うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

仏作って魂入れず ――『軍法会議』

 軍法会議は軍隊の規律を維持し軍組織内における犯罪を取り締まるための制度である。

 しかしその運用が適切になされない場合、用をなさないか有害となる。

 自〇隊の法的な位置づけに問題があり、軍法会議が存在しないことが問題視されている。わたしはその説に同意するが、一方、日本軍の軍法会議運用は問題の発生源となっていた。

 

・陸士出身者はほぼ起訴されない

・法務官・法務将校の地位が低く、大半が指揮官・司令官の意向をうかがうだけの存在になっていた。

・そもそも軍法会議を通さない私刑(部下や隷下の憲兵隊を用いた射殺等)が多かった

 

 

 『軍法会議』(1974年)の著者 花園一郎氏は、東大卒業後兵役免除が終わり、当初主計将校として勤務した後、不足していた陸軍の法務官となった。

 南方戦線で職業軍人・キャリア軍人の横暴を目の当たりにし、本書を刊行したという。

 天皇は、自国の軍が本土防衛でなく侵略に加担していることをどう思っているのか、エリートがずさんな運営をしているせいで戦闘に負け国民の命と税金を無駄遣いしていることをどう考えているのか、といった怒りがこもっている。

 

 花園氏はネットでもほとんど情報が載っていないが、終戦後すぐに林野庁農林省)や経済企画庁で勤務したようである。

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 その他メモ抜粋……

 

 著者が大学を卒業し招集されたとき、父親が代議士・徴兵官(聯隊区司令官)と話をつけて、乙種免除にしようと口裏を合わせた。しかし著者は拒否したため、甲種合格となった。

 このような徴兵のがれの工作は意外と多く、特に大阪師団ははなはだしかったようである。国民皆兵は平等のごとくであって、実は裕福な子弟はその気になれば適当に免れていたのが実態である。

 

 招集軍人や下士官兵の敵前逃亡は厳しく罰せられた、あるいは私刑されたが、陸士出身者や将官の類似行為や、窃盗行為は多くが見逃された。

 

 フィリピン方面軍司令官黒田重徳中将は山下泰文中将と交代帰国の際荷物が多すぎて飛行機に積み切れず、お供の副官を別の飛行機に乗せる騒ぎとなった、とフィリピン大使の村田省三の日記にある。黒田中将は、戦犯裁判で、「私はフィリピン方面軍司令官としてフィリピンの防衛準備をしなかったので、米軍の侵攻に役だったと思う」という趣旨を述べたそうで、児玉誉士夫の獄中日記にある。

 

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