うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『関東軍』島田俊彦

 関東軍の誕生から終焉までをまとめた本で、関東軍研究の古典のようだ。関東軍の経緯についてはこれまでよく知らなかったので、参考になった。

 日露戦争の終結によって日本は関東(山海関以東)を手にいれたが、財政難の状況においてこの土地は金のかかるやっかいな荷物でしかなかった。関東の統治のために、関東総督府がおかれたが、これは陸軍が行政をもつかさどる制度であり、ずさんな経営をおこなったために関東都督府にすげかえられた。

 陸軍、外務省、満鉄がおたがいに方針をめぐって対立し、経営は難航した。

 制度の変更によって関東庁が発足すると、植民地の防衛のために満州駐箚隊が、南満州鉄道の警備のために守備隊が置かれた。この2つの部隊が、関東軍の起源である。駐箚隊は対ソ防衛を目的に配備された「北向きの軍隊」であり、この特性は関東軍が消滅するまで残ることになる。

 関東経営の顛末を読むと、日露戦争後にはすでに膨張主義がめばえていることがわかる。総督府は武力による統治、日本人による満州権益の独占を目論んだが、政府は利害の衝突しない穏健な経済発展を望んだ。陸軍とつながりをもった右翼や大陸浪人たちが大きな力を持っていたため、文治派の官僚が暗殺された。

 関東軍中央政府、陸軍参謀本部の手をはなれて独走を始めるのは、張作霖爆殺事件からである。河本大作を中心に陰謀が進められ、関東権益をおびやかす存在である張作霖を爆殺した。これは、中国内政不干渉を方針とする中央政府の意向に反したものだった。

 一九三一年の満州事変は、石原寛治、板垣征四郎の監督のもとおこなわれた。これも田中内閣の意図に反するものだったが、結局、満州国が成立することになる。

 第二次世界大戦が勃発すると、関東軍ソ連と小競り合いを再開し、さらに張鼓峰事件、ノモンハン事件と大規模な会戦をおこなうが大敗する。ソ連の機械化部隊にたいし、日本陸軍は白兵戦中心でいどんだため、多数の部隊が全滅した。

 以後、関東軍は中国戦線や太平洋戦線に部隊を吸い取られ、ソ連の対日参戦が間近になったときには、満州国を防衛する力をまったく持っていなかった。ソ連軍の侵攻にほとんど抵抗できず、終戦をむかえた。

 関東軍が独走した原因は以下のとおり……「北向きの軍隊」として設立されたため、満州居留民を守る最前線であるという意識が強く、独断をゆるす傾向にあった。参謀本部のなかにも、関東軍工作活動を黙認、容認する勢力があった。とくに、河本大作や石原寛治といった、指揮系統を理解しない軍人を制することができなかった。

 辛亥革命後の中国における軍閥闘争には、常に日本陸軍の影がつきまとっていた。それぞれの軍閥に日本軍人がつき、裏から操っていた。しかし、満州権益に都合のいいように内戦をコントロールすることができず、日中戦争にいたった。

 政党政治が軍隊を統制することができない場合、このような問題が発生する。自衛隊と比較すると、日本陸軍がとてつもなく大きな力をもっていたことがわかる。

 フィクションじみた謀略や工作活動について、関東軍、また日本陸軍はどこから手法や技術を盗んだのかに興味がわいた。

 

関東軍 (講談社学術文庫)

関東軍 (講談社学術文庫)