花蓮
花蓮は東台湾の中心都市ですが、こじんまりした街です。
日本統治との関わりも深く、東台湾の開拓は花蓮を拠点に進められました。
太魯閣から山を下りて東の沿岸に下りてきて、花蓮空港のそばの宿に到着した後、東大門夜市にいきました。
非常に規模の大きい夜市で、食べ物もたくさんありました。
野犬がたくさんいましたが、皆大人しいです。
絶妙な距離をとって、餌をくれるかどうかを確認しているようでした。
軍関係施設
花蓮空港には、台湾空軍の戦闘航空団があります。
週末でしたが、観光中に戦闘機が飛んでいるのを見ました。
空港近辺には、現役の軍事施設と混ざって、歴史的な軍事遺跡が残っていました。
松園別館
太平洋戦争後は、軍の兵事部として兵の募集や管理を行う事務所になりました。
施設内には防空壕があり、当時台湾で集められた特攻隊の写真も残っています。
特攻隊には台湾系日本人の写真もありました。
日本人、台湾系日本人、原住民系日本人の特攻隊員はこの屋敷で宴会をした後、花蓮機場から出撃したとのことです。
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この鉄扉は国民党軍が作ったらしいです。
北回帰線
北回帰線が道の駅になっていました。
北回帰線というと、ヘンリー・ミラーを思い出します。
東台湾 台東の手前までドライブ
台湾東部は、ジャングルと山が海岸沿いまでせりだしており、ほとんど市街地がありません。海岸沿いに道があり、その脇にぽつぽつと集落があるくらいです。
『知られざる東台湾』によると、元々台湾東部は未開拓であり、原住民はマラリアや疫病を避けるため高度のある(蚊が寄ってこない)山岳地帯中心に住んでいました。
日本移民と台湾人、原住民がほぼ共同で荒野の開拓を進めたため、台北や台中など都市部とはまた違った文化・歴史が生まれたとのことです。
海岸が続きますがほとんどサーフィンなどのマリンスポーツは見られませんでした。
波が強いためあまり遊ぶ習慣がないようです。
海岸沿いには、自然形成された洞窟や岩場が多くあり、観光地になっています。
ただし、人はほとんどいませんでした。予算が足りないのか、整備中でずっと閉鎖しているところもありました。
金門島、日月潭、霧社、太魯閣、花蓮と、日本人を全くみかけませんでした。
そもそも、太魯閣から花蓮にいく酷道は、大半がトラックや工事業者ばかりで台湾人もまばらでした。
なので、まったく日本語をしゃべる機会もありませんでした。
と思っていたら、東台湾で日本語を話す台湾人に遭遇しました。
へんぴなガソリンスタンドで給油していたら、向かいに停まっていたトラックのオッサンに突如日本語で声をかけられました。
「日本人ですか?」
「はい」
「わたしは昔京都で仕事をしていたことがあります」
「そうなんですね!」
「どちらからこられましたか」
「〇〇(関東の県)です」
(略)
「それではごきげんよう」
「さようなら」
つづく