うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『特高警察』荻野富士夫 その1


 特高警察の概要について説明する本。特高警察の制度、運用については、現在の公安警察にも残されているという。

 回想録に書かれている憲兵と同様、かれらも逃げ足が非常に早く、敗戦間近になると幹部たちの職場放棄が散見され、また書類の焼却がさかんに行われた。

 

 1

 特高警察が正式に発足したのは1911年である。

 それ以前は、警保局の中に自由民権運動を取り締まる部署(高等警察)が存在した。憲法施行や帝国議会開設などの出来事に際して、警戒や取締りが行われた。

 日清戦争後、藩閥政府と政党との妥協が進んだ時期には、高等警察は縮小する。しかし、日露戦争後、足尾鉱毒事件の反対運動、労働運動、社会主義運動、デモクラシー運動等、種々の社会運動が活発になるにつれて、その監視の需要が高まった。

 

・1900年 治安警察法、行政執行法施行……デモ・集会の取締り、予防検束、結社の禁止

・1910年 大逆事件……幸徳秋水ら26名が逮捕、24名死刑判決、12名死刑執行

 平沼騏一郎が中心となって行われた弾圧事件である。

 

・1911年 特別高等警察が発足し、以後、人員予算の増強

・1910年代、第1次世界大戦終結ロシア革命にあわせて、デモクラシー、社会主義の運動が再び盛んになった。

・1928年 三・一五事件……田中内閣による共産党員大量検挙。以後、昭和天皇大礼に併せて、警備と監視の強化が図られた。

在日朝鮮人取締りは「内鮮警察」の担当である。ロシア関係には外事係がついた。

 

 2

特高警察の機能……治安維持、社会秩序の維持

・運動を取り締まるだけでなく、国民を観察し、国民思想を指導する役割

内務省警保局保安課を司令部とする強力な中央集権組織である。保安課には文書、庶務、右翼、宗教、左翼、内鮮、労働・農民、外事、調査の係がある。保安課と並んで、図書課(検閲課)、外事課、経済保安課がある。

内務省エリートの指揮の下、各府県の特高課、各警察署の特高係が実務を担当した。

・ある県警特高課の年間業務……報告資料作成、講習会、発禁出版物取締り、軍人遺族慰問視察、落書き取締り、要視察人名簿整理・基礎調査、農村座談会、不良新聞記者取締り、朝鮮人一斉視察、予算要求、邪教一斉取締まり、小作争議未然防止

・社会情勢の観察のために、一般警察官も特高のために活動し、報告した。

・市民を観察し、また言動を報告し、指導・説諭することも重視された。

・司法省管轄下の思想検事、また軍の思想憲兵とは業務が競合する箇所があった。特に、満州事変後に憲兵の活動は広く一般社会へ拡大していった。

 

 3

 特高警察の目的、意義は何か。

 

 ――国家の生命を維持するための力であって、どこまでも清い、国家の活動の最も源泉となる力強い警察でなければならぬ。

 

 ――いわゆる反国家運動、すなわち国家の政治的法律的存在を危うくせんとする運動の取り締まりを任務としているもの。

 

 ――特高警察は国家的正義を第一義とし、社会的正義はこれに従属すべきもの。

 

 国体擁護のためには、地方の凶悪事件は放っておけ、という警保局保安課の発言が残されている。

 特高の業務は予防に特化しており、いかに危険思想を取締り、未然に拘束、処罰するかが重用だった。

 

治安維持法は当初朝鮮では積極的に用いられた。国内での運用は慎重だったが、やがて拡大解釈がなされ、威力を発揮した。

・治安警察法、行政執行法、その他戦時の法律も適用された。

・当時の警察では拷問が蔓延していたため、特高でも用いられた。横浜事件では4人が拷問によって殺害され、また三・一五事件における特高の暴力行為を告発した小林多喜二も殺害された。

 建前上は、警察は拷問を否認していた。

・超法規的行為……法令逸脱と無視、予防検挙・検束、長期勾留、「たらい回し」、盗聴、信書抜き取り

 

 「つづく」

 

特高警察 (岩波新書)

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