震洋特攻隊長だった島尾敏雄と、戦艦大和の沖縄特攻に搭乗し、生き残った吉田満との対談。
両者とも、自身が体験した極限状況を題材におもしろいフィクションを制作している。
2名は、淡々と当時の状況や雰囲気を語る。かれらは特攻作戦の異常性について指摘する。
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・陸軍よりは海軍の方が、まともな生活だろうという認識があった。
・昭和19年、島尾敏雄が特攻隊員に指定されたのは、神風特攻(1944.10開始、航空機特攻)より早い時期だった。
後に『海軍反省会』等で指摘されていたように、特攻は下級将校や現場の熱望によって始まった作戦ではなく、中央部が計画した行為だった。
・2人が特攻の準備をしていたときは、東京への空襲もまだ始まっておらず、内地は平和だった。しかし、なんとなく負けることはわかっていたという。
当時は、若者のだれもが死を覚悟しており、生き残るということは考えていなかった。
――ああいうふうに、どういうんですか、全体がいきり立っているときに、よほど自分になにか確かな信念と思想があるのでなければ、そうでないこと、つまり志願しないということは非常に困難だ、そういう雰囲気はあったかもしれませんね。
――戦闘というのは、ともかく肉体労働ですよ。敵の爆弾や機銃弾がどんどん飛んできたら、やれるだけやるしかない。
――弱くちゃ困るんだ。やっぱりいくら優しくたって、戦闘のとき用にたたなければ……(笑)。部下の方まで怖くなっちゃうですからね。そこら辺が戦争ですね。
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・敗戦を境に、特攻者への市民の態度は急変した。島尾の小説のなかにも表現されているが、市民はよそよそしくなり、冷淡になった。
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・沖縄人と東北人の共通性について
・沖縄での評判が悪い沖縄県知事、奈良原繁
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特攻を生き延びた2人とも、戦後はうつろな日常を生きてきたと回想する。
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――学徒兵なら、特攻隊に行っても、泳いで、敵につかまって、学徒兵らしく捕虜になったらよかったじゃないか、といわれたこともありますが、内地にいる家族に対するね、日本の軍隊のみせしめの仕打ちというのが恐ろしくて、正直とてもできなかったですね。
――いい人間もいるから、ますます全体が悲劇なんですね。戦争しているのが、みなよくない人間ばかりだったら、悲劇の底は浅いです。……実際、戦争の中には、いい人間も、悪い人間もいましたね。いい人間が、なぜそんな戦争なんかしたのか。戦争をやらなかったら、どんな人間になっていたか。これは、私たち世代自身の問題ですね。あるいは、戦後日本という社会の……。
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特攻志願の動機は、少しでも後代が楽になればいいと思ったというものだった。
新編 - 特攻体験と戦後 - 〈対談〉 (中公文庫 し 10-5)
- 作者: 島尾敏雄,吉田満
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/07/23
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