ナグ・ハマディ文書とは、1945年にエジプトで発見された古代キリスト教・グノーシス主義に関する文献である。
ナグ・ハマディ文書の内容……大部分はコプト語で書かれたグノーシス主義の文書52編で、著名なものに『トマスによる福音書』、『ピリポによる福音書』、『ヤコブのアポクリュフォン』等。ヘルメス思想の文献、プラトン『国家』の翻訳も含まれる。
その他の代表的なグノーシス主義文献…『マリアの福音書』、『ユダの福音書』
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序章
1945年12月、上エジプトのアラブ人農夫がナグ・ハマディ近郊でパピルス文書を発見した。
これらの文書は4世紀、キリスト教がローマを支配するようになった時代に隠匿された、グノーシス主義の文献だった。
グノーシス主義はイエスに関する秘密の伝承を提供しようとするもので、「認識(gnosis)」に重きを置く。かれらによれば、自己を認識することが同時に神を認識することである。
グノーシス主義は、当時は自らを異端とは認識していなかった。
・自己認識は神認識であり、自己と神とは同一である。
・イエスは神の子ではなく、人間と同等である。
初期の段階から、キリスト教は現在では考えられない多様性を持っていた、つまり分裂していたのである。こうした多様な信仰を異端にし排除したのが、2世紀のカトリックである。
文書発見以前の19世紀末から、グノーシス主義研究は盛んだった。グノーシスの定義は非常にあいまいで、学者によって様々だった。
現在に至るキリスト教の正統とは、一部の文書を選択したものに過ぎない。それは非常に恣意的なものである。
グノーシス主義には、次のような反正統的な思想が散見される。
・苦難、労働、死のすべてが人間の罪に由来するわけではない。
・神は父ならびに母であり、女性的要素も持つ。
・キリストの復活は象徴的に理解されるべきである。
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1 キリスト復活に関する論争
2世紀の正統的教義では、イエスは文字どおり、肉体的に復活したとされている(これを疑ったトマスに対しイエスは自身の体を触らせた)。復活を霊的・象徴的にとらえるグノーシス派などは異端とされた。
これは政治的理由による。ペテロは「復活の最初の証人」として、キリスト教共同体を創設し、聖職位階制度を確立する権利を得たからである。正統教会すなわちカトリックは、十二使徒のみが権威を授けられたと主張した。
つまり2000年近くも正統的キリスト教徒は、使徒のみが決定的な宗教上の権威を持ち、彼らの唯一の正統的継承者は司祭と司教であり、彼らの叙任は同一の使徒継承にさかのぼるという見解を受容してきた。
※ 十二使徒……ルカによる定義。ペテロ、ゼベダイの子ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、ヤコブの子ユダ、熱心党員シモン、イスカリオテのユダ
一方、グノーシスは、カトリック的な肉体復活を否定した。グノーシスはイエスの復活を幻視に近いものと考え、霊的直観が本質に触れたものとして尊重した。心のなかの目でイエスを見るものはだれでも十二使徒と同等の権威を持つとかれらは考えた。また、グノーシス派はキリストが一部の弟子に託した秘密も伝授すると主張した。
グノーシスは幻視や創造性を重視し、多くの創作的な文献をつくったがそれは正統教義を逸脱したものだった。
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2 一神教政策
2世紀に登場した信徒マルキオンは、旧約聖書の神と新約聖書の神とがあまりにかけ離れていることに気がつき、神は2人いると主張した。これは明確な異端であり当時の正統派たちによって退けられた。
グノーシス自体は必ずしも多神教的な思想を持っているわけではない。
2世紀の代表的なグノーシス主義者ヴァレンティヌスらは、神が唯一であることは肯定した。
では、なぜ当時の正統派――クレメンスやイグナティウス、エウレナイオス――は、これを異端として厳しく退けたのだろうか。
現代とは異なり、当時は、宗教と政治を明確に区別するという風習はなかった。正統派にとって教会は、神に代わって地上を統治する団体だった。ローマ帝国から反乱者として迫害されたのもこのためである。
神が天国において支配者、主、指揮者、審判者、王として統治しているように、地上においてはその戒律を教会の聖職位階制のメンバーに委任し、彼らが将軍として配下の軍隊を率い、王として「人民」を支配し、審判者として神に代わって指揮を執るのである。
……なぜなら、教会の位階制度の頂点に立つ司教は、「神の代わりに」統治しているからである。
一方、イエスの授けた秘儀、すなわち真の認識を重んじるヴァレンティノスは、正統派がいう神は、あくまで神のイメージ、「造物主(デミウルゴス)」にのみあてはまる特徴にすぎないとする。造物主とはすなわちイスラエルの神である。
グノーシス主義者が知ることは、創造主が自らの無知から、誤って主権を主張している(「我は神なり、ほかに神なし」)ことである。
グノーシスを達成することで神的力の源泉を認識し、自己を知り、自分の真の父と母を発見する。
グノーシスは、司教と司祭に仕えることを拒否する、心学的な根拠を与えるものにほかならない。いまや入会者は、かれらをデミウルゴスの名において地上を支配する「支配者にして権力者」としてみるのである。
グノーシスを知ることで教会の権威を超越できるというヴァレンティノスらの思想は、権威への不服従を促す危険な思想だった。
グノーシス派の教徒たちは、正統派の許可なく、極めて平等主義的な集会を行っていたという。かれらは聖職者と平信徒、男女の区別という階層秩序を廃した。くじ引きによる役職者の選定は神の意志を反映したものとされた。
正統派、グノーシス派ともに、政治的動機のために教義を弄していたわけではない。後のルターやパウル・ティリッヒと同じく、教義と政治は分かちがたく結びついていたのである。
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3 父なる神、母なる神
グノーシス主義における神はしばしば母としての性質を持っていた。神は両性の性質を保有し、あるいは、母は精霊として扱われた。
イスラエルの神、すなわちデミウルゴスは、母なる「知性」から生じたとする思想も存在した。
正統派では神は一切の女性性をはく奪されているが、これには実際的な理由がある。女性としての神を奉じるグノーシスでは、女性もより対等な立場にあった。
当時の正統派信徒は、グノーシス主義がしばしば「愚かな女性」をひきつけ、また女性に聖職者をさせたり、役割を持たせたりしていることを非難した。
女には、教会で話すことも、教えることも、聖餐を授けることも、男性のいかなる機能に参与しようとすることも許されない。――聖職につこうとする、などということは言うをまたない。
イエスの時代には女性は平等に扱われており、それはローマ社会や小アジア、エジプトでも同様だった。この時代には、女性は比較的自立しており、職業生活にも従事していた。例外として、ユダヤ共同体は女性を従属的地位に押込めていたが、2世紀には正統派がこうした態度を採用した。
女性の服従化の原因は、ユダヤ人の流入や中産階級の信徒増大など諸説あるが未確定である。
1997年、ヨハネ・パウロ二世は、「神は男性であるゆえに」女性が司祭になることはできないと改めて宣言した。
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[つづく]