うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『昭和天皇の終戦史』吉田裕 その2

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 『独白録』の趣旨について……

天皇立憲君主であり、決定権を行使しない。よって、対米開戦の責任はない。

・対米開戦の責任は軍部、松岡洋右近衛文麿大島浩らにある。

東条英機は軍をよく統制できるから、天皇はかれを支持した。東条はがんばったが天皇の意図を正しく履行できなかった。

 『独白録』が提示する問題は次のとおり。

天皇は「聖断」だけでなく政策過程の要所要所に介入し、首相の指名、軍の人事等に指示を与えていた。

 高級軍人の人事は、文民統制の上でも重要な権限である。

天皇は「大元帥」として、陸海軍の情報を掌握し、指示を出していた。

・責任問題は対米開戦にのみ集中しており、逆に、天皇満州事変を容認していたこと、第1次上海事変日中戦争に対する自己の立場は、明確に表明されている。

 

 本来、天皇に責任がないことを主張するはずの文書だが、政府や軍への口出しの回想により、かえって天皇が実質権力を持っていた点が明らかになっている。

 ――……明治憲法のもとでは国務大臣の任免は、あくまで天皇の大権に属する事項であって、議会の権限とは何の関係もなかった。たしかに、大正デモクラシー運動の高揚のなかで、議会で多数を占める政党の党首が内閣を組織するという、いわゆる「憲政の常道」という政治的慣行が成立するが、そうした原理がまがりなりにも機能していたのは、24年6月の加藤高明内閣の成立から32年5月の犬養毅内閣の崩壊までの、限定された期間にしかすぎなかった。つまり、少なくとも、太平洋戦争開戦時の天皇を、厳密な意味での立憲君主とよぶことはできないのである。

 

 松平康昌はフェラーズ准将らと接触し、『独白録』を元にした、より天皇弁護色の強い手記を手渡した。また、寺崎英成はウィロビーらG2の面々と交渉を続けた。

 宮中は、当時はまだ少数派だったGHQ内の反共反ソグループと協力し、天皇制の存続を図ろうとしていた。

 

 6

 連合国軍上陸までの2週間で、軍・警察は関係書類を全力で焼却した。このため、東京裁判では証言が大きな力を持つようになった。日本側にとってそのことは優位に働いた。

・取り調べを受けたほぼ全員が、東条、武藤章ら陸軍の一部を戦争責任ありとして非難した。

・被疑者、参考人、証人のほぼ全員が、太平洋戦争の正当性を否定した。「自存自衛戦争」、「大東亜共栄圏」を擁護したのは、東条と嶋田の2名だけである。

 

 大川周明の日記から。

 ――いずれにもせよ、戦争は東条1人で始めたような具合になってしまった。誰も彼も反対したが戦争が始まったというのだから、こんなバカげた話はない。日本を代表するA級戦犯の連中、実に永久の恥さらしどもだ。

 

 連合国に協力した「穏健派」たちもその多数が中国戦線拡大を容認していた過去があり、そうした責任もまとめて東条らに転嫁された。

 

 7

 天皇・宮中の政策姿勢について。

・陸軍の政治的動きに対し、一貫して警戒を続けた

・対英米協調、海軍への信頼

満州事変を非難するも、中国権益は当然視、日中戦争やむなし

・日米開戦後の、開戦支持への転向、天皇の介入増大

 

 昭和天皇の思考を考える上で重要なのは国体護持の観念である。

 ――……同じ「独白録」のなかで天皇は、ポツダム宣言の受諾についての了解を求めた45年8月12日の皇族会議の席上で、「講話は賛成だが、国体護持が出来なければ、戦争を継続するか」との朝香宮鳩彦の質問に対し、「勿論だと答えた」と回想しているが、ここにも同様の発想がみられる。

 

 本土決戦が始まった場合、伊勢にある三種の神器が運搬できない、と言い天皇ポツダム宣言を受諾した。

 著者いわく、天皇は国民ではなく皇祖皇宗のほうを向いていた。

 

 「穏健派」は宮中、華族、皇族、財閥からなるエスタブリッシュメントで、かれらは戦争が進展すると軍部と協調し、その後、敗戦によって軍部を切り捨て、天皇とともに生き残りを図った。

 戦後の日本はかれらが先導したといえる。

 戦争の責任問題が不明瞭なまま放置されている遠因がこの点にあると著者は考える。

 

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 ◆感想

 東京裁判の見直しについて……東京裁判連合国による政治的処置であると同時に、日本の指導層たちが生き残りをかけて行った工作の結果でもある。東京裁判を本当に見直すとすれば、間違いなく現在お咎めなしの人びとにも責任が及ぶことになるだろうが、どうだろうか。

 戦犯自身を含めてほとんどの指導者たちに否定されていた「大東亜共栄圏」、「自衛戦争」説が、いまだに力を持っている点は不思議である。

 GHQが天皇を統治のために免責したことは政治活動として納得できる。問題はわたしたちがその政治的フィクションをそのまま信じ込んでよいのかどうかである。

 原因や教訓を事実に即して学ばなければ、また失敗を引き起こすことになるだろう。

 天皇、陸海軍、政治家の大半は、満州特殊権益・中国侵略に対して特に責任を感じていなかった。しかし、結果的に報復を受けた原因は、これらである。 

昭和天皇の終戦史 (岩波新書)

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