海軍航空隊の要員として硫黄島の戦いに参加した大曲覚(おおまがり・さとる)海軍中尉の回想録。
◆所感
所在航空部隊である海軍の、さらに下級士官からの視点ということで、末端の雰囲気や状況がよく伝わってくる。
防空壕での日本兵たちの生活は、完全に別世界の出来事のようである。
特に印象に残ったのは次の点である。
特色は栗林中将に対する否定的な評価である。末端作業員としての一面的な評価だからこそその実態を示していると思料する。
・実際に会った栗林中将の印象は、典型的な、傲岸な陸軍の将軍だった。
・現場は地獄のような環境だったにも関わらず、中将は家族に大量の手紙を書いて、家族思いの評価を受けている。
・日本軍のゲリラ戦の実態……最初の数日で抵抗は終わり、後は穴にひそんで逃げ回り、米軍に狩られるのを待つだけだった。
・直接の指揮系統関係にない陸軍と海軍との微妙な関係
◆昔話
硫黄島には海と空の公務員が所在しておりわたしも昔、所用で行ったことがある。
壕はモグラの穴のようなもので、地面からほんの1メートル降りただけで灼熱サウナ状態であり、一瞬で汗だくになった。外は沖縄並の暑さにも関わらず、防空壕を出たとたん非常に涼しく感じた。
なぜここに公務員が配置されて維持管理しているかといえば、自分たちだけでなく米軍も訓練等で使っているからである。
たまに業者の船が来るので釣りに連れていってもらうことがあるという。
◆将軍
日本軍のいわゆる「名将」(栗林、山本、今村、東郷等)は、自〇隊のなかでも平均的に高い評価を受けている。これは、一般社会とそう変わらないのではないかと思う。
しかし、現役の将官たちについては、「パワハラがすごい」、「わがまま」、「借りた本を返さない」、「政治家にうまく取り入って出世した」、「ケチ」等様々な悪口を聞く。
実際に仕事で関わった幹部などは「あの人はいい人」、「バランスがとれている」などとコメントすることもあるが、6.5から7割はどちらかといえば悪口である。
これが組織を出て民間人の視点になると、どの将官もすばらしい名将扱いになる。
今、歴史上の人物となった将軍たちも、もしその場で実際に関わっていればどういう印象を受けたかはわからないと思った。
***
硫黄島の戦い 1945.2
陸軍 栗林兵団 13.700人
海軍 第27航空戦隊 市丸利之助少将
南方諸島海軍航空隊 井上大佐
硫黄島警備隊 和智中佐
計7.500人
***
1
著者は海軍の勧誘にひかれて、予備学生を志願した。学生時代の軍事教育で、兵隊(下士官、士官ではなく)がこきつかわれる実態を目の当たりにしていたので、将校枠に応募した。
任地希望調査はあったが、「内地に残りたい」といったら殴られた。戦地へは強制志願だった。
航空適性がなく、航空機整備を担当する整備予備学生となった。
硫黄島はマリアナ諸島サイパン島と本土との中間にあり、米軍は本土爆撃の中間点を抑えるために硫黄島攻略を決定した。
日本軍は従来のバンザイ突撃戦法をとりやめ、ペリリュー島の戦いで有効だった持久戦に方針を切り替えた。
2
米軍をどのように迎え撃つか、陸軍、海軍が集まって会議が行われた。結果、陸軍の持久戦が採用された。
陣地構築……部隊ごとに防空壕を掘り、部隊内で横道を作りそれぞれを連結する。
また、蛸壺を掘り、中に潜んで米軍を迎え撃つ。
地熱や硫黄ガスがひどく、また水がないため、水不足に悩まされた。
水がないため蚊はいないが、そのかわりに蠅が人糞にたかり、アメーバ赤痢が流行した。
陣地構築が始まると間もなく衰弱するものが続出した。当初は、船で横須賀病院に搬送されていたが、全員が助からずに死亡したため、病院から「搬送拒否」の通達が届いた。
栗林中将について……
・兵を酷使し、多数が衰弱死・病死した。
・パワハラがひどく、現場にいた海軍中尉(この本の語り手)をどなりつけた。
・エリート意識が強かった(陸大本科出身であるため、専科出身者を差別した。また、予備役を蔑視していた)。
・兵たちに地獄の穴掘りを強いる一方、自分の家族にはたくさん手紙を書いていた。
3
現場の戦闘員たちは、アメリカが硫黄島を素通りしてくれればいいと願っていた。しかし、ある日著者が海岸を見下ろすと海面を覆うような大艦隊が終結しており、これはだめだと悟った。
米軍の艦砲射撃は激しく、地形が変わり、壕を出ると道に迷って戻ってこられないことが多かった。
米軍は滑走路にはいっさい砲撃せず、活用しようとしていることが明らかだった。
海軍の装備……銃が全員にいきわたらない。
4
海軍のロケット爆弾が、米側に大規模な損害を与えたのではないか、という仮説。
5
地上戦の様子について。
・「総攻撃」とは、指揮官の指揮放棄である。総攻撃を命じた後、兵隊は死ぬまで突撃するしかない。指揮官は、これを持って部隊が全滅したこととなり、以後は責任を追わなくなる。
・海軍側で総攻撃が命じられたが、兵たちは散り散りになった。生き残った兵隊は陸軍の壕に入れてくれと頼みこみ、許可された者たちは壕の住人となった。
・海軍の壕では、総攻撃を命じられた者は死んだ者扱いなので、入れてもらえなかった。
・陸軍に組み込まれた海軍兵は、陸軍兵とともに肉迫攻撃に参加するが、なぜか途中でいなくなるものが多かった。
著者が実際に行ってみると、肉迫攻撃の際には、日本兵の屍体からはらわたを抜き出し、自分のからだにまとわなければならなかった。
――「海軍さん、それではだめです」
と小声で指摘を受けた。
「……?」
「死んだ者のはらわたを取り出して、自分の体に塗って、負傷して死んだように見せかけるんです」
「……」
私は言葉をなくした。そして小声で、
「そんなことはできない……」
と言ったが、
「そうしなければ敵にさとられてやられてしまう」
と説得された。
(略)
「なるほどこれでは海軍は逃げる」
と逃亡の原因が初めてわかった。そして、こんな作戦を出すことじたい、日本軍は末期的な状況だ、と思った。
・指揮官が現場を知らずに不可解な命令を出すことが多かった。指揮官は、壕の中にいたまま外に出ることがないからである。
・戦車隊の西中佐が、米軍に広く知られていたという伝説が残っているが、実際に聞いたことはないという。
6
壕の住人たち……
・水の取り分を原因に敗残兵同士で殺し合いが行われていた。
・米軍の掃討……投降の呼びかけ、発煙筒、毒ガス、ダイナマイト、火炎放射、海水を注入してからガソリンを入れて火炎放射
・「捕虜になってはいけない」という指示が徹底されていた。
・夜になると、砲撃の合間を縫って外で食糧探しが行われた。たまに米軍の捨てていった糧食やビールが見つかり、歓喜した。
・腐った水……水飲み場を米軍が狙い撃ちしたため、水槽には日本兵の屍体がたまった。
夜、その水槽から水を飲むと、日本兵の肉片が歯にひっかかった。
米軍は嫌がらせのために水場に黄燐弾を投げ込んだ。その水はとても苦かった。
・持久戦の実像
――何度もいうが、米軍が上陸する以前に日本兵は戦争ができるような状態ではなかった。体力的に衰弱し、立っているのがやっとの兵ばかりだった。
――防空壕の中でじっとしていたから長持ちをしたのである。……米軍が安全を優先し、防空壕の中に入っていかなかったから、外に出てこない日本兵にてこずったのである。
7
南方空の壕について。
・どこの壕でも負傷者の看護はせず、苦しんでいる者がいたら絞め殺した。
・南方空の掟……壕の食糧を温存するため、毎日数人を斬込隊と称して追い出していた。斬込隊となった者は壕に再入場はできなかった。
著者たちは、南方空の壕に入ろうとしたが、「新規入場は受け付けない」と言われたので、死を覚悟して突入し、何とか受け入れられた。
壕を統治していた飛行隊長は、まったく外に出ていなかったため、妄想的な計画にとりつかれていた。
かれは「米軍から飛行場を奪取し、内地に帰る」といって部下を連れて壕を出た。しかし、怖気づいてすぐに戻ってきた。
――大尉らが壕に入ろうとしたとき、兵士の一団が入り口をふさいだのだ。大勢集まってざわざわぎゃーぎゃー騒ぐ声がする。……
「飛行長たちはかえってきました。当然のように入ろうとしましたが、我々は絶対に入れない」と兵たちは大変な剣幕だった。
「俺らの同僚たちがあなた方の命令で斬込隊として壕を追い出されるように出て行った。あなたの命令で我々兵隊が何十人と斬込隊として出されました。かえってきた者にあなたたちはどうしたか覚えているでしょう。ひざまずいて、土下座して、入れてくれと涙を流して頼んでも、拳銃を突きつけて追い出したではありませんか。あなたは、これは壕の掟だといって彼らを追い出した。同僚たちはどこかで死んでいったのですよ。あの同僚たちのためにも絶対に入れることはできない。あなたがたがつくった規則ではないですか。守ってください。我々は絶対に入れません」
飛行長は武士の情けで一晩だけ壕に入れられた後、出て行ったが、その後の消息は不明だという。
・壕では全員が裸で過ごしており、指揮官だけがふんどしをはいている。よって、見知らぬ壕に入ったときはふんどしの者を見つけて交渉する。
・壕に入る際は、水を1口や半口がお金の代わりにやりとりされる。
8 投降
米軍に投降する際、兵たちは自分たちの意思ではなく、上官の命令で投降させられたということにしたかった。このため、中尉だった著者は責任者に祭り上げられた。結果、著者の命令で壕の兵たちがまとめて投降することになった。
米本土に移送されたのちに「JAP UNCONDITIONAL SURRENDER」の文字を確認した。
捕虜たちを世話していた日系人の下士官から、日本軍が、病院船を使って武器弾薬を輸送していたことを知らされた。
――軍艦を病院船に偽装して戦争につかうなど、どこの国もやっていない卑怯な行為であった。
その(日系の)下士官は、
「私は父や母から、日本は武士道の国だ。何事も正々堂々と行動する国民だと聞かされた。しかしそうではなかった」
と声を震わせてつぶやいた。
多くの日系二世たちがそのようなことを父母から聞かされ、それを信じていた。そしてその誇りを胸に、アメリカ人に負けぬよう欧州で戦った。
その仲間たちの多くが戦線で戦死した。彼らが卑怯な日本の振る舞いを知ったら、どんなにか残念に思うだろう。そう彼は語った。
***
著者は、壕での異様な世界を経験した後、人間性を失わせるものは「飢えと渇き」であると感じた。