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『日中アヘン戦争』江口圭一 その1

 日中戦争期、日本は利益獲得を目的として、蒙彊政権、満州国、朝鮮等で麻薬の生産と供給を行った。

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 蒙古聯合自治政府は、蒙彊政権とも呼ばれ、1937年に日本によって内蒙古に作られた傀儡政府である。この政府は興亜院の政策に従ってアヘンの生産と販売に従事し、その売り上げが日本軍の資金源となった。

 満州や中国における日本のアヘン政策はあまり明らかにされていないが、本書は史料を頼りにその細部を明らかにするものである。

 アヘン政策が、中国侵略の重要項目だったことがわかる。

 

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 1 アヘン・麻薬と中国・日本

 アヘンは罌粟から採取される。生アヘンからはモルヒネが精製され、鎮痛剤として用いられるが、依存性を持つ。ヘロインはモルヒネの化合物で、もとはドイツのIGファルベン系列会社の商品名だった。

 アヘン吸引は17世紀、オランダ植民地のジャワから明朝末期の華南にもたらされた。イギリス東インド会社がアヘン貿易を開始し、1840年から42年のアヘン戦争の結果、清朝におけるアヘン吸煙はさらに蔓延した。

 20世紀初頭にはアヘンが国際問題化し、ハーグ条約や国際会議においてアヘン・麻薬の根絶が取り上げられた。

 日本は、戦前の国際アヘン条約について、そのいずれにも調印・批准した。

 中国軍閥はアヘン生産と販売によって資金を調達していたが、1928年成立の国民政府は、孫文の方針にのっとり、アヘンを違法化した(禁煙法)。当時、南京は例外的にアヘン禍を免れていた。

 

 一方日本は、対外膨張にあわせてアヘン産業を拡大させていった。

・台湾……政府はアヘン専売制をとった。

・関東州……1905年、遼東半島を租借し、また満鉄付属地の行政権を手に入れた。関東庁の行政文書では、このとき大連が麻薬密輸の中心地になっていた事実を指摘している。

・朝鮮……1910年併合。アヘン生産が盛んだったため、政府にすべて納入させるようにした。日中戦争にともない罌粟の栽培、アヘン・麻薬の生産が増大し、アヘン供給地となった。

 特に、1937年から38年にかけて、朝鮮は世界最大のヘロイン生産地となった。

 

 中国におけるアヘン・麻薬密売は、日本人と朝鮮人が担った。

・青島・済南での、政府公認によるアヘン密売

・中国中部では、天津・上海が麻薬密輸の拠点となった。日本軍(支那駐屯軍関東軍)の庇護のもと、多数の日本人、朝鮮人が麻薬取引で財を成した。

・1932年成立の満州国、1935年成立の冀東防共自治政府は、アヘン・麻薬の生産・奨励と深く結びついていた。

 

 ――……満州国の専売制などを別として、第1次世界大戦期から満州事変期の日本によるアヘン・麻薬の密造・密輸・販売は、現地の日本軍が関与したり保護を与えたことはあっても、全体としてみれば、悪徳企業や不良日本人の私的な非行であり、犯行であった。この非行・犯行を、日本は日中戦争下に国策として公然と遂行するにいたる。

 

 麻薬生産地は主にインド、イラン、トルコ、中国だったが、1913年以降、大阪府での生産が始められ、茨木市では後藤新平の支持を得た「アヘン王」二反長音蔵が台頭した。

 日本の行政文書や、アメリカ領事の文書、東京裁判の資料などには、中国諸都市(大連、上海、天津、通州など)や日本租界に蔓延するアヘン窟の様子が記録されている。

 

 ――私は胸一面が腐って壊疽様の肉塊をなしており、拳全部を押し込むことのできるような穴が身体にあるアヘン常用者を幾人も見たことがある。こんな腐敗しつつあるかろうじて生命を保っている屍体に、麻酔剤の注射器をつぎからつぎへと差し込むのである。

 

 2 蒙彊・華北占領地のアヘン政策

 傀儡政権……1937年、関東軍はチャハル作戦によりチャハル省、山西省、綏遠省を攻撃し、察南自治政府、晋北自治政府、蒙古連盟自治政府を発足させた。主席は中国人または蒙古人で、最高顧問は日本人が就き、関東軍が内面指導を行った。

 この3つの政府は翌年蒙古聯合自治政府となった。

 [つづく]

 

日中アヘン戦争 (岩波新書)

日中アヘン戦争 (岩波新書)