北条早雲、氏綱、氏康、氏政など、北条家とその妻子、家族についての研究を集積した本。おそらく研究者むけで、延々と妻子の出自や詳細をならべられてもわからなかった。
早雲、すなわち伊勢宗瑞が下剋上で成り上がった下層民ではなく、もとは今川氏の家臣であり、室町幕府の役人であったこと、相模と伊豆の2国を支配下に置いたこと、といった基礎的な情報が得られた。
北条氏康の時代に、検地で調べた生産量をもとに納税額を定める貫高制が確立した。
戦国時代の城は、それまでのものと異なり恒常的に存在し、領主の支配の基盤となった。城を維持するために在番制という制度が設けられ、一定の期間をかわるがわる武将たちが城に滞在し、維持管理、改修、掃除をおこなった。当直かポスト配備のようなこの制度は、戦時には期間や担当人数が変動した。
城の建築や増築には大変な労働力が必要だったので、周辺の農民も動員させられた。
非常時には、城は領民のための避難所になった。本丸は正規軍が占め、二の丸や曲輪には農民たちが逃げ込んだという。
北条氏においては「氏」という字を名にいただくことが、宗家のあかしとされたようである。