うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『近代の奈落』宮崎学

 戦前から戦後にかけての部落解放運動家の足跡をたどる本。

 部落解放運動には、現実的な要求に基づく運動、アナキズムマルクス主義に基く運動と様々だが、著者は生活者、部落民としての立場を踏まえた運動に共感しているようだ。

 被差別部落はかつて皮革産業等の独占権を持っていたが、明治に入り、部落が解放されると特権は失われた。結果、経済的に苦境に陥り、差別だけが残ることになった。著者はこうした現象を「近代の奈落」と呼ぶ。

 部落問題へのアプローチには「文化人」的なものと「生活者」的なものがある。著者は、生活者の意識、具体的な欲求の重視、「物取り主義」に肩入れしている。

 抽象観念、きれいごとへの警戒を怠るなという指導事項が読みとれた。

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「世の中の人は皆鬼だ。呪われるものは呪い返せ、そして最後は母のそばに来い。母は温かい手をひらいて待っている……」

 ――負のベクトルを背負った者のほうが強いというと、もっともしいたげられた者がいちばんよく闘う、ということだと受け取られかねない。だが、それは、あんまりしいたげられていないがゆえに、ひどくしいたげられている者に負い目を持つ連中が創りだした神話である。ウソである。……もっともしいたげられた者は、闘わない。涙の谷に溺れ、すがろうとする。そうするしかない。それが現実であり、真相なのである。

 闘うためには物質的、また精神的な力が必要である。物質とは金や資産、ヤクザという力である。

 ――……日本社会から「病菌」を駆逐して、クリーンな社会を創ろうとした平沼騏一郎的思想と、その現代版である「清潔な全体主義」こそが主敵だと、わたしは考えている……クリーンな支配、クリーンな運動のほうがいかがわしい。生活の幅を知っている支配、猥雑な運動のほうが、まっとうである。

 著者は抽象的な人権観念を否定する。観念だけではなく、具体的な実現が伴わなければならないという。

「……普遍的人権を押し立てることは、現実的な区別のある社会に、抽象的な無差別をそのまま押しつけることである。おそろしく非現実的な話なのである点「差別のない明るい社会」ではなく、「差別がないことになっている暗い社会」ができるしかないのである」。 

近代の奈落 (幻冬舎アウトロー文庫)

近代の奈落 (幻冬舎アウトロー文庫)