。

ja.wikipedia.org

 

 東ドイツにおいては、英雄崇拝に幻滅した若者が、ネオナチとなった。

 しかし、レジスタンスを評価する歴史は、ドイツ人に「異議申し立て」の価値観を獲得させた。

 

 

 日本の教科書

 日本には抵抗の歴史がなかったが、戦後の教科書裁判で抵抗を続ける家永三郎が肯定的に描かれている。

 マルクス主義は、戦前の国家主義を相対化する枠組みを提供したために多くの知識人をひきつけていた。

ja.wikipedia.org

 

 

 記念館と博物館

 ドイツの歴史保存行為、記念館設置と、日本の靖国神社知覧特攻平和会館について。

 

 ……戦争の主役たちがそんなにも英雄的で純粋な理想を抱いていたとしたら、子供たちはどうして、戦争が悪いなどと思えるだろうか。……氏や会館の設立者たちは、血に飢えた残虐な人たちではないし、戦争を擁護するわけでもない。ただ、昔から戦争スローガンの基盤になってきた自己犠牲、忠誠心、神聖なる大義などの理想を深く信じている。

 

 旧東ドイツの博物館は、共産主義的な世界観から転換する必要に迫られた。

 慰霊が目的なのか、記憶を振り返るのが目的なのか。

 

 記憶は宗教的でも非宗教的でもありうる。どちらも有効だ。しかし、2つを混同してはいけない。

 

 

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 ホロコーストや広島といった出来事を歴史家するには長い時間がかかる。批評家視点で分析すること、世俗化することはまだ困難である。

 

 ドイツの国会議員イエニンガーは、ナチス時代を悪魔化するだけでなく、なぜ国民をひきつけたかを再検討しよう、どこに魅力があったのかを検証しよう、と演説した。これはナチスを悪魔ではなく人間に近い存在として、つまり現代ドイツ人に近い存在としてとらえるものだったため非難された。

 長崎市長本島は、天皇に戦争責任があると発言したため右翼や保守派から攻撃され、狙撃された。

 天皇無罪神話はいまだに根強く残っている。

 

 ドイツのパッサウや、花岡では、過去の行為(ナチに加担したこと、中国人強制労働者数十名を拷問殺害したこと)を暴いた人間が共同体から攻撃を受けた。

ja.wikipedia.org

www.washingtonpost.com

 

 だれでも、つらい過去には無関心でいたいからである。

 

 真珠湾ホロコーストと比べるのは、もちろん無意味だし、日本帝国海軍の元軍人たちはナチスとは程遠い。しかし、一国のスポークスマンが、自国に戦争を始めた責任があるといまだに認めようとしない国を信用できるか、というアメリカ人の気持ちはわかる。日本が言い逃れするのを見ていると、ききわけのない子が、「なにも悪いことはしていない、みんながやっているじゃないか」とわめいて足をバタつかせる様子を連想させられる。皆と同じだ、という主張はとりわけ奇妙に思える。日本人が、自分たちは文化、民族、政治、歴史のすべての面で独特だ、というのを私たちはいつも聞かされているからだ。

 

 東京ディズニーランドのミート・ザワールドについて……過去の日本の歴史をたどるというアトラクションだが、黒船来航の後に、突然、日本のハイテク機器によろこぶ世界の人びとが映し出されて終わる。

 


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 あとがき

 

 ノーマルな国とは、その国のリーダーの抑圧から人びとを守る政治の諸制度ができている国のことです。ノーマルな国とは、――必要な時は武力をもって――自国を守り、外国の制圧を受けた国を助けることができる国のことです。ノーマルな国とは、自分たちのリーダーを自由な意志で選ぶことができ、過去と現在についての情報の自由があり、討論の自由がある国のことです。

 

 この点で著者は、日本の過去の侵略を認め謝罪し、同時に自衛隊の合法性を認めた村山首相を評価している。

 

戦争の記憶―日本人とドイツ人

戦争の記憶―日本人とドイツ人

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