うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

夏休み ――『虜人日記』、『特攻基地知覧』、『軍律法廷』を読んだ

 『虜人日記』は、1944年から終戦にかけてのフィリピン戦線、米軍捕虜収容所について書かれた日記をまとめた本である。

 

 

 著者の小松真一は、昭和19年1月に陸軍専任嘱託を命ぜられ、第十四軍司令部付の軍属となった。軍属も軍服に似た制服を支給され、軍刀を持つことができた。

 マニラはアメリカ文化にかぶれた歓楽街のようだった。

 

 ◆将校たち

 第十四軍司令官和知中将について。

 

 当番兵にズボンをはかさせる、エムボタンをかけさせる、靴をはかさせる。まるで昔の殿様然たるものだ。ご自分は扇風機に吹かれている。軍人も閣下になると大したものだ。

 

 山中に逃げたとある将校について。

 

 兵団の渡辺参謀は妾か専属ガールかしらないが、山の陣地へ女(日本人)を連れ込み、その女のたくさんの荷物を兵隊に担がせ、不平を言う兵隊を殴り倒していた。

 

 終戦とともに、特攻を主張していた将校たちが生きる理由をあれこれ話すようになった。

 人の悪い兵隊が「兵隊は日本へ帰すが、将校はたぶん殺されるでしょう」等と驚かすので将校の服や刀を捨てる者もいた。

 

 

 ◆収容所

 

 レイテに移送されたとき、フィリピン人(土人)たちが罵詈雑言ではやしたて、石を投げつけた。レイテでは土人にひどい扱いをしたに違いないと思った。

 

 

土民のあびせる言葉は、皆日本軍が教えた言葉ばかりだ。自ら教えて、自ら罵倒される。身から出た錆、大東亜共栄圏理念の末路、猛反省の要ありだ。

 

 尾家部隊長等、常に大精神家をもって自認していた人が、いざ引かれるとなると部下将校に罪を転嫁し、大勢の人を引っ張りこむなど、人間の弱さを暴露し非難ごうごうとした。

 

 切り込み隊で部下15人を死なせ自分だけ生還した徳永中尉は、死んだ部下の小指を所持していたが、そのうちの一人がその後レイテの病院で生存発見され、小指も健在だった。やがて、小指はタバコと物々交換された。

 

 マニラではレイテ以上に対日感情が悪かった。日本はスローガンを唱えながら、実態が伴っていなかったため、結果恨みを買った。

 

 

 ……組織の力などというものは本当に取るに足らぬもので、軍隊でも一般社会と少しも変わらず、人の世話を見る人がやはり統率力のある人だということがわかった。

 日清、日露の役の当時のように将校と兵との間に教養武術、社会的地位に格差のあった時代は良かったが、今日では社会的地位、学識その他すべての点において将校より優れた人物が大勢兵として招集されている。それらを教養も人間もできていない将校が指揮するのだから、組織の確立している間はまだしも、一度組織が崩れたら収拾がつかなくなるのは当然だ。

 
 収容所の親分は、相撲の強い者に特別の食事を与えて強健にさせ、暴力団となって捕虜たちを支配した。間もなく、暴力団構成員は米軍によって全員移送された。

 

虜人日記 (ちくま学芸文庫)

虜人日記 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:小松 真一
  • 発売日: 2004/11/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

 ◆知覧

 『特攻基地知覧』は、『インパール』など複数の戦記を書いた元従軍記者による本である。

 コピペで有名になった陸軍の陸軍特攻責任者菅原中将の話も載っている。菅原中将の扱いは論争になっているらしく、Wikipediaの記載が異様な情報量となっている。

 

 8月15日の玉音放送が鳴ると、特攻隊員たちが不穏な気勢をあげているという報告が第六航空軍司令部に届いた。5、6人の特攻隊員が日本刀を振り回し、自分たちを出撃させろと高級参謀に迫った。

 

 海軍側の特攻責任者である第五航空艦隊司令長官宇垣纒中将は、部下たちを巻き込み自決特攻を行った。

 第六航空軍の川島参謀長は、海軍の宇垣中将は特攻したが、あなたはどうするか、と司令官たる菅原道大中将に決断を迫った。

 

 菅原中将は参謀長と顔を見合わせ、当惑した色を浮かべた。ふたりは低い声で、しばらく語っていた。そのあと、菅原中将はねちねちと、

 「海軍がやったとしても、自分は、これからの後始末が大事だと思う。死ぬばかりが責任をはたすことにはならない。それよりは、あとの始末をよくしたいと思う」

 鈴木大佐は、それ以上、強要しなかった。死ねる人ではない、とあきらめてしまった。

 

 戦後も、将官たちは口をそろえて「特攻は自発的に生まれた」と強調した。

 実体としては、戦闘能力を失った飛行隊の残余が特攻にまわされることが多々あった。

 

 なぜ、このように「志願」を主張するのだろうか。その理由は、特攻隊の「編成」ということと関係があるようだ。
 これは、特攻隊も隊員も、天皇が裁可したものでないようにする必要があったからである。天皇の命令で、このような非道無法の作戦がおこなわれたものではないことにしようとしたのだ。それは、軍の首脳部も立案者も、体当たり攻撃が無謀異常な戦争であることを、知っていたからである。

 

特攻基地知覧 (角川文庫)

特攻基地知覧 (角川文庫)

  • 作者:高木 俊朗
  • 発売日: 1973/07/01
  • メディア: 文庫
 

 

 

 『軍律法廷』は、占領地・戦地において自国民以外を対象とする、軍司令官による裁判機構である。

 軍律法廷による外国人裁判や死罰が、戦後BC級戦犯裁判において訴追されることになった。

 本書は、軍事裁判(軍人が対象)と異なる軍律法廷の成立や法的根拠、運用を説明する。

 

 

 

 

 

 参考

 

the-cosmological-fort.hatenablog.com

 

the-cosmological-fort.hatenablog.com