うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

石垣島とその周辺に行ってきた

 ◆島

 石垣島西表島竹富島にいってきました。

 先週は雨続きだったそうですが、今週は天気がよく観光を満喫することができました。

 ダイビングを体験したのは、自〇隊那覇基地で働いていたとき以来ですが、今回久しぶりにやってとても面白かったので、ライセンスを取ることにしました。

 

 

 

 ◆島と戦争

 ◆◆特攻艇震洋の秘密基地

 沖縄本島と異なり、石垣島八重山諸島は大規模な戦闘は発生しませんでした。

 しかし、戦争時代の遺構が残っています。

 

 西表島には、特攻兵器震洋(爆弾搭載ベニヤ板モーターボート)の秘匿壕があります。

 

 ネット上やGoogle Map(「旧日本帝国海軍跡」として登録されています)では情報がありますが、現地の舟浮集落には、案内がなく、以前は立っていたらしい各施設の看板もなくなっていました。

 

 

 

 震洋といえば元震洋特攻隊長だった島尾敏雄の作品が有名ですが、このような、のどかな場所でどういう心境で出撃を待っていたのか気になります。

 

 

 

 ◆◆石垣島事件

 今回訪問することができませんでしたが、石垣島バンナ公園のあった場所では、終戦間近の時期1945年4月15日、警備隊が米軍搭乗員捕虜3名を殺害した石垣島事件が発生しています。

 

ja.wikipedia.org

 

 まだブログにアップしていない本『最後の学徒兵』では、捕虜殺害事件に加担して絞首刑となった学徒兵の半生が描かれています。

 

 米軍捕虜殺害を指示した司令官以下軍人たちは、それが違法行為であることを認識していました。

 

井上司令と将校団は、米軍が石垣島に上陸するという知らせを受けて、捕虜処刑に関する書類を焼き、あわてて十字架の墓を飛行機近辺に建てた。

 

 MPに連行された司令官は当初、「酔って覚えていない」と責任を回避したため、捕虜刺突に参加した水兵含む約40名が死刑判決を受けました(後に一部減刑)。

 

井上司令がしらを切って自分の罪を逃れたために、罪状は末端の兵にまでおよんだ。
「……それで、二人並んで小便しながら司令に訊いたんだ。すると司令は、僕のほうを向いてね、あんたなんかも捕まったのか、というような顔して。そしてなんて言ったかというと『あんたなんかは自分自身で逃げ道を考えろ』と。自分の命は自分で守れという言い方なんだよね、僕にいわせるとね……」

 

 米軍による戦犯裁判には、報復意図や公平性の観点から問題がありました。同時に、責任逃れする責任者という歴史上普遍の光景を読んで個人的に怒りを感じました。

 

 

 ◆◆電信屋

 また、石垣島には電信屋と呼ばれる海底ケーブル陸揚げ局跡が残されており、戦時中は米軍航空機から銃撃されています。

 実際に行くことはできませんでしたが八重山博物館に紹介パネルがありました。

 

www.city.ishigaki.okinawa.jp

 

 ◆今後

 今回八重山諸島を旅行して、あらためて沖縄本島に行きたくなりました。歴史的に興味深い場所が多くあることと、ダイビングやサーフィン(ハワイ以来再チャレンジを計画中)ができることに魅力を感じています。

 

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