うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『日本海軍の終戦工作』纐纈厚 その2

 4 東条内閣打倒工作

 東条首班指名の理由は以下のとおり。

 

木戸幸一が、開戦首相を非皇族にすることで、皇族に責任が及ぶことを回避しようとした。

・東条が軍の強硬派を抑えることを期待した。

天皇が東条を信頼していた。

 

 ――……近衛は開戦後において一貫して軍部の戦争政策に批判的な立場を取り続けることになったのであり、その点で軍部に迎合しつつ開戦に傾斜し、開戦直後の予想外の戦果に喜びを隠さなかった天皇との違いを見せていた。

 

 大本営陸軍部第二十班『大本営機密日誌』より……「御上もご満足にて、ご決意ますます鞏固を加えられたるがごとく拝察せられたり」。

 

 国内においては東条体制の確立が進められた。

・「戦時犯罪処罰特例法」:左翼、在日朝鮮人の逮捕拘禁

・「戦時民事特別法

憲兵政治・東条憲兵

 

 戦局悪化と強権政治により、岡田啓介を中心に反東条運動がおこるが、木戸はこれを押しとどめた。

 

 ――東条のことをかれこれいうが一体わたしにどうせろというのか、……又現に御信任のある東条に対し辞めたらどうかと言うべき筋でもないし又わたしから陛下に東条を辞めさせられたがよろしうございますと申し上げる筋でもない。

 

 海軍内では、東条に追従する嶋田繁太郎への不満が強まっていた。

 東条内閣を倒しても、代わりがいないということが、運動の障壁だった。

 

 1944年になると、しびれを切らした木戸や各所から「東条利用論」が持ち上がる。

 

 ――……要するに戦局の悪化の原因や戦争責任を東条一身に集中させ、戦争の怨念が天皇や皇族に波及することを阻止することのほうが賢明だとする議論である。

 ――「自分は矢張り東条に最後まで責任を取らせるがよいと思う。悪くなったら皆東条が悪いのだ。すべて責任を東条にしょっかぶせるがよいと思うのだ。内閣が終わったら責任の趨勢がぼんやりして最後には皇室に責任が来るおそれがある。だから今度はあくまで東条にやらせるがよい」(東久邇宮の発言)。

 

 その後、木戸、近衛、皇族らの支配者内部の調整と、天皇の意識の変化が重なり、終戦工作に結び付いた。

・主戦派と宮中の分離

天皇の東条信任

天皇の権威の必要性

 

 5 終戦工作の真相

 小磯内閣は徹底抗戦、国体護持精神の覚醒、皇土護持を掲げる一方、極秘裏に戦争終結の道を探った。

 しかし、天皇は主戦派=梅津、阿南らの一撃論、徹底抗戦論に同調しており、国体護持を条件とする「聖断」を木戸・近衛らが説得するまでに時間を要した。

 

 ――いうまでもなく、「聖断」の目的は天皇制の維持=国体護持の一点であり、「下万民のため」と称したのは表向きのものに過ぎなかった。……これ以後日本政府は軍部の動向を警戒・牽制しつつ、連合国側とのあいだに「国体護持」の確証を得ようとした。そして、「国体護持」の一点だけのために二ヵ月以上の時間を費やすことになる。

 

 終章 海軍の戦争責任

 1945.8.12、米内光政は「原子爆弾ソ連の参戦は天祐だ」と発言している(「米内海相直話」)。

 戦争終結が国内の事情でなく外的要因であれば主戦派も納得し、また国内の権力機構も温存されるからである。

 米内は海相時代、参謀本部に反対し、近衛の日中交渉取りやめに同調したが、対米開戦については、海軍力不足として判断を回避した。

 また、海軍の対中国政策は陸軍と本質的に変わるものではなかった。

 

 終戦工作は、海軍、木戸ら宮中、天皇といった支配層が基盤を温存するために行われたと著者は結論づける。

 

日本海軍の終戦工作―アジア太平洋戦争の再検証 (中公新書)

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