うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『戦艦大和ノ最期』吉田満

 戦記文学で有名なもの。全部カタカナで、覚書を思わせる形式を使用している。始めは読みにくいがすぐに慣れた。

 

「コレガ俺ノ足ノ踏ム最後ノ祖国ノ土カ、フト思フ」。

 大和は呉を出て周防灘を過ぎ沖縄の本島周辺米軍上陸地帯へ向かった。

 

 通信士中谷少尉はアメリカ出身の二世でなにかと差別をうけることが多かった。大和の艦隊に空軍の援護は皆無だった。

 艦底図書庫なるものがあり、出航して多少の閑暇が出来ると吉田はスピノザの伝記を読みはじめる。

 ――戦艦優位ヲ主張スルモノナシ/

  「『プリンスオブウエールズ』ヲヤッツケテ、航空機ノ威力ヲ天下ニ示シタモノハ誰ダ」/

  皮肉ル声アリ

 候補生や新米は出撃前に降ろされる。

「万死ノガルル余地ナキ征途ニアッテ、己レノミハ儚キ生還ノ夢ニ陶酔セルニ非ザルヤ」。

「直視セヨ ミズカラヲ偽ルナカレ」。

 記録者はまだ二十二歳である。

 部下を殴打することを主張する臼淵大尉とそれに反対する吉田。

「アノ上官ハイイ人ダ、ダカラマサカコノ弾ノ雨ノ中ヲ突ッ走レナドトハ言ウマイ、ト貴様ノ兵隊ガナメテカカランカドウカ 軍人ノ真価ハ戦場デシカ分カランノダ イイカ」

 三千人乗員とはどれだけ巨大なのだろう。退艦者は戦闘に加われなくて残念といいつつ、口元は笑っていた。

 連合艦隊司令長官のことば「皇国ノ興廃ハ正ニ此ノ一挙ニアリ」

「ヨシ、ソウイウ腐ッタ性根ヲ叩キ直シテヤル」

 ゴリラというあだなの艦長にはストーカー癖がある。

「マタ平時ノ外出時ニハ、必ズ私服ヲ着、時アッテカ気ニ入リ美人ニ逢エバ、ソノ家ヲツキトムルマデ尾行スル、愛スベキ「耽美癖」モアリシトイウ」

 ついに開戦となるが、敵の大編隊の前でこの戦艦は格好の的だった。掃射によって銃座やそこの兵士がつぎつぎとやられる。

「他ノ八名ハ飛散シテ屍臭スラ漂ワズ」。

 

 字面が重要な役割を果たしているようだ。

 艦砲射撃はまったく当たっていなかった。だが、改革をせず、訓練不足としただけだった。

「不足ナルハ訓練ニ非ラズシテ、科学的研究ノ熱意ト能力ナリ」。

 批判は徹底的に沈黙で通された。

「世界ノ三馬鹿、無用ノ長物ノ見本――万里ノ長城、ピラミッド、大和」、「少佐以上銃殺、海軍ヲ救ウノ道コノホカニナシ」

 浸水による角度傾斜は重大な状況で、これを防ぐために反対側に注水しなければならない。ところが注水管制を爆破される。

「訓練時ノ想定ニモカツテナキ最悪ノ事態 シカモコレノミガ唯一ノ現実ナラントハ」。

 強制注水により機関員数百名が藻屑になる。米軍の爆撃は、特攻とは対極の正確、安全第一のもので、記録者はこれを「スポーツマン・シップ」の如しと評する。

 記録者の至近距離に機銃掃射(近くの五人は死ぬ)、このとき既に乗組員は半減していた。

 もはやなすすべなく、みな銃撃に備えて身を伏せているだけだ。沈没時に逃げ出そうとしても、みな動かない。なぜか。

「戦闘中ミズカラノ任務ヲ持タザル者ニハ、カカル例少ナカラズ」とあり、皆恐怖に堪えているうちに生気を失ってしまうのだ。

「肉体ハナオヌク味ヲ保ツモ、真実ハ死人ナリ、形骸ナリ」。

 恐怖による発狂と似た種類の症状ではないだろうか。

 通信不能に陥る、「巨人ソノ耳、口ヲ失イテ何ヲカ為スベキ」。巡洋艦矢矧沈没、司令官逃げ出す。残った護衛艦は「冬月」と「雪風」のみ、「屈強ニ艦、ソノ名ヲ賭シテノ力闘ナリ 想イ見ルベシ 両艦、兵一員ニ至ルマデノソノ闘魂ト錬度トヲ」。

 ついに傾斜が大きくなり、沈没、中将は船と運命をともにするために艦長室にとじこもる。

 ――第二艦隊司令長官伊藤整一中将、御最期ナリ

 参謀長、「貴様ハ行カンデイイ 馬鹿ナ奴ダ」、副官は助かる。「遂ニ死ノ軍門ニ下ルカ」、大和での死を受け入れようとする記録者と、「声」の対話、「ミズカラヲ裁クカ アヽ 愚カ者 死臭ニ捲カレツツミズカラヲ裁クトハ コノ時ニ及ビナオミズカラヲ欺クトハ」

 身体を船に巻きつけようとすると森下参謀長に殴られる、「何ヲスルカ、若イ者ハ泳ゲ」

「カカル大艦ニテハ、半径三百米ノ圏内ハ危険区域ナリトイウ」、渦巻きの発生で大抵は助からないようだ。大和は轟沈し、生き残ったものは少数。

「ナムアミダブツ、ト二度言ッチマッタヨウナ気ガスル 念仏ノコトナンカ考エタコトモナカッタガ」記録者はその後「冬月」に救助され、佐世保に帰港する。

 

 あとがきより、この作品ははじめ戦争肯定の文学ととらえられ批判された。

 ――戦没学生の手記などをよむと、はげしい戦争憎悪が専らとり上げられているが、このような編集方針は、一つの先入主にとらわれていると思う。戦争を一途に嫌悪し、心の中にこれを否定しつくそうとする者と、戦争に反撥しつつも、生涯の最後の体験である戦闘の中に、些かなりとも意義を見出して死のうと心を砕く者と、この両者に、その苦しみの純度において、悲惨さにおいて、根本的な違いがあるであろうか。

 無益のことでも、肯定しようとすることこそ自然であるだろう、と彼は言う。

「このような昂りをも戦争肯定と非難する人は、それでは我々はどのように振舞うべきであったのかを、教えていただきたい。我々は一人残らず、招集を忌避して、死刑に処せられるべきだったのか」。

「戦時中のわが言動の実態を吐き出すのではなく、逆に戦争にかかわる一切のものを否定し、自分を戦争の被害者、あるいはひそかな反戦家の立場に仕立てることによって、戦争との絶縁をはかろうとする風潮が、戦後の長い期間、われわれの周囲には支配的であった」。

 

 吉田満にとって大和とは「日本民族の栄光と転落の象徴」である。

 戦争をした日本人と現代の日本人は同心同体である。人間は急激に賢くなれるわけではない、賢くなったつもりにはなる。

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)