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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『プリンセス・マサコ』ベン・ヒルズ その1 ――宮内庁による雅子バッシング、皇族への人権侵害

 ◆所感

 雅子の結婚にまつわる話、宮内庁の実態について。本書は宮内庁と外務省から圧力がかかり発売禁止にされかけたとのことである。ウィキペディアによれば、大手新聞・週刊誌のほぼすべてが広告掲載を自粛したという。

 外国人から見た日本の奇妙な点、理解に苦しむ点を多数指摘しており、このような見方もあるのだということを知る助けとなる。

 宮内庁は「黒衣の男たち」として、古代中国の宦官のように描かれている。どこまで本当かは本書だけでは判断できないが、宮内庁と皇室との確執や、雅子や愛子の病気については、国内外の報道や他の本を参考に調査する必要がある。

 テーマは雅子の苦難だが、同時に、日本に残る非人道的思考、中世的な風習を浮き彫りにする。

 

 昨今ニュースで流れる皇位継承秋篠宮家の話題は醜悪としか感じない。

 皇族らが、政治活動を許されず職業選択の自由もなく、税金で養われるしかないというのは人権侵害ではないか。かれらは子供の時から醜いゴシップやスキャンダルに晒され見世物動物のような扱いを受けている。

 

 

 1

 外務省のキャリア官僚である小和田雅子が皇太子と結婚する際、海外紙は「雅子の犠牲」、「いやいやながらのプリンセス」などと報じた。

 

・伝統的な結婚式の様子が描かれる。一部の儀式は、現代から見ると間の抜けた、原始的なものであるため(腹に米ぬかを塗り付けるなど)、非公開で行われた。

・結婚に際して、探偵が活動し、雅子の家系がアイヌ朝鮮人部落民の血をひいていないか、綿密な調査が行われた。

・雅子は皇室に入ると同時に戸籍を失い、運転免許、パスポート、その他すべてを喪失した。

・雅子バッシングの3発信源

 宮内庁……外務官僚の娘である雅子は海外生活が長く、日本人的でない。「恭しさが足りず、自己主張しすぎる」。

 旧華族旧宮家……今上天皇、その息子2人が庶民と結婚することに怒り、恨みを抱いた。

 学習院OG会……「かれらは、皇太子の結婚相手にふさわしいと信じる独身の卒業生リストを提供することまでしていた。皇太子がその全員を却下すると、かれらは怒り、裏で、またメディアに出て反雅子キャンペーンを繰り広げていた」。

 

・批判派は、結婚式の記者会見において、雅子が皇太子より28秒長くしゃべったことを批判した。

 

 ――ちょっとあつかましすぎるように感じました。なんと言っても、しゃべりすぎです。尋ねられていないことまでしゃべっています。アメリカ人のような振る舞いです。

 

 結婚後、雅子の生活、言動、話す台詞すべては宮内庁の役人にコントロールされるようになった。

 

 ――思い出してほしい、この女性は外務省の野心に満ちた外交官、世界最高の大学三校に通い、世界をまたにかけて飛び回り、日本の貿易についての経済学論文を書いた女性なのである。その年何をして楽しんだかと問われて、彼女はこう答えた。

 ――「……今年の夏、クワガタムシがここの、御所の窓の外で、弱っているのを見つけまして……とにかくクワガタが弱っておりましたので、保護いたしまして、飼育いたしました」

 

 2

 小和田家は下級武士の出身であり、父の小和田恆(ひさし)は外務省事務次官になったエリートである。

 小和田恆は、育ちの良い江頭(父親は銀行家、祖父は父方、母方ともに海軍提督)と結婚した。

 雅子は長女として生まれ、モスクワ、続いてアメリカで育ち、やがて雙葉学園に通うようになった。雅子は、多くの帰国子女と同じく、日本人らしさを身に着けるのに苦労していた。

 

 3

 オーストラリアにホームステイした時点では、皇太子は素直で明るく、また国際政治にも関心の高い少年だった。

 30代の皇太子に、かつての友人であるオーストラリア人銀行家が再会したとき、「明らかに泣きたいほど退屈して」おり、「不幸せそう」だった。

 天皇家では、子供は両親から離され、職員によって養育される。今上天皇は、よって昭和天皇からほとんど何も教わっていない。

 

 昭和天皇について……

 ――しかし、実は、裕仁はよそよそしく謎の多い人間だった。どんな質問にも「あ、そう」と答えるあいまいな態度から、アメリカ人からは「ミスター、ア、ソウ」とあだ名をつけられたような人間が、子育てに積極的な役割を果たすところなど想像できない。

 

 浩宮(皇太子)は、父の意向もあり、それまでよりも開放的な環境で育った。

 皇族は、政治から距離を置くのをよしとする風潮から、無害な趣味を持つ。昭和天皇ヒドラ今上天皇は魚類、皇太子は交通の研究に取り組んだ。

 

 4

 雅子の経歴……ハーバード大卒業後、外務省に入省する。

 ある時、宮内庁主催の食事会に招待され(外務省女性新入社員だったためか)、皇太子と出会った。

・官僚の驚くべき長時間労働、家庭の犠牲を顧みない姿勢

・女性に対する社会的な偏見、労働における性差別

 

 5

 庶民出身皇后美智子の教訓……

 

 ――年月が流れ、この聡明で活発な女性、語学が達者で音楽にも堪能な女性はゆっくりと姿を消した。近頃では、棒のように細く灰色の髪をした影のような姿となり……

 

 裕仁の妻良子(ながこ)は平民出身の美智子に冷淡だった。

 日本の皇室は、ヨーロッパのそれと異なり、外国人を遠ざけ、近親結婚を繰り返している。

 

 ――この禁止が不思議なのは、学者ならだれでも知っているように、天皇家自体に韓国の血が流れているからだ。2001年の誕生日の記者会見で、天皇明仁は、桓武天皇の生母が韓国人だったので「韓国とのゆかりを感じて」いると語った。この発言は、日本の排外的な右翼を憤激させた。

 

 雅子に関する身辺調査を通して、宮内庁は雅子排除を試みた。

 

 ――……皇太子がなんと考えようと、かれらは頭のいい、西洋で教育を受けた外交官が皇室にふさわしいとは思えなかったからだ。

 

 雅子の母方の祖父、江頭豊は、水俣病の加害者であるチッソの専務取締役だった。宮内庁は、この問題的な身内の存在を建前に、雅子と皇太子の結婚に反対した。

・外務省入省後、雅子はオックスフォードの大学院に入学した。それ以前に、浩宮もオックスフォードに留学していた。

 [つづく]

 

プリンセス・マサコ

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