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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『戦争の記憶 ――日本人とドイツ人』イアン・ブルマ その1 ――中東欧の子供に殴られた東ドイツの子供

 ◆メモ

 特に加害者としての記憶とどう向き合っているか、ドイツと日本を比較する本。

 タイトルは、東ドイツの教育をめぐるエピソードとして紹介されていたものである。

 

 東ドイツでは、子供たちは反ファシストの子、ブルジョワ独占資本の権化ヒトラーと戦った、英雄の子だと学校で教育されていた。

 実際にかれらが修学旅行でチェコポーランドに行ってみると、侵略者扱いされ、町の子供に殴られた。

 

 

 著者はオランダ出身のジャーナリストで、長年NYタイムズブックレビューなどで活動していた。

 本業は日本・中国に関する芸術・文化批評だが、イラク戦争を支持したアラブ史学者バーナード・ルイスに対するコメントが印象に残っている。

 

 It is a common phenomenon among Western students of the Orient to fall in love with a civilization. Such love often ends in bitter impatience when reality fails to conform to the ideal. The rage, in this instance, is that of the Western scholar. His beloved civilization is sick. And what would be more heartwarming to an old Orientalist than to see the greatest Western democracy cure the benighted Muslim? It is either that or something less charitable: if a final showdown between the great religions is indeed the inevitable result of a millennial clash, then we had better make sure that we win.

(ブログ作者要約:西洋人のオリエント研究者にとって、その文明と恋に落ちることはよくある現象である。こうした感情は、理想と現実のギャップに直面し、大抵、悲痛な不寛容にいたる。ルイスの例でいえばこの怒りは西洋学者の怒りである。かれが愛した(イスラム)文明は病んでいた。であれば、偉大な西洋民主主義が、迷走するムスリムたちを治療してくれること以上に、年季の入った東洋学者にとって心温まることがあるだろうか? 同時にこれはただの慈善行為でもない。宗教同士の最終決戦が不可欠であるなら、我々はその戦いに勝つべきなのだ)

 

en.wikipedia.org

 

 著者が強調したかったのはドイツ・日本の両国の共通性であり、民族や文化の相違を超えた部分だったという。ドイツにも、過去の行為に対し、恥を恐れて沈黙を強いる風潮はあり、一方日本にも罪の意識は存在する。

 ドイツ人はこういう民族だ、日本人はこういう民族だ、だからかれらは更生しないのだ、という言説に著者は反論する。

 加害者としての過去と向き合ってきた西ドイツと異なり、東ドイツ、日本はそれを回避してきた。

 日本の戦争認識を一層歪める要因となったのは、東京裁判である。

 

  ***

 敗戦国であるドイツと日本では、戦争の記憶はどのようなものなのか。

 ドイツ占領軍とオランダの複雑な関係……ゲルマン民族に分類されていたオランダ、占領の屈辱について。

 

 ドイツ人たちの記憶とはどのようなものなのか。

 

 ……もちろん、ナチスがその犠牲者より人間的だったというつもりはない。しかし、彼らの方が人間的でなかったと考えることも――たぶん、そのほうが心休まるだろうが――やはり間違いであろう。

 

 ヨーロッパ人戦争捕虜に対してどんなことをしたか日本人はほとんど記憶していない。

 


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 1

 ドイツ

 ドイツのイスラエルに対する感情の変遷、罪悪感からくる遠慮について。

 戦後、ほとんどのドイツ人は親ユダヤ主義者になった。一方、その子供たち、学生運動世代は、イスラエル軍国主義に激しく反発した。

 ヒトラーの評伝を著したヨアヒム・フェストは、ドイツがノーマルな大国に戻るべきと考える立場であり、ヒトラー時代の罪悪感からドイツが湾岸戦争に積極的支援を行わないことを嘆いた。

 ドイツは戦後、日本と同様の反軍・反省的な傾向を持った。

 

 少なくとも二世代のドイツ人は戦争放棄、二度とふたたびドイツ兵を前線に送らないという教育を受けてきた。言いかえれば、ドイツを「スイスを大きくしたような国にする」という教育である。ところが、その一方でかれらはイスラエルの運命に責任を感じ、かつ西側同盟諸国のメンバーとしての自覚を持って、西洋の国家の市民として生きることも教えられた。問題は、はたしてそれが両立するかということだ。もしフセインがほんとうに第二のヒトラーであり、ドイツがユダヤ人を助けられないとしたら、どうすればいいのか?

 

 戦後第一世代には、ナチスとの継続性を連想させるあらゆるものに対する拒否感があった……東ドイツドイツ統一、戦争、野蛮な「アジア」世界(アデナウアーは、ナチはアジアだといった)。

 あるドイツ人は、歴史認識に関して日本と同類扱いされることを嫌がった。

 

 どうか、お願いだから、共通点だけを強調しないでほしい。われわれは日本人とはぜんぜん違う。われわれは日本を強大な国にするのに手を貸すつもりはない。われわれはごく普通の国民、ノーマルな国民なのだ。

 

 

 日本

 著者は湾岸戦争前夜に、防衛庁幹部にインタビューを行った。

 

 日本人はドイツ人に親近感を覚える(規律、几帳面、まじめなど)が、ドイツ人は日本人……アジア的な、集団主義的な人びとと一緒にされることを嫌がる。

 

 日本は19世紀から20世紀にかけてドイツから多くのことを学んだが、それはもはや今の西ドイツのリベラルな気質とは相いれないものなのだ。

 

 日本の平和主義者はすべての戦争を等しく否定する。

 

 ドイツと日本の場合、平和主義は歴史的な罪悪感をやわらげる高潔かつ好都合な方法として機能してきた。あるいは、逆に、罪の意識に耽ることによって、平和主義は国家の罪悪感を美徳に変貌させ、自己満足にひたっている他国とくらべて、ある種の優越感すらもたらす。これはまた歴史的近視眼の原因ともなり得るのである。日本人の思考には、人種、西洋人とアジア人に固執する傾向がある。

 

 亀井静香は典型的な保守政治家として描かれている。

 

 日本人が西ドイツ人にくらべて、自分たちが他国民にもたらした苦しみにさほど注意を払わず、責任転嫁する傾向が強いというのは事実である。そして、リベラルな民主主義は、紙の上ではどうであろうと、日本では西ドイツほど成功していない。

 

 著者の日本評……国家としての主体性がない。無気力であり、政治的な小人。

 敗戦後の、一掃作戦……ドイツはナチズムを排除すればよかったが、日本は伝統的な文化が無作為に禁止された。

 

 戦後、西ドイツは西側に急激に同化していき、自分たちの戦争犯罪やナチの行動を忘れようとした。

 

 

 公職追放とその揺り戻し

 アメリカの指令による非軍国主義化と、反米主義 現在もアメリカの支配下について。
 アメリカのもたらした恩恵と、屈辱感について。

 

 

  ***

 2

 アウシュヴィッツ

 アウシュヴィッツは戦後ドイツ人の精神、ドイツ文化、芸術、創作などのあらゆる領域に影響を与えた。

 ドイツの芸術家たちはアウシュビッツを直接描写することを避けてきたが、その流れを変えたのはハリウッド製テレビドラマ『ホロコースト』だった。

 

 『ホロコースト』はメタファーや暗示が歴史を生かすには不十分だということを証明した。

 

 

 

 アウシュヴィッツをドイツ人の性質にのみ帰すことは自己陶酔につながる。

 

 ……「ドイツ人は崇高な音楽や言語に絶する犯罪をやってのける人種的能力が備わっている」という倒錯した自負となるだろう。

 

 

 ヒロシマ

 原爆に関する様々な解釈について。

ソ連をけん制するための投下

・人種差別に基づくジェノサイド作戦

 

 占領時、アメリカは原爆に関して被害者意識をもたせないよう厳しい検閲を行った。その反動で、原爆は強い反米感情とともに語られるようになった。

 ヒロシマを宗教的な、アウシュヴィッツに似た存在にしようとする試み。

 

 香月泰男のシベリア抑留画は、シベリアにとどまらない広い世界を示す。

 

 広島のある博物館は、施設を平和の拠点として強調するため、侵略の歴史を展示することを拒否した。また、アウシュヴィッツ記念館を広島に建てる計画は、南京事件記念館も併せて建てたいという主張が起こったために流れた。

 

 大久野島の毒ガス工場を、政府は1970年代まで認知しなかった。

 

 日本人が広島の地下に毒ガスを埋めたという事実……その事実は平和記念公園を、そこにある寺院もひっくるめて、もっと歴史的な観点から見直させるものがあった。

ja.wikipedia.org

 

 南京

 南京は、侵略者としての日本を象徴している。一方、南京否定派は学問の世界では相手にされていないが、政治家や一般市民から広い支持を得ている。

 ルース・ベネディクトの「罪の文化・恥の文化」論は一面的であり、日本人も、西洋人と同じように罪の意識を持つ。

 南京の証言者たちについて。

 

  ***
 [つづく]

 

戦争の記憶―日本人とドイツ人

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