うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『日本奥地紀行』イザベラ・バード ――残っていないようで残っている日本の風景

 1870年代の日本や韓国などアジアを旅したイギリス人イザベラ・バード旅行記

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 特に、東北の奥地やアイヌの生活が描かれている点が貴重である。

 

 ◆所感

 西欧文明に適合しようと、様々な技術や風習を導入しようとする当時の日本の様子が細かく書かれている。東京では西洋風の建築や衣服、鉄道などが見られる一方、地方は疫病や不衛生、貧しさが目立つ。

 著者の価値観は、キリスト教的な「文明/野蛮」の二元論だが、観察報告は非常に貴重である。

 

・役所の無用な文書仕事は、この時期から指摘されていた。

・警官は皆理性的だった。かれらは外国人である著者を常に監視し、行動には逐一証明書の提示が必要だった。

アイヌは劣等人種として蔑視されていた。また、この当時は、アイヌ人社会と日本人社会とははっきりと隔絶されていた。

・農村や田舎は衛生観念に乏しく、様々な病気の原因となっている。

 

 日本がひた隠しにしたい、しかし今もそこらで面影を感じるような光景が書かれている。

 

  ***

 東京はどこも人力車でいっぱいだった。

 農村から出てきた力持ちの若者たちは、こぞって車夫となった。しかし車夫の寿命はわずか5年ほどで、すぐ心臓病や肺病にかかって死んだという。

 

 著者は人力車や馬に乗って北上していった。

 栃木は非常に賑やかだったが、著者が泊まったのはみすぼらしい、蚤の多い宿屋だった。

 道すがら、立派な宿屋を多くみかけたが、それはすべて売春宿だった

 

 鬼怒川から先に進んだ田舎では、男だけでなく女たちも上裸で生活している。子供は裸だった。皮膚は病気で荒れており、人びとはまったく衣類を替えず生活していた。著者が宿の畳に座ると、床から蚤が湧き出して読んでいる本や毛布の上にとびこんできた。

 

 田舎では、著者の姿を見るために貧しい村人たちが大挙して集まり、キリストと信徒のような光景になった。しかしヨーロッパと違って、単独の外国人女性が侮辱されたり強盗にあったりすることはなかった。

 

 会津坂下では、望遠鏡をふところから取り出そうとしたところ、拳銃と勘違いした約2000人の村人がいっせいに走って逃げだした。

 1870年代の地方はまだ道路状況が劣悪だった。山をまっすぐ上り、まっすぐ下る傾斜の強い道ばかりだった。

 

かれらは礼儀正しく、やさしくて勤勉で、ひどい罪悪を犯すようなことはまったくない。しかし、わたしが日本人と話をかわしたり、いろいろ多くのものを見た結果として、かれらの基本道徳の水準は非常に低いものであり、生活は誠実でもなければ清純でもない、と判断せざるを得ない。

 

 訪問した新潟は、日本でも有数の豊かな都市であり、西洋風の立派な建物が数多く並んでいた。

 

日本人は子供に対して全く強い愛情をもっているが、ヨーロッパの子供がかれらとあまり一緒にいることは良くないことだと思う。かれらは風儀を乱し、うそをつくことを教えるからだ。

 

 東北の貧しい村落はどこも似たような光景で、半裸で皮膚病の人びとが不潔な服装で生活していた。酒乱の女が昼からよろよろと歩いているので、従者の日本人(伊藤)は、外国人にこのような光景を見られて恥ずかしいと言った。

 東北の城下町(山形や秋田)はどれも立派だったという。秋田の病院を見学したところ設備は整っており、医学生は聡明に見えた。

 眼病患者が多いのは、家屋の人口密度が高いことと不潔が原因だということだった。

 秋田の警官はみな士族出身で、特に横暴なところはなく民衆から尊敬されていた。

 

日本の役所はどこでも、非常に大量に余計な書類を書くから、警察に行ってみても、いつも警官は書き物をしている。

 

 通訳の伊藤は非常な愛国心を持っている。

 

スコットランド人やアメリカ人は別として、こんなに自分の国を自慢する人間に会ったことがない。

 

 大衆浴場はまだ混浴が残っており、政府はやめさせようとしていた。

 浴場は、英国でのパブのように、世論形成の場だった。

 

 

  ***
 著者は函館からさらに北海道の内陸・沿岸を旅した。幌別や士別といった土地にはアイヌ集落があり、かれらは日本人と距離を置いて生活していた。

 アイヌの家はポリネシア系に似た高床式で、顔立ちも日本人とは異なっていた。

 アイヌたちは漁業や山中での狩猟・採集で生活を営んでいた。

 

アイヌ人は邪気のない民族である。進歩の天性はなく、あの多くの被征服民族が消えていったと同じ運命の墓場に沈もうとしている。

 

 通訳の伊藤はアイヌ人に対する偏見を持っていた。

 

アイヌ人を丁寧に扱うなんて! かれらはただの犬です! 人間ではありません」

 

 アイヌの文化にも女性に対する独特の格差は存在しており、アイヌたちは外国人女性である著者をもてなす一方、身内のアイヌ女性にはほとんど気をかけなかった。

 アイヌの生活は、著者の分析では臆病・単調で、善の観念を持たぬ、退屈で希望のない神のない生活だった。

 男女ともに入れ墨をしているが、その由来はアイヌ人に聞いてもよくわからないという回答だった。

 結婚は一定年齢に達したら親の同意により行われる。一夫多妻は酋長と、子のない夫妻の場合に認められる。