うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『足利尊氏』高柳光寿

 足利尊氏南北朝時代についての古い説明書。
 歴史は進歩し、必ず善い方向に向かっていく、と各所で主張しているが、研究方法や内容は事実に基づいており、空想的、理想的なところはない。
 歴史は史料を批判的に検討し、さらに社会の研究によって事実を浮かび上がらせなければならない。古文書には当時の人間の欲望や社会正義が表れている。人間の歴史は、社会正義と独善的な正義との積み重ねで成り立つ。
 ――実際においてこのような正義は、より高級な正義、社会正義へと進歩し変化していくのである。それが歴史であり、そうさせるのが歴史の意志でもある。
 著者の良しとする正義は、生命財産の尊重であり、人格の尊重であり、民主化である。


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 土地制度……中世においては、領主が二重の家に仕えることは珍しくなかった。土地の権利と、住人の権利は分かれていた。幕府が支配するのは国衙領のみであり、そうでない土地は荘園として公家や寺社が保有した。荘園制度の発展は、中央勢力の拡大を意味した。
 尊氏、新田義貞らが北条氏を亡ぼし、後醍醐天皇建武の新政を敷いた。
 公家つまり皇族が強大な力を持っていた古代から、やがて歴史が下り、公家の中の武士階級が独立していき、中世となった。
 鎌倉時代以降、国司の力が弱まり、軍事警察権を握る守護が、領地の実質的支配者となっていった。しかし後醍醐は公家一統を志し、武家の勢力を削ごうとしたため、彼らの反発を買った。
 ――……建武の新政はにおける改革の裏付けとなったものは朝廷の独善的な正義であった。一方から奪って他方に与えたにすぎない。
 足利尊氏は自己防衛と弟の直義を守ることとのために、天皇に叛逆した。しかし、後醍醐天皇に対する恩義は忘れなかった、と著者は考える。それは和歌や、天皇没後の寺の造成に表れている。
 楠木正成は血統の良い尊氏とは異なり、生まれのはっきりしない土豪である。かれは後醍醐天皇に恩義を感じ、天皇のために働いた。公家支配から武士を解放するといいう、尊氏の持っていたビジョンをかれは持たなかったが、忠義を原動力として天皇に仕えた。

 正閏論の問題……明治時代、桂太郎内閣によって本物の神器を持った南朝が正統であるとの政府決定がなされた。宮内省側は北朝も正統として扱っていたが、南朝正統論を叫ぶ一部の人びとの圧力によって主張を変えた。
 南朝正統を主張する人びととは、水戸学の影響を受けた人びとである。明治維新は水戸学に影響を受けた志士たちによってなされた。
 著者は正統論や、神器にまつわる理屈を一蹴している。
 地頭給と半斉の重要性について……公家から武家への権力の移行を加速させた。
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 尊氏は戦争指導に優れており、また朗らかな性格のため広く支持された。一方、弟の直義は主に処罰を担当し、また厳格だったため、兄程の人望を得られなかった。
 明治以降、尊氏は逆賊とされてきたが近年は見直されている。また、尊氏は皇室に対する尊敬の念を持っていた。
 後醍醐天皇の死後は北畠親房南朝の指導者となる。かれは政治能力が高く、多くの武士を味方につけ北朝方と戦った。

 

足利尊氏

足利尊氏