うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ガダルカナル戦記』亀井宏

 第一巻

 ガダルカナル島のたたかいは昭和十七年の八月から翌年初頭にかけておこなわれた。この島はソロモン諸島のなかで最大面積をもつ島であり、ソロモン諸島は現在ではコモンウェルスのなかの一国である。

 ガダルカナル戦は、作戦、戦闘などの局所的なことをこえた問題を浮かび上がらせる。

 ――この戦闘は、当時の日本人の思考性(ひいては国民性)の一端をしめすものとして、長く後世に研究されるとおもわれる。

 著者いわく、兵力不足などの不手際を山本五十六東条英機個人に帰するのは誤りで、敗戦は「日本全体がむかえた帰結である」ことを認めなければならない。

 戦局を理解するだけでなく、当時の兵隊の様子も細かく書かれている。日本兵は農民出身のものからエリートまで、みな日記やメモをつけていた。これは他国でも稀なことで米軍はおどろいたという。農村から来た兵隊は、食糧対策のために野菜の種を持ってきていた。

 第一次ソロモン海戦で、第八艦隊はガダルカナルにむかう米艦隊にたいして奇跡的な損傷を与えるが、このときの司令長官は追撃せずそのまま引き返した。戦後このことが批判されたが、「語らぬ海軍(silent navy)」となった司令長官はいっさい弁解しなかった。

 この件から学ぶべきは、一司令官や一参謀にすべての責任を押し付けるのは間違っているということである。戦前の軍隊組織や軍人を「ちゃち」なものと決め付け、自分たちとはまったく違う人種が戦争をやったのだとする風潮を著者は危ぶむ。終戦の日をさかいに、日本人がにわかに賢くなったということはありえないからだ。

 ガダルカナル島のたたかいの推移は、当時の軍人たちの証言をつなげていく形で復元される。このなかには、大本営陸軍参謀が明治維新以来の日本軍事史を滔滔と語る独白も含まれる。いわく、日本は陸軍については欧州を参考にし、米軍は軽視した。海軍ははじめから英米やマハンを範としたが、日露戦争第一次大戦を経て米軍の態度が変わるにつれ、反米気分が増していった。

 ついには、いちど米国をやっつけないといけないという議論にまでいたった。フランスは第一次大戦塹壕戦から学んでマジノ線をつくったが、ドイツにあっけなく破られた。日本海軍も艦隊決戦主義に基づいて巨大戦艦をつぎつぎと建造したが使う場面はなかった。

 戦争は軍隊そのものよりむしろ背後の国力、経済力に依存するのだということを、日本軍のほとんどは終戦まで理解することができなかったのではないか、とこの参謀は問いかけている。

 よく批判される陸海軍の対立や、戦果の課題報告は、米軍にも同様に見られる。両者とも、軍隊という組織についてまわる悪癖のようだ。もっとも米の陸海の対立、つまりマッカーサーとニミッツの対立は早々とおさまり、太平洋の島から島へと制圧して本土にのりこむというジョイント・オペレーション(連携作戦)が実行されることになる。

 参謀本部と軍令部は、戦時には大本営陸軍部と大本営海軍部となる。これら大本営統帥権の独立が守られており、総理大臣と等しく天皇を輔弼する役割をもつ。よって総理大臣は軍をコントロールすることができない。このような二元制はプロイセンから学んだものであり、日本に導入した人物が山縣有朋である。日本の敗戦には、こうした制度が大きなウェイトを占めている。山縣自身は、最後まで英米との協調を重んじ、また米国の対日感情に敏感だった。

 有名な辻政信ガダルカナル島を担当するために島嶼部にやってきている。彼は「こすい小物」と批判されることもあれば清廉潔白で自信にみちた人物と誉められることもある。辻のほかにも、戦争がおわっても人を怒鳴りつけ、上からものをいう態度の改まらない、孤独な元司令官など、おもしろい人物の証言を多数読むことができる。

 ――このときの気持ちは複雑です。ついこの間まで祖国にいたのに、今日はこんな遠い南の島で戦闘をしておる、と。夢のようでもあるが、これが現実なんだ、と。そう自分にいいきかせると、人の命ってのはほんとにはかないもんだなあ、という思いがしみじみしてくる。そして、戦友の死を悼む気持はたしかにあるんだが、一方で、おれは生きているんだ、というそういう生の意識がすごく働くんですね。

 ガダルカナル島はなぜ戦争に大きな影響を与えたのか。戦略的に重要な場所だったというわけではなく、この島のために莫大な損害をうけてしまったことが問題だったという。

 海戦の記述がまったく頭に入ってこない。陸戦も地図をよくみなければ、いってることを頭のなかで再現するのは不可能だ。海戦は陸戦以上に読んでてわけがわからない。どっちが勝ったとか、どれだけ沈んだとか、そういうことだけはかろうじて理解できる。

 そもそも同時進行で敵味方の膨大な船やら戦闘機やらが動くのだから、野球の試合のようにかんたんに読んで把握できるわけがない。いまは大まかな流れをつかもうと努力するしかないだろう。

  ***

 第二巻

 米軍の飛行場総攻撃のために続々と各隊が上陸するが、制空権はすでににぎられており、頭上を飛び交うのは米軍機だけたった。海岸線に目を向けると米艦隊が続々と集結し物資を荷揚げしている。

 「榛名」などによる艦砲射撃はある程度成功するが、島の北側につくられた米軍飛行場はすぐに復旧してしまう。日本軍は、島の南からジャングルとアウステン山を越えて、飛行場の背後に接近しようと試みる。そこで使われたのが「丸山道」という、獣道のような通路である。道とはいっても人がひとり通れる分だけつるややぶをかきわけたものにすぎず、巨大な木が倒れていると迂回に時間がかかる。また険しい断崖や山がつづいている。

 無理のある計画を、さも順調であるかのように大本営に報告したのが問題の辻参謀らしく、著者に批判されている。

 ジャングルは昼間でも暗く、鼻の一寸先の手のひらも見えない。夜になるとまったくなにも見えなくなるので、土のなかに混じっている、発光する微生物かバクテリアの類をすくって、前を歩く兵隊の背嚢につける。この夜光虫のかすかな光をたよりに進軍していく。

 河は潮の干満で変化するが、重油がたっぷりと浮かんでおり、そのなかに日本兵の死体が浮かんで、腐敗ガスを発している。

 ジャングル、密林のイメージに反して、虫はいなかったという。土と枯葉が千古不易のまま腐敗して、足がずぶずぶと沈んでいき、たいへん歩きにくい、と兵士は証言している。

 ジャングルを一列になって、一言も口をきいてはならぬという指令のもと、黙りこくって行進するが、砲をかつぐ兵士は遅れてしまう。列が間延びして、先頭が早朝に歩き出しても、後方の部隊は午後になって立ち上がるというふうになる。米軍は密林の各所にスピーカーを設置して、日本軍の動きを音で察知していた。

 飛行場突撃の直前、ひどい雨がふって、夜光虫も役に立たなくなる。そこで、前の兵士の肩に手をおいて数珠つなぎの状態で進む。

 ――蠅は、人間がまだかすかに息をしているうちから、死臭を嗅いで集まってくる。そして、眼、鼻の穴、口唇部などの粘膜部に真っ黒になってむらがる。人間の一番やわらかい部分に卵を生みつけ、食いはじめる。親指ほどもあろうかと思われるくらいの大きさで、人間ひとりの屍をたちまち白骨化してしまう。

 飛行場突撃作戦は失敗し、ほぼ一夜で三連隊が壊滅してしまう。一方、南雲中将と草鹿大佐、近藤中将などが率いる艦隊は太平洋沖で局地的な勝利をおさめ、米空母二隻を沈める。

  ***

 第三巻

 辻政信参謀が直々に前線にやってくるが作戦はうまくいかない。同時進行の海戦も負ける。これは部隊の技量がどうのこうのではなく、根本的な補給や物量の問題である、と著者はくりかえし強調する。

 東条英機が首相と陸相を兼ねていたときも、統帥権干犯の問題から、海軍司令部の人事や決定にはいっさい介入することができなかった。戦後も、統帥権のせいでうまく運用できなかったから廃止すべき、と主張した。東条は開戦時に木戸幸一によって大命を下され首相になったが、本人は侵略主義者(Jingoist)ではなく小心者の官僚軍人だった、という。

 参謀本部がガ島を重視したのには以下の理由がある……ガ島奪回は米豪連絡線に脅威を与える。またラバウルを安全にするためにも必要である。すでに百武司令官以下三万の将兵が上陸しており、あとにひけない。天皇にも奏上しているので無理でした、やめますというわけにいかない。

 田中新一陸軍中将は統帥権問題をめぐって東条英機と対立し、佐藤賢了らをまじえて殴りあいを展開した。田中中将は戦後、国民に勤労意欲がなかったから負けた、と戦争を総括した。

 ――ガ島へ渡った者はね、どんな誇大なつくり話をしても、そのつくり話が通るような生活を送ってきましたからね。トカゲや蛇を食べたんですってね、とか、聞かれるけれど、そんなものいい方ですよ。うちの兵隊なんか、おしまいの方には戦友がしたウンコの中にうごめく回虫を食べたりしましたよ。

 ガダルカナル戦で垣間見られる事大主義、独善、瑣末主義が、すでに亡びたものなのかどうかは疑わしい。開戦時の統制経済についても、技術的な計算はいい加減だったという。

 前線にたつ兵士たちの体験談がもっとも印象に残る。

 

ガダルカナル戦記〈第1巻〉 (光人社NF文庫)

ガダルカナル戦記〈第1巻〉 (光人社NF文庫)