5
イスラームの勃興について。
アラブにはユダヤ・キリスト教が根付かず、部族の団結が主だった。部族は生き残りをかけて互いに抗争し、復讐の掟により安全を保障した。個人は部族に従属し、また男は責任をもって部族の弱者を保護した。
しかし、クライシュ族のムハンマドは、商業的に成功し、メッカで生活する中で、古い部族のイデオロギーが解体していく危機を感じた。
かれはユダヤ教、キリスト教も知らなかったが、あるときヒーラ山で啓示を受けた。
その後23年間にわたって啓示を受け、『クルアーン』(朗唱)にまとめられた。
・アラブ人たちは、ムハンマドの訴える神がヤハウェであることを知っていた。『クルアーン』における不信者(カフィール)とは、神に感謝しない者、神に対して恩知らずの者を指した。
・「イスラーム」の義務とは、平等な社会、貧しい者、弱者がまっとうに取り扱われる社会を創造することだった。よって、富は貧者に配分されなければならなかった。イスラームにおいては、神学的議論は「ザンマ」、不要な憶測として排除された。
・アッラーは超越的、非人格的であり、この世のあらゆる部分にしるし(アヤト)として顕れる。その最大のものは『クルアーン』である。
・ムハンマドらは、イスラームを弾圧しようとするユダヤ教徒、クライシュ族からの防衛戦争を行った。やがてムハンマドはアラビア半島を制圧し、礼拝の方向をエルサレムからカーバ神殿に変えさせた(キブラ)。
・イスラームにおいては、アブラハムとその子イシュメールが重要視される。アブラハム、イシュメール(イスマーイール)がアラブ人の祖であり、また最初の預言者、純粋な一神教の実践者である。
・イスラームの思想は社会的正義と平等だったが、時代を経て、ユダヤ教、キリスト教と同じく、女性蔑視の解釈が主流となっていった。
・カラーム(神学)の発展について……クルアーンの教えを忠実に守るべきとする伝統主義者の他、合理主義を取り入れたムータジラ派、アシュアリー派、神の非人格性、超越性を強調するハンバル派が生まれた。
・ムハンマドの甥アリーとその子孫を、指導者(イマーム)として信奉するシーア派は、もともと政治的に分裂した宗派だった。やがて、十二イマーム派、イスマーイール派等に派生していった。
シーア派の教えはアリーやイマームに神性を付与するもので、キリストの受肉と似た概念を持っている。神秘主義的傾向を持つため、インテリや貴族階級に支持された。
6
9世紀なると、ギリシア哲学がアラブ世界に輸入され、10世紀アッバース朝では科学や哲学が開花した。ファルサファー(哲学者)たちは、ギリシア哲学とイスラームを両立させながら、理論を発展させていった。
焦点となったのは、ギリシア哲学の論理性と、神の存在との折り合いだった。
代表的な思想家・哲学者たち:
・アル=キンディ
・アル=ファーラビー
・イブン・スィーナー(アヴィセンナ)
・イブン・ルシュド(アヴェロエス)……12世紀の哲学者。かれの合理主義的神学は、西洋に大きな影響を与えた。
12世紀、マイモニデスは合理的原理を用いて神を理解すべきと考えた。
11世紀の第1次十字軍をおこなった西ヨーロッパの諸王国にとって、神は軍神であり、イエスは封建領主だった。かれらは領主を殺したユダヤ人に復讐するため、大量虐殺を行った。
・9世紀、西フランクのエリウゲナは東方神学をラテン世界に採用した。しかし、教義をめぐって東西は分裂していった。
――……論争が明らかにしたことは、ギリシア人とラテン人が神についてきわめて異なった観念を進展させつつあったということである。……あらゆる点で、多くの西欧のキリスト教徒は、本当には三位一体論者ではないのである。彼らは、1人の神のなかの3つのペルソナという教義が理解不可能であると不平を言う。まさにそれこそが、ギリシア人にとっては、最重要の点であったということに気が付かないままに。
・シトー派の修道院長ベルナルドゥスは十字軍に説教し、異教徒虐殺を扇動した。
・トマス・アクィナス……13世紀、ギリシア哲学とアウグスティヌスの神学との融合を試みた。
・フランシスコ会ボナヴェントゥーラ
・ダンテ・アリギエリ
いずれの宗教においても、ギリシア哲学の神は、神秘主義によって克服された。
7
神秘主義は、神の人格化に対抗する動きという意味を持っていた。また、混乱と危機の時代には、神秘主義が人びとに受け入れられた。
非人格的な、神秘主義的な神を求める傾向は、特にユダヤ教、イスラーム教で盛んだった。
西洋の宗教画は、信徒に教訓を与え、理念・教義を伝達するためのものだった。東方のイコンは、瞑想(テオリア)の焦点であり、神聖な世界への窓を提供した。
イスラーム世界では、8~9世紀、宮廷の贅沢に反発した神秘主義者たちが原始的なムスリム生活に戻ろうと「スーフィー」運動を起こした。
アル=ガザーリーが神秘主義を正統と結びつけ、その後、12世紀には、スフラワルディやアル=アーラビーが哲学と神秘主義を結び付け、規範を確立した。
スフラワルディはイシュラク(照明)神秘主義の祖となり、いまもイランで実践されている。
アル=アーラビーは西洋にはその存在を知られなかったが、アラビア世界ではムスリムの神秘主義的な神概念に大きな影響を与えた。
12世紀から13世紀にかけて、多くのスーフィー教団(ターリカ)が設立され、教主(シェイク)が聖者としてあがめられた。
イスラーム世界では、カリフ制が崩壊し、モンゴルがイスラーム王朝を滅亡させていた。同様に、非イスラーム圏のユダヤ教徒も、キリスト教徒による虐殺に直面した。
こうした危機的環境においては、抽象的・思弁的な神ではなく、想像力と不安に訴える神秘主義的な神が求められた。
カバリストは、セフィロート(数えること)の逆さの樹図を用いた。かれらは隠れた神を「エン・ソフ」と呼んだ。カバラーにおける最大の文献は、13世紀、モーゼスによって書かれた『ゾハル』である。
西洋は東方正教やイスラームよりだいぶ遅れていたが、14世紀には神秘主義の流行があった。
エックハルト、大ゲルトルート、スーゾーなど。
――神秘主義は、脳髄的あるいは法律的なタイプの宗教よりもずっと深く心に浸透することができた。その神は、より原始的な希望や恐れや不安に語りかけることができた。それらの前では、哲学者の疎遠な神は無力であった。
しかし、西洋では神秘主義は根付かず、宗教改革を通して、さらに合理主義的な言葉で神をとらえ始めた。
[つづく]
神の歴史―ユダヤ・キリスト・イスラーム教全史 (ポテンティア叢書)
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