うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『未完の明治維新』坂野潤治

 本書は「未完の」と名づけられているが、明治維新の際のいくつかの失敗を描く。まず、藩士議会成立の失敗、そして健全財政の失敗、……である。

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 明治維新のとき、西郷は強兵論を、大久保は富国論を、木戸は議会論を、板垣は憲法制定論をそれぞれ唱えていた。また、思想家については佐久間象山が強兵論を、横井小楠が富国論を、幕臣大久保忠寛が議会論を唱えていた。

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 攘夷志士からもっとも尊敬を得ていた勝海舟は議会論を唱えており、これは西郷や大久保利通に大きな影響を与えた。また、佐久間象山は徹底した合理主義者で、西欧の科学技術こそ力の源であると考えていた。彼が著した『海防論』は艦隊配備による日本の積極的防衛を主張しており、明治新政府の政策に受け継がれることになった。

 横井は古典儒学をもとに、自然の万物を利用して文明を改善しようという思想をつくりあげた。この理念は西洋の科学思想とほとんど異なるところがない。

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 そもそも大政奉還がおこなわれたときにまだその先は決定していなかった。幕府と佐幕派は再び政権をとろうとし、薩摩率いる官軍は倒幕し実権を握ろうとたくらんだ。王政復古の直後、薩長土の官軍は京都御所で閲兵をすませていた。

 著者によれば、鳥羽伏見の内戦が公議会の設立を不可能にしたのだという。官軍の武力討伐によって、薩長土は最強の陸軍をもつことになる。彼らは軍隊によって革命を遂行したが、このため公議会=議会設立が維新後十数年まで伸びることになった。

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 伊藤博文および井上は大蔵省構想について考えていたが、それは厳密な会計に基づく緊縮財政の傾向をもっていた。ところが大隈が薩摩の政商五大友厚と結託し、大蔵卿井上を追放した。このため健全財政=緊縮財政の道は絶たれた。

 「殖産興業と放漫財政とは同じことではないし、大蔵省の支出厳格化と緊縮財政も同義語ではないとしても、両者はある程度の相関をもっていたのである」。大蔵省は、予算獲得と近代化をたくらむ朝廷と三省(文部省、司法省、陸軍省)に敗れたのだ。

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 御親兵の実数は六千人前後で、一般に伝わっているより少なかった。これらは対外戦争に積極的であったが、一方対外戦争のために集められた農民の徴募兵らは外征を嫌っていた。

 西郷は征韓論を唱える好戦主義者と伝えられているが、これは薩摩の征台論者黒田清隆桐野利秋らを抑えるためのポーズであったという。当時は征韓論よりも、日中戦争につながりかねない征台のほうが重要視されていた。

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 富国強兵とあるが、明治初期においては富国と強兵はそれぞれ対立するものだった。

 

未完の明治維新 (ちくま新書)

未完の明治維新 (ちくま新書)