うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『回顧七十年』斎藤隆夫  ――変革の手段を持たない国家は、自己保存の手段も持たない

 引用:エドマンド・バーク

“A state without the means of some change is without the means of its conservation. Without such means it might even risk the loss of that part of the constitution which it wished the most religiously to preserve.”
― Edmund Burke, Reflections on the Revolution in France

 

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 選挙や議会での攻防、政党同士の対立などに関する記述が大半で、政治家としての方針や思想、主義、信念に関してははっきりと書かれていない。

 自発的に軍に服従し、また率先して斎藤を処分し言論弾圧に協力していく政党政治家たちの姿が強烈である。

 

 選挙制度にまつわる汚職や機能不全、政治家の古い親分子分関係は、今もあまり変わっていない。相撲部屋や高校野球部がいまも古い要素を残しているのと同じように、変化はすぐに起きないようである。

 

 

  ***

 前半生

 兵庫県但馬国の農村で生まれた斎藤は、百姓を継ぐのがいやで何度か家を飛び出し、無一文で京都や東京に向かった。

 東京では紹介してもらった奉公先を無断で飛び出した後、郷里の先輩たちから金を借りて早稲田専門学校に入学した。かれは学問で身を立てるために勉強した。

 その後弁護士となるが、私立大出身の弁護士は儲からないため、英語を勉強した後、学資を集めてアメリカのエール大学に入学した。しかし現地で肋膜炎を患い帰国した。

 

 衆議院議員

 明治45年、国民党から立候補し当選した。その後加藤高明らの立憲同志会結党に参加した。政党人のいない寺内内閣成立時、憲政会(立憲同志会の後身)が不信任決議案を提出したときはこれに反対した。

 

 ――元来立憲政治のもとに政党内閣が起こるか否かは、まったく政界諸般の事情によりて定まるべき問題であって、議会の決議によって決せられるべき問題ではない。

 

 総選挙で敗北し議席を減らして以後、政友会が第1党となり、憲政会は10年にわたり野党に甘んじる結果となった。

 加藤高明内閣では普通選挙法の代表演説を行い成立に貢献した。

 

 ――およそ事を行うにあたっては、正しき道を追うて一直線に進むべし、左顧右眄して逡巡躊躇するは事を誤るの本である。

 

 地方では地域に密着した利権や公共事業を通じて、政友会が名士や富裕層たちを従えていた。

 

 1931年、満州事変勃発時、民政党若槻礼次郎内閣において、安達謙蔵内相が政友会・民政党の協力内閣(挙国一致内閣)を唱えるが賛同を得られず、内閣は閣僚不一致として総辞職し、犬養に大命降下となった。

 

 安達は民政党除名処分となったが、選挙の神様と呼ばれており子分を従えて新党を結成した。

 

 ――由来わが国の政界には親分子分と称せらるるものがあり、親分は賄賂をとり、利権をあさり、財閥と結び、その他世上にさらけ出すことのできない手段をもって不浄の金を集めて子分を養い、これをもって党の内外における自己の勢力を張り、援兵となしている。

 

 ――いうまでもなく代議士の一身は己の所有物ではなく、かれらの背後には少なくとも数万の選挙民が控えている。……しかるに選挙後この約束を蹂躙して、勝手に党籍を離れて自由行動をとるがごときは、まったく選挙民を裏切りかつこれを欺くものである。己の立脚地を定めずして他人の後を追うて走るがごときは、独立人にあらずして一種の奴隷である。

 

 

 

 1936年の二・二六事件後、斎藤は粛軍演説を行った。その後かれの身辺警護のため私服警官がついた。

 

 非立憲勢力、すなわち軍部の力は増大しており、天皇の大命を受けた宇垣も陸軍の反対を受けて組閣できず、続いて陸軍が送り出した林銑十郎は内閣から政党を排除したが、表立った反対がなされなかった。

 日中戦争開始、国家総動員法制定と、政党政治は消滅していくが、政治家たちには反対の気概がなかった。

 

 1940年2月、国家総動員法に関する質問演説において、いわゆる「反軍演説」を行った。軍部や民政党内外から「聖戦を冒とくしている」として議事録削除、党除名などの処罰を被った。

 

 近衛の提唱した新体制運動による新党は、憲政とは相いれないものだったが、政党はみな反対もせずに従った。

 

 終戦後、斎藤は進歩党結成に参加し、第1次吉田内閣に入閣した。

 

回顧七十年 (中公文庫)

回顧七十年 (中公文庫)

  • 作者:斎藤 隆夫
  • 発売日: 2014/09/20
  • メディア: 文庫