うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『十七歳の硫黄島』秋草鶴次 ――自分の体にたかる蛆虫を食べて生き延びた高校生

 

 海軍通信科員として硫黄島の戦いに参加した人物の手記。

 戦闘の具体的な経過、実際の様子を詳しく記録している。

 秋草氏は悲惨な戦況のなかで自らも負傷するが、絶対に生き延びるという強い意志を持っていた。このことは、回想録の各所で伺える。玉砕を選ぶのではなく、生きる意志を保持し続けたことで、かれは運よく生還することができた。

 大多数の人間はまったくの確率や運によって戦死・餓死した。

 これだけの壮絶な戦闘で死んだ人びとを、無意味な犠牲とするのか、現在の安定の基盤とするのか、どのように位置付けるかというの問題は解決不能である。

  ***

 1

 著者の秋草氏は昭和17年に海軍に入隊した。当初予科練飛行兵を志望したが第2希望の通信科になった。横須賀通信学校での教育後、南方航空艦隊司令部への配属が決まった。

 この任地が硫黄島であるとわかったのは行く直前だったが、数日間の休暇をもらったことで、おそらく激戦地なのだろうと予見できた。

 1月下旬には、米軍の大艦隊が硫黄島を包囲しており、毎日課業時間にあわせて砲撃を行った。あわせてB29による爆撃、艦載機による射撃も行われた。

 秋草氏は南方空司令部の通信部署担当となり、はじめ司令部壕の地下でモールス信号の送受信を行った。他には暗号部署などがあった。

 司令部壕には士官室、会議室、他の兵科の執務室、便所、安置所(屍体を積み上げるだけ)、ポケット(見張りや避難のための小さな穴)があった。

 すさまじい熱気と臭気が充満していた。

 かれらは横にしたドラム缶の上で寝なければならなかった。

 日々の砲撃や消耗により傷病者が増えたが、看護婦などはいなかった。

 

 2

 ――全島の各部隊に戦傷病者がいる。すべての病院、医務機関はすでに溢れている。蟻が寄ってくると、次はかれの番かと死期を暗示させた。逝く者からは蚤も別れてくる。それまで群がっていたかれらは音を立てていっせいに次の獲物に飛びかかる。

 

 ――壕内は血塗られていて歩きにくい。血潮に染まった生存者と、屍体が添い寝している現実の中にあっても、自分だけは生きるんだという執念が、片時も俺を捕えて離さない。

 

 ――老廃物、排泄物、なまぐさい血潮など、あらゆる臭気が混ざって、地熱に醸し出される。

 

 2月に入り、秋草氏は米軍上陸予定地点である摺鉢山に近い玉名山送信所に移動した。

 6時間シフト勤務の明けには、島内を散策した。地表は艦砲射撃により一変しており、地獄のような光景だった。

 陸軍はひたすら穴掘りをしており、それに比べれば、作業を免除された自分たち通信員は楽だったろうとコメントしている。

 通信科は偵察も行った。米艦船の数が増加し、島の南側海岸から上陸するのは間違いないと思われた。皆、硫黄島をスルーしてくれればいいのに、と祈っていたという。

 

 3

 2月19日に米軍の上陸が始まった。

 送信所勤務員である秋草氏は攻撃手段を持たなかったため、トーチカの中から様子を観察した。上陸部隊と守備隊との激戦が始まった。

 

 ――彼我の距離1キロメートル足らずの地に、双方、併せて5万を超す人間の殺戮戦が繰り広げられた。10時間に及ぶ膠着戦であった。

 

 ――米軍海兵隊は、重火器等の執拗な補充、艦砲支援射撃、航空機の掩護射撃、それらの緻密な連携攻撃が相まって、しだいに侵攻してきた。

 

 夜間はロケット弾と斬り込み肉弾攻撃が行われた。

 

 ――夜陰を背景に、オレンジ色の爆発光源が逆円錐形に鋭く広がり、種々雑多な破片が舞い上がる。それとわかる人体の一部も舞っている。

 

 4

 摺鉢山に海兵隊星条旗を掲げた後も、日本軍は壕に潜み、夜間に日章旗と取り換えた。この行為は2度行われたという。

 

 ――するとそこには星条旗ではない、まさしく日章旗が翻っていた。よくやった。日本軍は頑張っているのだ。この島のどこよりも攻撃の的になっている場所なのに。

 

 壕で出会った耳の悪い日本兵は、耳が遠く迷惑がかかるために、何度も決死突撃を命じられ壕から追い出されていた。

 持久戦の実相は次のようなものだった。

 

 ――前線基地からの情況連絡員が来た。……弾薬がない。素人の手も借りたい。悲痛な訴えであった。その連絡員を見れば、両手首から先がない。

 

 ――……撃て撃て、といくら掛け声をかけても、怒鳴り散らして無用な軍刀を振りかざしても、弾丸がない。運ぶ者がいない。射手がいない。

 

 ――(屍体から銃を手に入れたところ)しかし、この手に持ってみると、交戦したい感情などみじんもわいてこない。あんなにほしいと思っていたのに、どうしてかわからない。

 

 下手に一発撃てば自分たちの居場所を教えることになり、艦砲射撃や陣地からの砲撃を受け、仲間に迷惑をかけることになった。

 秋草氏は通信所員として敵情視察し情報を北の司令部に送るものの、どこまで届いているかは不明だった。

 

 5

 艦砲射撃を受け、右手の指数本を失い、左足に貫通破片創を受けた話。

 

 6

 3月6日、玉名山地区壕で治療を受けていた秋草氏は竹槍を渡された。その2日後に、総攻撃が行われることが決まった。栗林兵団長は総攻撃をしないよう指示したが、南方空は従わず、南地区隊のみが突撃することになった。

 

 7

 南方空の壕に飛行兵らしき将校があらわれ、総攻撃後、軍紀の消滅した壕を指揮すると宣言した。

 

 ――指揮官を名乗った男は、何ら自己紹介するでもなく、また職務分担を決めるわけでもない。ただ、「勝手な行動は許さない」ということだった。

 

 水を求めてドラム缶にホースをさしては吸い込んだが、ほとんどは重油軽油だった。

 司令部の霊安室では、屍体の山から燐が分泌され、暗闇の中で青く明滅していた。

 

 ――足元にあるのはかつて人の身体だったものであろう。足が触れると、腐った甘藷やかぼちゃを踏んだときのような感触が伝わってくる。中心の骨だけが固く、まわりのものはずるっとそげて骨が裸になる。……燐が飛び出すのを、かろうじてへばりついた肉片が抑えているような屍体があった。その泥んこのような肉片がずり落ちたら、ものすごい数の燐が噴き出しそうだとわかる。

 

 ――さっき見たあのたくさんの燐の主は、死んでしまうと、自由のないこんな姿になるんだよと教えているように思えてくる。だからみんなが言った、命を粗末にするな、短気を起こすな、と。生きるための努力を俺もする。ただできることをするしか、生かされる道は転がってこないと思った。

 

 米軍の掃討作戦……催涙弾、ガス、水責めとガソリン火責め。

 

 8

 運よく火責め壕から逃げ出した秋草氏は島内を彷徨した。

 かれは自分にたかった蚤や虱を食べた。

 

 ――疼く傷口を見た。丸々と太った真っ白い蛆が出てきた。……口中に入れると、ブチーッと汁を出してつぶれた。すかさず汁は吸いこんだが、皮は意外に強い。一夜干しでもあるまいに。しばらくその感触を味わった。

 

 9

 正体不明の指揮官は米軍の呼びかけに応じて投降したが、著者はその様子に反感を抱いた。

 

 ――……その指揮官は、……どんな指揮もとらなかった。点呼など一度もない。この壕に何人いるか、などということにも興味はなかったようだ。いつだれが死んでも自決しても、頓着も関心も示さなかった。だから俺は、いまさらついていく気にはなれない。

 

  ***

 捕虜になり米本土を転々としたあと故郷に帰ってきたとき、自分自身の葬式が行われていた。

 

 ――耐久試験だ、これは。人間の……。でも頑張るんだ、このことを誰かに言うんだ、と思った。だから俺は生きなくちゃなんない。……そういう気持ちだった。

 

 ――死んでね……。意味があるんでしょうかねえ。どうでしょうねえ。だけど、無意味にしたんじゃ、かわいそうですよね。それはできないでしょう。「おめえ、死んで、意味なかったなあ……」っていうのでは、酷いですよね。……どんな意味があったか、それは難しい。でもあの戦争からこちら60年、この国は戦争をしないですんだのだから、おめえの死は無意味じゃねえ、と言ってやりたい。

 

十七歳の硫黄島 (文春新書)

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