うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『我が朝鮮総連の罪と罰』韓光煕 ――日本における事実上の北朝鮮窓口の歴史

最近、台湾、韓国、北朝鮮、またそれらの地域と日本との関わりについて調べています。

去年台湾に行きましたが、今年は台湾と韓国に旅行にいく予定です。

この本は、だいぶ昔に読んだものです。

 

在日朝鮮人として朝鮮総連に勤務し、後に脱退した人物の回想録。

在日本朝鮮人総連合会は、北朝鮮労働党情報機関における統一戦線部の指揮を受ける団体である。

著者が総連を脱退し内部告発するきっかけとなった朝鮮総連の幹部である許宗萬は、2019年現在、朝鮮総連の議長となっている。

 

参考ニュース

thediplomat.com

www.washingtonpost.com

 

◆所感

  • 1941年に在日2世として生まれた著者が、北朝鮮へのあこがれから朝鮮総連の専従となり活動を始める経緯が描かれる。
  • 朝鮮総連の活動や組織が詳しく書かれている。ただし、秘密活動についてはあくまで著者の視点からの説明であり、自分の担当していないことは書かれていない(拉致、地上げビジネス等)。
  • 韓国人や韓国国内での勧誘活動も行っていた。
  • 朝鮮総連自体は北朝鮮出先機関だが、総連と在日朝鮮人とは、完全な命令ー服従関係にあるわけではない。
  • バブル期以降、在日商工人(パチンコ屋や実業家)からの献金は減っていき、さらに総連による暴力事件や金正日拉致問題謝罪を経て、在日朝鮮人は総連を見放していった。
  • 戦中から戦後にかけて生きた在日朝鮮人の社会を知ることができる。

 

1 帰国事業前夜

著者は1941年に大田区で生まれた。両親はその1年ほど前に慶尚北道からやってきた朝鮮人だった。東京大空襲に見舞われるが、やけどだけで運よく助かり、栃木県国分寺町に移った。

戦争末期、神頼みの日本人にくらべ朝鮮人は冷めており、日本が負けることを確信していた。

 

引っ越しした栃木には都会ほど朝鮮人がおらず、著者は目立った差別はまったく受けなかった。

 

1959年から北朝鮮帰国事業が始まると、著者の周りの友達や家族も続々と帰っていった。著者も帰国を望んだが、「そんなにすぐ国が発展するわけがない」と疑った母の反対で、一家は日本に残ることになった。

著者は代わりに、朝鮮総連の専従職員として精力的に働き始めた。

 

ただただ、組織と同胞の役に立ちたい一心だった。純真といえば純真だが、阿呆といえば阿呆であった。

 

朝鮮総連は、終戦時につくられた在日支援団体とは異なり、北朝鮮政府に完全に従属していた。

朝鮮人のあいだには日本帝国主義への反感が根付いていたので、米帝国主義に立ち向かう金日成は英雄的な扱いだった。

在日朝鮮人の9割は、現在の韓国地域の出身であり、北朝鮮地域についての情報は持っていなかった。また、栃木に住む朝鮮人はほとんどが貧困層であり、帰国事業が始まると皆帰ってしまっていた。

当時、勢力伸長を進めていた韓国系の民団と、朝鮮総連とはお互いに犬猿の仲だった。

 

朝鮮総連における最大の勲章は多くの同胞を帰国させることだったので、著者は貧しい子供たちや若者に目を付けてあれこれと夢のような話を吹き込んだ。

 

しかし……なかなか首をたてに振ろうとしない。それもそのはずだった。そのころには、どうやら祖国の事情は総連の宣伝とはだいぶ違うらしい、などの噂が同胞たちのあいだにだいぶ浸透していた。

 

朝鮮総連の戦法について。

 

これは我々朝鮮総連の悪い癖である。日本の当局と交渉するにあたっては、何かにつけて「民族差別」だの「過去の歴史」だのを持ち出してことさら猛々しく振る舞い、理不尽な要求でものませようとする。

 

かれ自身、北朝鮮が発する「地上の楽園」情報を完全に信じていたわけではなかったが、成績を上げるために自分をだましたという。

 

2 政治部

1962年、著者は朝鮮総連栃木支部の推薦を受けて学習組員となった。これは朝鮮労働党員となることを意味した。労働党員であることは秘密であり、家族にも打ち明けてはいけなかった。

かれは金日成の戦士として働けることに感動した。

jp.reuters.com

 

幹部向けの洗脳教育は狛江市の料亭を改装した中央学院という場所で行われていた。

学院では、自己批判・相互批判、総括といい、お互いに罵倒しあい精神を破壊する洗脳工作が行われた。

 

「言い訳はするな! 教官同志が100回読めといったのであるから、内容を把握することより、まず100回繰り返して読むことが重要なのである」

 

あの若い時代に、あれだけの熱意とあれだけの勢力を傾けて何かまともな学問にでも打ち込んでいれば、軽く博士号くらいとれたのではないかと、本気でそう思う。

しかし、それほどの情熱をかけて我々が学んだのは、北朝鮮の独裁者が自分に都合よくでっち上げた作り話だったのである。今日の人生に役に立っていることなど、ただの1つもない。

 

著者は学習組員として出世し、東京の朝鮮総連青年同盟に異動し政治部員となった。政治部は秘密工作担当であり、(韓国)民団切り崩し等を担当した。

総連副部長の金氏に評価された著者は、政治部とは別の秘密任務……北朝鮮工作船の上陸拠点での受け入れを担当することになった。

 

また韓国からきた留学生や、日本の学校に通っている朝鮮人を勧誘し北朝鮮工作員に仕立て上げた。ある工作員学生は韓国に留学し、韓国人学生を数人取り込んだ。

韓国の反共教育は大変厳しく、マルクスレーニンを読んだ者は刑事罰を受けたので、書店や図書館にこうした著作をこっそり挟み込み釣れるのを待った。

 

そらみろ、答えられないではないか! デモなんぞで現実が変わるものか! 現実を変えることができるのは革命と戦争だけだ! 命を賭して革命する気もないくせに、何が社会主義だ!

 

3 宣伝局

著者は総連の宣伝局に籍を置き、その後商工会に異動になったが、引き続き秘密活動を続けた。

 

学園スパイ浸透事件:

韓国で北朝鮮工作員とおぼしき学生が逮捕されると、著者は韓国のでっち上げだと確信し、総連全体でキャンペーンを展開した。

 

……総連という組織は、すべて上から下への命令系統しかないタテ割り構造でできているからである。

……そして、他人がどんな極秘任務をやっているのかも知らないし、聞くこともしない。

だから私は、まさか自分たちの他にも韓国にオルグ留学生を派遣しているグループが存在するとは、ついぞ知らなかった。

 

1970年代前半は、朝鮮総連の規模がもっとも大きかった時期であり、祝典なども盛大に行われた。現在は規模も縮小し、北朝鮮の現実や朝鮮総連の腐敗も明らかになり、在日の商工人も寄付をしたがらない。

当時、朝鮮総連は、本国の朝鮮労働党3号庁舎の統一戦線部という部署の出先機関だった。そして、在日朝鮮人は本国の北朝鮮人から見下されていた。

 

このように本国と総連は、言葉は悪いが醜女の深情けのようなもので、いつだって在日側の一方的な片思いでしかないのである。

 

日本に来訪するスポーツ団や歌劇団などには必ず労働党の指導員が混じっている。かれらは一様に、筋肉があり、目つきが鋭く寡黙であり、また日本語が流ちょうで日本の事情にも通じているためすぐ見分けがついた。

 

労働党謀略機関の最大目的は対南(韓国)工作である。

 

1976年に朝鮮総連中央本部中央宣伝局に配属された。この時期から、本国を頻繁に訪問するようになった。

平壌は外国人訪問者や在外朝鮮人向けに整備されており、偶然の親切をよそおう猿芝居が必ず用意されていた。

 

1980年に韓国で光州事件が発生したときには、日本人映像作家らを訪問させ虐殺の映像を手に入れ、キャンペーンに利用した。

sp.m.jiji.com

 

4 財政局

1985年頃、著者は総連財政局に異動した。

1980年代中盤以降、在日2世、3世の時代になると現実主義者が増え、総連への献金は目に見えて減っていた。かれらは口では忠誠を誓うが、献金については厳しく、用途や目的にこだわった。

また総連にではなく本国の家族に直接送金する者も多かった。

 

金日成マルスム(教示)を受けて、朝鮮総連は直接経済活動に乗り出すことになった。

著者は総連直営のパチンコチェーン計画をおこした。店長教育のため養成課程を開き、アメリ経営学の講義、パチ屋での実習、釘調整の訓練などに取り組ませた。

当時、在日同胞の少なかった山形に目を付け、郊外型パチンコ店を設置し大当たりした。

パチンコ店店長は当時月給4、50万円だったが、赤字を出した場合は自分で補填しなければならなかった。朝鮮大学校でスカウトした総連職員は、例年15名のうち12、3名がパチンコ店経営に回された。

 

(当時の)パチンコ屋は通常地元の暴力団とつながっているが、朝鮮総連系には寄り付かなかった。チンピラなどがやってきた場合は店長が体を張って追い出した。また警察がロムの点検をしにくるので、その場合も屈強な男たちを呼んでロムいじり発覚を防いだ。

 

大韓航空機爆破事件金賢姫北朝鮮工作員であると報道されると、朝鮮総連は「韓国の謀略だ」と反論した。

www.bbc.com

 

著者は1980年代中盤から、朝鮮総連北朝鮮に疑いを抱き始めたという。朝鮮総連と在日は北朝鮮のために寄付や投資をおこなったが、それに対する見返りはまったくなかった。

 

どれほど投資しても、あの国の経済が立ち直る兆しはいっこうに見えなかった。経済とは現実そのものである。どれほど高い理想を掲げようと、経済がダメだということはあの国の現実がダメだということだ。

祖国の未来は、どう贔屓目に見ても明るくなかった。

 

このままでは共倒れになってしまう……。

 

産業:

在日朝鮮人が好んできた産業は、日本人がやりたがらない業種、現金収入が得られる業種が多かった。

  • パチンコ屋・焼き肉店:ホルモンや上等肉をつけたれで焼く形式は朝鮮式を在日が改良発展させたものである。
  • 消費者金融
  • 産廃:規制強化で現在は縮小している
  • 風俗店
  • 地上げ

 

地権者に税金のかからない裏金を渡すことができるのは裏社会だけだった。このため朝鮮総連は積極的な地上げビジネスを行った。

 

在日朝鮮人の祖国訪問事業は、本国の家族に会いたい在日から金を集めるためにはじめられた。

2、300万円だと喫茶店で1時間程度の面談、本国の家族の家を訪問するには1000万円以上要求された。

 

財政局員は商談や交渉のために高級クラブや料亭を使ったが、やがて日常的に入りびたるようになった。こうした蕩尽は地方にも伝播し、総連全体を腐敗させた。

許宗萬が議長に無断で総連の所有する物件を担保に金を調達したため、内部で問題になり、またAERA紙からもかぎつけられた。

 

著者は財政局を牛耳る責任副議長許宗萬と対立し、最終的に総連を追い出された。

 

朝鮮銀行の破たんにあたり、政府は公的救済をおこなおうとしていた。しかし著者の内部告発がスキャンダルとなったことで税金投入は中止された。

それまで噂にすぎなかった総連から本国への送金疑惑は事実であり、総連は船や工作船などで数百億円の現金を北朝鮮に移送してきたことが明らかになった。

www.huffingtonpost.jp