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うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『レイテ戦記』大岡昇平 その3

本メモ ◆日本のフィクション

 オルモック陥落によりレイテ決戦は中止になる。このときの大本営は服部卓四郎、武藤章などのちの戦犯が占めているが彼らはレイテの責任を専ら南方総軍に転嫁した。米軍のレイテ上陸にともない特攻作戦がたてつづけにおこなわれるが、米船団はこれに備えて駆逐艦重巡による対空強化を済ませていた。当時の米戦闘爆撃機ヘルキャット、コルセア。

 

 二十六師団、十六師団の退却は落伍者の白骨屍体を目印におこなわれた。

 「オルモック平野の三十五軍司令部と隷下舞台もすでに壊滅状態にあった。十二月十八日の時点で、なお軍隊として規律と戦力を残していたのは、リモン峠の第一師団(玉)とピナ山方面の百二師団(抜)だけだったといっても過言ではない」。ぽつぽつと単独離脱する将校があらわれる。

 六十八旅団「星」は満州で養成された特殊部隊で、米軍におとらぬ装備を持つ。リモン峠の支援にかけつけるが正規ゲリラ部隊に足止めされ戦況に影響を与えられなかった。

 第一師団はついに転進命令を受け、西に向かう。クリスマスにレイテ戦終結を宣言したいマッカーサーも、米軍を西海岸にむかって急がせる。

 「レイテ戦の最後の段階は日米両軍の西海岸へ向かってのラッシュで特徴づけられる」。

 マッカーサーは十二月二十四日レイテ戦は終わったと放送するが、島にはまだ二万の日本兵が残されていた。

 遊兵となったものは軍令をうけて食糧を運ぶ輜重兵を殺して奪うなど、盗賊まがいのことをやるようになった。

 ――一番始末の悪いのは砲兵だったといわれている。彼等は重い火砲を曳き砲弾を運ぶから、歩兵より身体強健な者が揃っていた。火砲が破壊されると、自分たちはすることがない、小銃を持って戦うのは任務ではない、射ち方もよく知らないと自己を正当化し、最も早く遊兵となり、その体力を利用して強盗になった。

 参謀たちも避難をはじめるなか、兵は次々と戦線離脱をはじめ自活をはじめた。参謀につかまると前線に出されてしまうのでみな山に篭った。ひどい戦場にいてもみな生きる意志をもっていた。穴居人化した兵隊。

 ついに第一師団は撤退をはじめる。片岡中将みずから刀で叢林を払いつつ進んだ。

 「敗軍だな」。

 下士官が単独行動を理由に戦線離脱した場合「誰それ殿はゲリラになられた」と表現した。

 参謀のあいだでいざこざがおこる。福栄中将と和田師団長は意見具申ののち勝手にセブ島に渡ろうとし、友近少将と鈴木宗作軍司令官を怒らせる。上からボートの支援がなかったので、福栄中将らは「バンカー」とよばれるフィリピン式丸木舟で横断をはじめた。沈みかけの船を漕ぎながら岸に近づいたとおもうとフィリピンゲリラに銃撃され負傷する。自衛力は零に等しかった。

 一月四日、レイテの敗兵をセブ島ネグロス島ミンダナオ島に送還させる「地号作戦」が議論された。これはレイテ脱出作戦であり、永久持久のための準備とされた。ところが状況からして大規模な転進は不可能だった。

 西海岸の山カンギポット、日本軍の命名で歓喜峰、ここが最後の司令部となった。

 「雨滴といっしょに、山蛭が落ちてきた。耳の中、瞼など、人間の粘膜に取りつき、乏しい血を吸って太る」。

 投降をするのは衛生兵や軍医が多い。

 「元来任務が非戦闘的だからで、歩兵のように軍人的良心の制約が強くないからであろう」。

 人喰い日本兵は、ニューギニア戦線やガダルカナルソ連国境あたりからたちはじめた不気味なうわさだった。告白したものも、目撃したものもいない。

 思想的投降というものもあり、「無論マルキシズムの思想に基づいた行為で、ソ連軍、八路軍に接した北満や北支戦線に現れた」。

 レイテの米軍は真珠湾奇襲で気がたっているものも多く、下手に前に出ても射殺されることがあった。苛烈なレイテ戦では離脱兵が続出する。離脱は自決や投降よりも安易だからだ。それでもフィリピン人やゲリラに見つかれば殺されることが多かった。

 敗兵はかきあつめた大発と丸木舟で脱出をこころみるが、敵機の襲来はやむことがない。

 「今にして思えば当然のことだと思うのですが、あんないかだで、四〇キロの海を乗り切ろうというときに、喜んで、よし行こうと言えないのが、自然だろうと思います」。

 鈴木宗作中将以下軍司令部も、丸木舟五隻で脱出を開始する。作戦書にはていねいに「○号艇」と記されている。大岡曰く「オデッセウス的舟行」。渡航中、米哨戒機の銃撃により鈴木司令官は死亡する。この五隻はすべて転覆するか、岸についたあとゲリラに銃撃された。

 鈴木司令官が戦死した日、米軍は沖縄上陸をはたす。すでに鈴木貫太郎内閣は和平交渉にとりかかろうとしていた。

 「フィリピンは本土決戦のために時を稼ぐ持久戦場にすぎなかった」。

 沖縄上陸の四月以降も米軍はフィリピン上陸をつづけた。これは全土を解放するためである。

 ミンダナオ島は九割がゲリラの支配下にあり、日本軍は首都でおどおどする無害な存在になっていた。マッカーサーはI shall returnを果たすために、日本軍に敗北した汚名を返上することに躍起になっていた。

 表によればレイテ戦参加の八四〇〇〇名のうち生還したのは二五〇〇名。生存確率は2.9%だ。ほぼすべて俘虜になった者で、記録が錯綜していて正確な数字は出ていないが、終戦時にレイテには日本兵はいなかったようだ。

 

 戦争は人間の動物的な側面を解放する。これは文明によってふだんは抑制されているが、戦闘のためには引っぱりだされねばならない。戦争についてまわる虐殺、強姦、人肉食もこの動物性の一環なのである。人肉を食ったものは肌に不気味なつやがでるといわれていたが、これは飢餓の状態にあった人間が急にたんぱく質を摂取したときにおこる現象である。

 アメリカはフィリピンを資本家・地主の餌食にした。マッカーサーはフロンティア精神にしたがい太平洋を越えてアジアに進出したのであって、彼を民主主義の救世主ととらえるのは誤りである、と大岡は言う。フィリピンはたびたび代わる支配者に悩まされた。

 山下大将は米軍によるマニラ破壊の濡れ衣を着せられ絞首刑になった。アメリカは復興援助のかわりにアメリカ人の実業参加権を手に入れた。米軍の工作により独立後の初代大統領は対日協力者ロハスとなった。彼は米の傀儡にすぎなかった。

 ――これらの経過は、アメリカが事実上、フィリピンを戦前よりも過酷な植民地支配の下におき、極東における軍事基地としたことを意味する。……一九四六年以来、米兵にかわってマニラの町に溢れたアメリカの民間人は、一八九八年のスペインとの不法な取引のお詫びのしるしにと、病院と小学校を建てに来た戦前の理想主義者ではなく、アメリカ国内の戦後的不況によってはじき出された利権漁りだった。

 結果五〇年にフクバラハップ(抗日人民軍)が蜂起する。

 日本の場合、「一人の天皇を味方につけることが出来れば、フィリピン人より容易に手なずけることが出来そうであった」。

 太平洋戦争は「アメリカの極東政策と日本の資本家の資源確保の必要との衝突」ととらえることもできる。有名なことば、「レイテ島の戦闘の歴史は、健忘症の日米国民に、他人の土地で儲けようとする時、どういう目に遇うかを示している」

レイテ戦記 (下) (中公文庫)

レイテ戦記 (下) (中公文庫)