うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『海軍伏龍特攻隊』門奈鷹一郎 ――やる前にだれか止めなかったのか

 予科練出身の著者が、伏龍特攻隊員となった経緯や体験を語る。

 

 ◆所感

 実現可能性のない政策がどのような結果を招くかについて学ぶ必要がある。

 伏龍要員や、人間地雷要員に着目すると、まずかれらは失策の被害者ではないかと強く感じる。

 航空特攻のように、感傷的な映画・ドラマの題材にはなりにくそうだ。

 

 

 1 海軍伏龍特攻作戦

 特攻兵器伏龍の計画は、昭和20年1月頃、機雷除去用潜水服の開発として登場したという。これは表向きの理由であり、実際には自爆特攻兵器として構想されていた可能性が高い。

 横須賀海軍工作学校の清水登大尉は、3か月で独立(酸素携行型)潜水服を開発した。

 大尉は潜水服の技術者であって、伏龍特攻作戦の発案者ではなかった。清水大尉は開発した潜水服をもとに、機雷取り付け工作や、フロッグマン部隊としての運用などを考えていたが、20年5月に、伏龍特攻隊編成の命令が下達された。

 著者は、数々の特攻兵器の発明者である軍令部第二部長黒島亀人少将が、命令発案者ではないかと推測している。

 

 伏龍要員は、一般兵科、後には予科練出身者から集められた。

 訓練計画と急速整備展開要領に基づき、9月、10月ごろの米軍上陸に備えて、部隊の編組と要員訓練が始まった。伏龍特攻隊の任務は、水際で米軍の上陸用舟艇に忍び寄り、下から棒状機雷で突いて自爆攻撃するというものだった。

 

 部隊は横須賀、舞鶴、呉、佐世保の各鎮守府に配置され、特攻戦隊の下に隷属し、大佐が指揮を執った。

 当時の担当者や将校たちが回想録を残しているが、著者は批判を交えつつ伏龍の実情を説明する。

 

 当時の部隊指導部は、どこにどう伏龍隊を配置すれば最適かを研究したが、現実は思い描いたものとはかけ離れていた。

 

・伏龍隊員は舟が来るまでの数時間、暗い海底で待機しなければならなかった。このため、特攻要員は「孤独に耐えられる者」が選考基準となった。

・機雷が爆発すれば半径50メートルにいる隊員は誘爆した。このため千鳥格子状に伏龍隊員を配置しなければならなかったが、そのような誘導索を、制空権の握られた海岸で設置するのは不可能だった。

・作戦までに伏龍と機雷が空爆を回避できるよう、海岸に防空壕を建設することになったが、終戦時に完成していたものはなかった。

・潜水ヘルメットに直接信管をつけて泳いで船底に突撃させてはどうかという案もあった。

 

 訓練の過程で、多数の死者、溺死者が発生したが、作戦が秘匿されていたために詳細な記録が残っていない。近郊の病院に対しても訓練の細部や目的は知らされなかった。

 

 ――この救急患者たちは苛性ソーダを海水とともに飲み込んだため、口中、食道、胃までがすっかりただれて、中には死亡した若人もいました。

 

 空気清浄のための苛性ソーダ缶が安いブリキでできていたため、破裂・破損しヘルメットに逆流することが多かった。

 横須賀対潜学校での訓練中に、50名以上が死んだという発言もあれば、そこまでいかなかったのではないかという意見もある。

 

 

 2 伏龍特攻隊員となって

 著者は昭和19年6月、飛行予科練習生として三重海軍航空隊に入隊した。まもなく教育が中止され、震洋特攻隊のための格納庫建設に従事した。そこで上官から呼び出され、伏龍特攻要員となり、横須賀に送られた。

 

・60kg以上する潜水服

・面ガラスを装着することで、潜水服は密閉される。

・苛性ソーダ中毒を避けるため、鼻で吸って口で吐くことが要求される。

・腰縄を通じて、簡単なモールス信号形式で水上と連絡をとる

・死因……呼吸法間違いによるガス中毒、苛性ソーダ逆流による沸騰液の逆流、酸素欠乏による窒息死

 

 誤報で上陸迎撃態勢に移行したときには、使い物にならない九九式小銃を渡された。

 

 ――なに、取り換えろ……貴様、いったい、今なんだと思っているのだ、この非常事態に! いいか、敵と戦うということは、何も弾を撃つことばかりではないのだあ! 肉弾で突き当り、銃身を握って敵をぶん殴るのだ、体当たり精神だ、体当たり特攻だ!

 

 そして、そもそも伏龍特攻のための機雷(五式撃雷)さえ存在しないから、壊れた武器を渡されたのだと愕然としたという。

 翌日の手りゅう弾訓練では、粗末な瀬戸物製手りゅう弾が出現した。

 

 ――皆の見守る前でこれを実演してみせた中尉は、ゆがんだ顔つきで、「これでも敵に傷を負わすことぐらいはできる……解散!」と吐き出すように言い捨てると、後も見ずに兵舎へ戻っていってしまった。

 

 著者らは訓練をすべて終えることのないまま敗戦を迎えた。

 

 

 3 伏龍・秘められた戦話

 機雷科海老沢上曹の回想:訓練中、酸素ボンベが不足して死亡事故が多発していたため、闇煙草を横須賀の担当者に渡したところ、大量の酸素ボンベを受領することができた。

 事故死した隊員の火葬にも、闇物資が不可欠だった。

 

 ――「そら、これでお前たち、生き仏も力が出るだろう」というと、「いやいやーこれはこれは……こんなに話のわかる隊長さんの下で死んだ兵隊さんは幸せだ。はやいとこ成仏させなきゃ、おらたちが罰当たる」など言いながら、今まで釜に入っていた半焼けの先客を引きずり出し、さっそくこちらのに取りかかるのである。

 

 

 特別幹部練習生(特幹練)との対立:

 短い期間で、予科練と同じ制服を着、高い階級(兵長)となっていた特幹練は、気性の荒い予科練生たちの標的となった。双方仲が悪く、もめごとや殴り合いが絶えなかった。著者の1期上には、暴力団・俳優となる安藤昇がいた。

 

 著者は、予科練時代の上官の精神訓話が印象に残っていたという。軍人勅諭大東亜共栄圏といった退屈な話題ではなく、寺の説法のような話をしてくれたからである。

 潜水学校における後輩いびり、バッター(精神注入棒)、フケ飯などの体験。後輩から先輩への報復としてはほかに雑巾汁、爪飯、はえ汁などがあった。

 

 付録

 座談会

 当事者たちの回想……伏龍計画は日本の末期症状の1つである。潜水服自体に問題があり、作戦も成功の可能性は皆無だった。

 終わり