うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『初めて人を殺す』井上俊夫 ――ある日本兵の回想

 日中戦争従軍者によるエッセイ集。著者は大坂で詩人として活動してきたとのことである。

 内務班でのリンチ、現地人に対する略奪、捕虜の殺害等、多数の回想や公文書・記録に残された事象を実際に体験した人物の回想録。

 

 

 1

 今、靖国神社にやってくるのは「腹にいちもつある政治家や遺族会のボスども」だけである。一度奉じられた英霊は遺族の故郷に戻すことができない。

 

 

 2

 著者は自身の体験から、昭和天皇に対し批判的であり、反天皇的な詩も発表している。

 

 遺族会や保守派政治家は、侵略戦争という定義に反対するが、「……いかにも戦死者の尊厳を守り、名誉を重んじているかのように見えるが、その実これは、なにがなんでも日本の侵略を認めまいとする連中が、死者を利用して展開する、復古的な戦争観のキャンペーンにほかならないのだ」。

 

 著者は、死んだ友人たちの声を代弁する。

 

 「俺たちも『朕』のように長生きしたかった!」と。

 

・兵の大多数を占める上等兵二等兵にとっては、戦闘と同じくらい私的制裁やしごきが苦痛だった。

・戦友会の会合に参加した著者は、当時の小隊長(少尉)から、捕虜虐殺について話を聞いた。中国駐屯部隊に現地入隊した著者は、基礎訓練を受ける過程で、木に縛り付けた中国人捕虜を銃剣で刺殺した。少尉の言葉によれば、ほぼすべての部隊が捕虜を連隊本部から配分し、刺殺や斬首の訓練に使用していたという。

 また当時の中隊長は同性愛者で、自ら捕虜を斬首することで性的興奮を得ていた。

 

 「もともと中国人という人種はなにかにつけて程度が低く、かれらはその日その日をなんとか過ごすための粗末な食いもんと衣服と家さえあれば満足している民族やからな」

 

・元将校や兵隊の圧倒的多数は、戦中からまったく変わらない戦争観・中国人観を持っている。近年ではかれらは、そういった言説を歓迎する政治家や企業の空気を敏感に感じ取っている。

・著者は、歩兵部隊から航空部隊の気象小隊に転属したが、勤務内容は非常に事務的・技術的なものだった。

・占領した地域では、外出や町をふらつく余裕もあり、著者は武昌の売春宿に通い詰めた。

・兵士たちは、中国・朝鮮の女性に対する性的な憧れを抱いていた。それは、古今東西の侵略軍が抱くものと同様である。人はみな敵国に対し殺戮願望と姦淫願望を抱く。

 兵士たちにとって慰安婦は懐かしい思い出だが、当人たちの多くは、中国や朝鮮その他の国から、半ば強制的に・詐欺的に連れてこられたのだった。

 

・8月15日の靖国神社の光景……日本会議と「英霊にこたえる会」が主催する集会、コスプレ男たち、右翼団体

 

・「英霊にこたえる会」の末端にいた元兵士たちは平凡な市民が多く、国家主義的な言説に賛同するような雰囲気ではなかったという。遺族たちの大半も、純粋な気持ちで墓参りに来る未亡人や子供、孫たちである。

 

 

 3

 初年兵として中国に派遣されたときの生活を回想する。大部分は内務班での出来事からなる。

 中国江西省南昌近郊の駐屯地は、軍が中国人から接収した屋敷を利用していた。著者は中国伝統家屋を改造した内務班で生活した。内務班では、約23人の兵を2人の古参兵(兵長上等兵)が監視・監督していた。

 

 歩兵八書…『歩兵操典』『作戦要務令』『諸兵射撃教範』『軍隊内務書』『陸軍礼式令』『衛戌令・衛戍勤務令』『陸軍刑法』『陸軍懲罰令』

 

・戦地でも内務班の私的制裁は存在した。軍は私的制裁があまりにはびこっているのを問題視していたが、最後まで解決しなかった。

 

・幹部候補生試験の資格は中卒以上であり、ある程度の富裕層に限られた。また、合格のためには、上官へのごますりが必要だった。

 

・中隊長は同性愛者で、新兵の中から好みの若者を選び部屋番にし、性行為の対象にしていた。

・兵隊は選抜により上等兵兵長下士官になる道が開けているが、要領のよさと、上官のえこひいきが不可欠である。

・治安維持のために近隣の集落にいき、銃剣を構えて家屋を一斉検問した。

 

 いつも上官にいびられ、小さくなって暮らしている私たちであるが、中国人に接するときだけは、なんの遠慮会釈もいらなかった。私たち初年兵が威張れる相手は中国人だけしかいなかった。

 

 著者ら初年兵はある朝、非常呼集で起こされた。かれらは木に縛り付けられた中国人捕虜を銃剣で刺し殺すよう命じられた。これは部隊が必ず新兵にやらせている訓練である。

 

 

  ***
 あとがきから:

 著者は自分の従軍体験を内省するつもりで文章を書いており、反戦活動家として喧伝することを目指しているわけではないという。

 

 戦争には楽しい面…国家・組織と一体化する感覚、後輩しごき、異国の女を強姦する等があり、平和に慣れた若者でも簡単に適応してしまうだろう。

 戦争の反省が適切になされたとは言い難く、平和・反戦はダサくてかっこ悪いものになったと、80歳過ぎの元兵隊でさえ感じ取っている。

 日本兵の大半は善良な市民であり、狂っていたわけではない。だからほとんどの兵は反乱や不服従などの罪を犯さなかった。かれらは大日本帝国の命令に忠実に、敵兵、捕虜、民間人を殺害し、略奪、放火、強姦を行ったのである。

 

 すなわち、戦争を企て、独善的な大義名分でもって国民を説得し煽動して、戦争に駆り立てるのは、おのれ自身は絶対に危険な戦場に立つおそれがない大統領や首相と呼ばれる最高権力者であり、その傍ら近くにいる中高年の政府高官や高級軍人、それに与党の政治家たちである。そして、そうした連中の命令を受けて第一線でありがたく名誉の戦死をとげさせてもらえるのは、権力者を批判したり、それと戦ったりする術をもたない、素直で従順な若者たちと相場が決まっているのだ。

 

 おわり

 

初めて人を殺す―老日本兵の戦争論 (岩波現代文庫)