うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『日本語の歴史』山口仲美

 この本の目的は、「日本語の歴史に関する専門的な知識をわかりやすく魅力的に語ること」、「日本語の変化を生み出す原因」をさぐること、「現代語の背後にある長い歴史の営みを知る」ことの3点である。

 各時代ごとの日本語の発展をたどることができる。

 

 ――人類の文化が発展するのは、さまざまな素材があり、その素材によって織りなされる文化が違うからこそなのです。違う文化同士が接触し、互いに刺激しあい、総体として人間の文化が発展する。

 奈良、平安、武士の時代、江戸時代、近代という区分けごとに、「話し言葉と書き言葉のせめぎあい」、漢字の導入等の歴史をたどる。

 

 ◆奈良時代

 この時代には漢字が導入された。

 ――話し言葉のコミュニケーションが中心の社会では、現代人の想像をはるかに超えて、言葉そのものが霊力をもっています。

 漢字の輸入によって日本人は文字を手に入れたが、「これが、後に日本の表記体系を複雑きわまりないものにしてしまう原因になる」。

 ――日本のように、書かれた人格や地名をどう読むのか見当がつかないなんて国は、そうざらにあるものではありません。

 古事記序文には、「漢字を使って述べてみると、どうも心に思っていることが十分にあらわされていない。そこで、漢字の音だけを借りる方式で述べてみると恐ろしく文章が長くなってしまう」とある。

 日本語に漢字をあてはめるのは困難な事業で、このため、日本語の読みと表記は世界的に見ても煩雑なものとなった。

 日本語の発音1字1字に漢字をあてはめた万葉仮名が、やがて平安時代になり、「ひらがな」、「カタカナ」を産む源流となる。「万葉仮名の基本は……漢字の意味を捨てて「読み」だけを借りること」である。

 国学者等によってかつて提唱された神代文字は架空のものであり、漢字が、日本最古の文字である。

 ――文字の歴史を考えると、意味と音の両方を備えた表意文字のほうが、音しか持たない表音文字よりも発祥が古い。

 発音は奈良時代には今よりも多く、また現在よりたくさんの「やまとことば」を用いていた。

 一方、中国伝来の、とくに仏教用語も利用された。

 

 ◆平安時代

 この時代には貴族や僧侶が日本固有の文字、さまざまなタイプの文章をつくりだす。漢式和文が行政文書に用いられ、男たちは漢式和文によって日記を書いた。もっともステイタスの高いものは漢文だった。

 日本人は漢文を読むために訓読を発明した。漢語のわきに小さな送り仮名をつけたものが、やがてカタカナとなる。

 ――このカタカナで訓読を書き記す方法は、さらに次の発明に連なりました。なんでしょうか? 漢字カタカナ交じり文の創出、です。

 一方、万葉仮名からはもうひとつの省略形であるひらがなも生まれる。

 ――……ひらがなとカタカナとは、文字体系をささえる思想が異なっているので、出来上がってくる文字が違います。カタカナは漢字の一部をとり、ひらがなは全体を書き崩す。

 ひらがなは一般に女性が使用したが、男性も使った。女性が漢文を読んだり書いたりするのは生意気なこととおもわれていた。

 男性は女性との通信の際、ひらがなを利用した。

 ひらがなは日常の話し言葉に向いているため、物語、日記、随筆等を生み出した。しかし、ひらがな単独だと読みにくいこと、抽象的な漢語をとりこみにくいことから、日本語文の代表とはならなかった。

 漢字カタカナ交じり文は、「根底に論理的な漢文の発想をもって」いて、「最も効率的」だったため、代表的文章となった。

 

 ◆鎌倉室町時代

 この時代に「係り結び」が消滅する。このことは、日本語の構造変化のあらわれである。武士の時代にそぐわない、やわらかい語り口の強調表現はすがたを消した。また、終止形と連体形が一体化する。係り結びの消滅は、「文の構造を格助詞で明示していく傾向」によっておこった。

 ――つまり、係り結びが消滅したということは、日本語がゆるくひらいていた構造から、しっかりと格助詞で論理関係を明示していく構造に変わったということです。情緒的な文から、論理的な文へ変化していることを示しています。

 

 ◆江戸時代

 江戸時代に近代語が生まれた。

 ――言葉の歴史から見ると、江戸時代にすでに現代の東京を中心とする言葉が形成されてきているのです。

 江戸が文化の中心となり、江戸語が共通語的な位置を占める。人称代名詞、「うめー」、「つえー」といったなまりも、江戸が起源である。

 キサマ、オメーは、はじめ敬語だった。

「敬語は使っているうちに次第に敬意の度合いが低くなっていく傾向がある」。

 「だ・である」もこの時代から出現した。

 江戸時代における言語変化は、ことばの政治経済的な要素を教えてくれる、と著者は書く。

 

 ◆明治以後

 明治時代には、話し言葉の統一と言文一致が試みられた。

 1913年、「口語法」(国語調査委員会)により、話し言葉は「東京で教育ある人びと、つまり山の手の言葉を標準とする」ように定めた。

 書き言葉には保守的な面があり、やがて話し言葉とかけ離れていく。その是正運動がおこったが、うまくいかなかった。

 まず、身分社会が残ったため、書き言葉においてエリート思考が残った。次に、日本語では話し言葉の場合、「必ず人間関係のあり方が表現に直接かかわってきてしまう」ため、言文一致が難航した。

 ――公用文が言文一致体を採用したのは、なんと昭和20年。

 

  ***

 日本語は表記と読みの複雑さが課題である。しかし、しっかりと論理性をもった言葉である。

 ――日本語は決して非論理的ではありません。論理的に話を進める訓練がなされていないだけです。

日本語の歴史 (岩波新書)

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