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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ナグ・ハマディ写本』エレーヌ・ペイゲルス その2 ――教会がつぶした初期キリスト教思想

 4 キリスト受難とキリスト教徒迫害

 正統派は、イエスが人間的存在であったこと、歴史的な出来事として磔刑をとらえるなければならないとする。一方、グノーシスでは、イエスは「神の子」でもあるので、かれの内なる神的霊は死ぬことがないとする。

 この強固な正統派の主張も、当時の現実世界と結びついている。

 

 ……信者たちは、彼ら自身の受難と死という差し迫った脅威をもたらす迫害に対して、どのように対応すべきであろうか、ということである。

 

 イエスのいた時代のネロ、その後のアウグストゥストラヤヌス時代を通じて、キリスト教徒は迫害の対象だった。被告がキリスト教徒を名乗った場合それが死刑となった。

 

 この判決は何の役に立つのでしょうか。なぜあなたはこの人を、姦夫でも、姦通者でも、強盗でもなく、まったく何の罪も認められないのに、彼がキリスト教徒という名で呼ばれていると告白したことだけで、処罰したのですか。

 

 多くのキリスト教徒が棄教を拒否し、斬首、火あぶりなどを科された。ローマ帝国の市民はキリスト教徒を追い回し、見世物にし拷問した。

 殉教者(martyrs)の本来の意味は「証人」であり、キリスト教徒を公言し処刑される人びとはキリスト教徒の証人だった。

 正統派は信徒の殉教を奨励した。

 

 さて、ある者ども(グノーシス派)がいうように、……もしキリストの受難がただみせかけだけのことだったとしたら、それでは何のために囚人となり、なにゆえに獣と闘うことを祈り求めるのでしょうか。もしそうだったら、私の死は無駄なのです。

 

 「キリストの人性のみが受難を経験し、その神性は受難を超えた」とするグノーシス派の考えは、殉教者たちを愚弄するものとして映った。

 迫害の時代を経て、各属州のキリスト教徒は互いに連絡をとり、その過程で教義の統一が進んだ。また、殉教においては、大規模な宗派にいるほうが、支配者の不正を訴える点で効果的である。

 

 イエスは霊的存在であるというグノーシス派の見解を拒否して、正統派は、彼も他の人間と同様に、生まれ、家族とともに生活し、飢え、疲れ、食べ、酒を飲み、苦しみ、そして死んだ、と主張した。……ここでもまた正統派の伝承は、身体的経験を人生の中心的事実として暗黙のうちに肯定しているのである。……はるかに多くの人びとが、グノーシス派の「身体不在の霊」という伝承よりは正統派の写実に共感を覚えたことは、何の不思議もないのである。

 

 もっとも、殉教に対する解釈は、正統派、グノーシス派ともに一様ではない。

 

 

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 5 真の教会

 教会の形態についてかれらは非常に異なる見方を持っていた。

 

 グノーシス派は信徒の霊的成熟を重視し、一種、空想的・非現実的な共同体を構想していたが、これは組織に無関心だったというわけではない。かれらは既存の教会すなわち正統派の教会を、明確に否定していた。

 一方、正統派は教会の制度化を進めていた。かれらにとっては位階制がすなわち教会だった。

 

グノーシス……教義・思弁・対話は真理にいたる道

・正統派……教義即真理

 

 正統派は、教義・典礼・聖職位階制を軸として、普遍的な、開かれた教会を目指した。グノーシス主義はこの3要素のいずれにも挑戦した。

 

 

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 6 グノーシス 神認識・自己認識

 『ヨハネによる福音書』は、聖典に入れられているが、グノーシス派の主要な根拠でもあった。

 なお、「I am the way and the truth and the life」はヨハネからの引用である。

 

 正統派とグノーシス派との根本的な争点とはなにかを考える。

 正統派にとって、人間は神とは別であり、人間は罪によって神から引き離されている。そして、信仰によってイエスの宣教を受け入れる者のみが解放を経験する。

 しかしグノーシスでは、人を苦悩に巻き込むのは、罪ではなく無知である。人は自己を探求することで自己認識を得ることで解放を得る。魂(プシュケー)それ自体のなかに、解放あるいは破滅の可能性がある。

 

 あなたがたがあなたがたのなかにあるものを引き出すならば、それが、あなたがたを救うであろう。あなたがたのなかにあるものを引き出さなければ、それは、あなたがたを破滅させるであろう。

 

 『トマスによる福音書』は、神の国の到来を実際の、歴史上の出来事と考える人びとを否定している。グノーシスは、「神の国はあなたがたの只中にあるのだ」とする。人間の解放は暦上の出来事ではなく、内的変容によって起こる。

 グノーシス派の教えは精神療法に似ている。イエスによる指導は必要であるが、それは手段としてであり、成熟すれば人はいかなる外的権威をも必要としない。 

 正統派はイエスの歴史的事実や預言の事実性を重視するが、グノーシスにとっては二義的である。

 

 グノーシスに達した者は、だれでも「もはやキリスト教徒ではなくて、一人のキリスト」になるのである。

 

 霊的修練についての教えはほとんど文書では残されていないが、それは仏教的な秘儀伝授に似ている。

 

 こうしたグノーシス派は組織としては消滅していき、一方、正統派は巨大な組織体系となった。

 

 宗教は、観念なくしては成功しえないけれども、観念だけでは強大にならないからである。同様に重要なことは、人びとを1つの共同関係に同一化して彼らを統合する社会的・政治的構造なのである。

 

 

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 結論

 キリスト教の歴史は勝者である正統派によって書かれたが、グノーシス派の文献を読むことで、我々は、2つの異なる思想が同じ根から生じていることを確認する。

 福音書を読めば、正統派とグノーシスとは、イエスの言葉の解釈をめぐる相違から生じていることがわかる。

 

 正統派はローマの政治的・軍事的組織をモデルとして採用し強固な団体となったが、グノーシスは集団としては消滅した。

 しかし、少数の人びと……ヤーコプ・ベーメ、ジョージ・フォックス、ウィリアム・ブレイクレンブラントドストエフスキートルストイニーチェらは、イエスの姿に立ち返り、教会制度に反抗した。

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 グノーシス主義を調査研究することは、キリスト教の成り立ちをより深く理解することにつながる。

 おわり

 

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 付属の解説

 本書の欠点……

 グノーシス主義の定義があいまいである。グノーシスの本質は、反宇宙的二元論であり、そこでは「造物主(デミウルゴス)」は負の評価を受けていなければならない。訳者の観点についてはほかの本を読んで調べる必要がある。

 また、キリスト教異端グノーシスだけでなく、より広い範囲(他宗教)も含むグノーシスの概要を知るべきである。