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『幕末の天皇』藤田覚 その1

 本書の趣旨:光格天皇天皇の権威復興に力を注いだ。続く孝明天皇は幕府の方針に反対し、鎖国攘夷を強硬に主張した。その後主張を翻すが、過激派を制御できず、結果的に民族主義を高揚させ、討幕運動を巻き起こした。

 明治天皇は新たに王政復古の下で政治を取り仕切った。

 幕末から明治維新にかけて、天皇及び朝廷が政治体制に与えた影響を検討する。

 天皇が、ただ神輿のようにかつがれたわけではなく、自ら積極的に政治活動の主体となっていたことがわかる。 

 

 1 江戸時代の天皇

 江戸時代を通して、幕府は統治の正統性を確立するために天皇の権威を利用した。位階官職の任命は天皇の名で行われ、家康が東照大権現になったのも天皇の許可による。

 日本が神国、神州であるという世界観は、秀吉がキリスト教に対抗した時代に起因する。特に江戸時代後期には、日本国は「皇国」と呼びならわされた。

 「公儀」すなわち国家公権の根拠として天皇が機能した一方、幕府はその勢力が増大しないよう制限をかけた。

 具体的には、「禁中並びに公家中諸法度」によって業務を規制し、違反者には流罪をもって対応した。

 ――天子諸芸能の事、第一御学問なり。

 武家親藩―譜代―外様、旗本と御家人、上級と下級といった厳然たる身分制度を持っていたのと同様、天皇家・公家も身分により秩序化されていた。

 最も高位の階級は五摂家(近衛、一条、二条、九条、鷹司)であり、関白の職を独占した。宮家(天皇の親族)はそれよりも下位である。

 江戸時代後期、天明の大飢饉や江戸・関東での打ちこわし、ロシアの要求等により幕府の権威は低下していく。こうした社会不安を通じて、尊王イデオロギーが生まれた。

 

 2 光格天皇の登場

 光格天皇は後桃園天皇が急死したため遠縁だったが即位した。若干9歳の光格天皇は学問を好み、成長すると自ら政務を行うようになった。かれは天皇の本来の権威と位置付けにこだわった。

 天明飢饉の失策により打ちこわしが盛んになり、天皇へのお参りが大流行した。これに応じて朝廷は救出米の払い出しを幕府に申し出た。以後、朝廷による救済措置は飢饉のたびに実行された。

 ――……光格天皇に強く表れた君主意識、皇統意識は、幕末の激動のなかでますます肥大化して孝明天皇に引き継がれ、その行動・発言に大きな影響を与えてゆくことになる。

 

 3 天皇権威の強化策

 光格天皇による儀式・行事の復興や、消失した御所復旧の際の幕府との交渉についての説明。

 父親に尊号(○○天皇)を送るかどうかをめぐって幕府と対立したが、この時は幕府に敗北した。

 しかし、19世紀初頭はロシアの砲撃等により社会不安が高まっており、幕府も対外情勢について朝廷に定期的な報告を行ったため、後に主導権を朝廷側にとられることになった。

 光格天皇の復古策……

石清水八幡宮賀茂神社の神事等の再興

・「天皇号」の復活(1000年以上、「院」が続いていた)

学習院の創設

・大政委任論の支持

 

[つづく]

幕末の天皇 (講談社学術文庫)

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