うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『毛利元就のすべて』

 毛利元就の出自や、領国統治、配下の武将などについて細かくかかれている。後半は古文書の一覧や関係人物事典など、退屈な章だったのでとばした。

 毛利家は、鎌倉幕府の重役である大江家を祖先に持つ。毛利元就は一代のうちに、群小の国人領主から、中国地方を所有する大名になった。かれを補佐したのが息子と、その兄弟である吉川元春小早川隆景である。この2人は毛利両川とよばれ、一族の団結力を原動力に領土を拡大した。毛利家には、ほかの大名にみられるような内訌が少なく、分裂や内部対立が抑制されていた。

 毛利元就は幼いころ冷遇される一方、子守の女から愛情をうけた。著者の考えでは、この子供時代の経験で、謀略の重要性と同時に人情を学んだという。

 かれは一族の団結に力をそそぐ一方、独立心の強い隷下の領主にたいしては厳格な統制をとった。見せしめのために勝手な行動をとった一族を皆殺しにし、また、忠誠心をためすために降伏した武将を殺した。戦争の際には調略や政略を用い、実際の戦闘を有利に進めるための手段をつねに考えた。親族を結婚させる、スパイを送り込む等、さまざまな技術を利用した記録がのこっている。厳島のたたかいにおいて、数倍の兵力をもつ陶晴方をやぶったのは彼の作戦の成果である。

 また、それまでは海賊にすぎなかった瀬戸内海の水軍を領国支配の手段とした点からも、頭のよさがうかがえる。九州の大名大友氏との和平は、あくまで領国の強化のための和平だった。

 毛利家が本格的に膨張していったのは、元就が50歳をすぎてからである。部下や一族からの支持と、思考力があったからこそ、こうした事業がうまくいったのではないかと考える。

 

毛利元就のすべて

毛利元就のすべて