うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『未完のファシズム』片山杜秀 その2 ――日本軍の精神主義の起源

 5 「持たざる国」の戦争

 ドイツ用兵思想の系譜……小モルトケ普仏戦争で従軍したモルトケの甥)の包囲殲滅戦略と、シュリーフェンの短期決戦主義が、日本陸軍に影響を与えた。

 ドイツ帝国軍から学んだ殲滅戦思想は、1928年改訂の『統帥綱領』や続く『戦闘綱領』で教義化された。

 その特徴は精神力に基づく包囲殲滅、独断専行、短期決戦にあった。

 

 提唱者である荒木貞夫、小畑敏四郎ら自身は、殲滅戦は弱い敵にしか通用しないとわかっていたが、それを表立って示すわけにはいかなかった。

 現在では皇道派に分類される小畑らは、日本の国力限界を認識していた。そのため、殲滅戦が適用できるのは……つまり「持たざる国」日本が戦えるのは満洲地方での「限定的対ソ防衛戦争」しかないと考えていた。

 問題は、皇道派が失脚した後、日本を「持てる国」に変えて、米国などの列強とも互角に戦えるとする統制派が軍を仕切るようになったことである。

 そのときに、精神主義的殲滅戦教義がそのまま対米戦に流用された。

 

 

 6 石原莞爾の世界最終戦

 田中智学の思想……法華経、日本主義、末法思想の融合。

 田中は、日本が大武力を持ってすべての国・文化を統合し、浄土を創ることができると考えた。八紘一宇は、田中の作り出した言葉である。

 石原莞爾は田中の国柱会会員となった。

 

 ――……つまり、「皇道派」と「統制派」に思想があるとするなら、「皇道派」は「持たざる国」でも「持てる国」に対してなお戦争をやり続けてしまえるほどの神がかった精神主義に関心があり、「統制派」は「持たざる国」を「持てる国」に近づけるための算盤勘定、経済運営に関心があるのです。

 

 とはいえ、統制派が合理的だったわけではない。

 

 永田鉄山……「持てる国」になるのは困難だが精神動員でどうにかできるのではないか。

 石原莞爾……「持てる国」にするため、全支那を取得しアメリカとの最終戦争に備える。最終戦争によって人口は半減するかもしれないが政治的に1つになり、仏国土が出現する。

 石原は満洲国にソ連式の統制経済を導入し、五カ年計画になぞらえた生産計画を実行したが、実績は上がらなかった。

 その後石原は軍から疎まれ、予備役となり、日米開戦時には高松行きの連絡船に乗っていたという。

 

 

 7 未完のファシズム

 著者は、明治憲法専制政治を抑制する要素があったと考える。その1つは権力の分散である。

・権限の弱い首相

・内閣とならぶ枢密院

貴族院衆議院

・軍

 

 分散されたシステムの裏で、実際に政治を動かしていたのは元老たちだった。このため、最大の欠陥は明治憲法体制の設計にあるとする。

 

 ――東條が独裁して勝手なことをしたというより、むしろ独裁したくても日本ではしようがないので困り果てた。そこで、せめて兼職でなんとかしようと思った。

   ※ 東條は最終的に首相・陸軍参謀総長陸軍大臣を兼務した。

 

 日本はむしろ純粋なファシズムの達成に失敗した、「未完のファシズム」国家だったと著者は解釈する。それは、東条おろしの過程や、東条でさえも軍を抑えきれない点から説明できる。

 

 

 8 「持たざる国」が勝つ方法

 『戦陣訓』制定者の一人である中柴末純を紹介し、「持たざる国」の精神主義、特に国粋主義思想について検討する。

 

 中柴の思想について。

 

 ――国民みんなが喜んで死ぬ。そんな国があってよいものか。しかし、これで「持てる国」も怖気づく。「持たざる国」にも勝ち目が出る。「金よりも体をつかってなんとかやってゆく」態度が、中柴によって究極的に推し進められたのです。

 

 かれにとってアッツ島の玉砕は作戦失敗ではなく成功、偉業だった。なぜなら玉砕できる軍隊をつくること自体が、「持てる国」に勝つための作戦だからである。

 もっとも、本人は第1次世界大戦の専門家であり、精神主義は大衆動員のイデオロギーに過ぎないとわかっていたと著者は分析する。

 

 

 9 「持たざる国」の最期

 中柴に代表される精神主義の代案として、どのような思想があったのか。

 陸軍中将酒井鎬次は、フランス勤務が長く、開明派とされていたが、合理性や近代化を説くので煙たがられて閑職に回された。

 酒井は軍の機械化、限定戦争が最善であると主張し、暗に大東亜戦争の失敗を指摘した。かれは東條とは犬猿の仲だった。

 満州事変を問題の根源と批判し、日本が総力戦体制にしっかりと向き合ってこなかった点を批判した。

 また、精神主義ではなく各人の創意工夫、発明を重んじる論者もいた。

 

 

  ***
 著者の結論

・日本は総力戦遂行の能力がなかった。生産力がなく、政治体制は挙国一致を阻むものだった。

・物的・数的裏付けなしの行動はやめるべきである。

 

 

 

  ◆参考

 第2次世界大戦時の各国のGDP

 Table data source: Harrison, Mark, "The Economics of World War II: Six Great Powers in International Comparison", Cambridge University Press (1998).

Military production during World War II | Military Wiki | Fandom

Country 1938 1939 1940 1941 1942 1943 1944 1945
Austria 24 27 27 29 27 28 29 12
France[1] 186 199 164 130 116 110 93 101
Germany 351 384 387 412 417 426 437 310
Italy[2] 141 151 147 144 145 137 117 92
Japan[3] 169 184 192 196 197 194 189 144
Soviet Union[4] 359 366 417 359 274 305 362 343
British Isles 284 287 316 344 353 361 346 331
USA[5] 800 869 943 1,094 1,235 1,399 1,499 1,474
Allied Total:[6] 1,629 1,600 1,331 1,596 1,862 2,065 2,363 2,341
Axis Total:[7] 685 746 845 911 902 895 826 466
Allied/Axis GDP:[8] 2.38 2.15 1.58 1.75 2.06 2.31 2.86 5.02

counted in billion international dollars and 1990 prices.

『未完のファシズム』片山杜秀 その1 ――日本軍の精神主義の起源

 

 本書の特徴は、日本軍(主に陸軍)が精神主義に傾倒し暴走した原因を第1次世界大戦によるものと分析した点にある。従来の、日露戦争で驕りが生じ、昭和恐慌期に過激化したという定説に異議を唱える。

 近代史、軍事史にそこまで詳しくないわたしのような読者も理解できるよう、柔らかい調子で書かれている。

 

 日本軍の現実離れした精神主義については、その程度や経緯について一ノ瀬俊也など他の研究者もテーマにしている。

 色々な研究やデータを確認するのがいいのではないかと考える。

 

 ◆所見

 当初、総力戦・物量戦を正しく認識していた陸軍が、なぜ神がかった精神主義に走ったかを、主に軍人や思想家の著作から検証する。

 重要なのは、精神主義の提唱者のほとんどが、第一次大戦や総力戦の知見を有するものだったということである。

 本書によれば、かれらは日本が「弱敵相手の限定的な戦争」しか戦えないことを認識していた。しかし、軍人としての立場がそうした弱腰を表明することを許さなかった。

 結果として、アメリカなどの強国に対しても、精神主義を強調することになってしまったという。

 

 本書では言及されていないが、ここにはもうひとつ日本の失敗がある。それは敵情報を正しく知ることができなかったことである。

・中国もまた、短期戦で勝てる弱敵ではなく、持久戦に持ち込まれた。

満州国設立は日本の生産力を高めるのでなく、中ソとの対立を深め、逆に国の地位を危険にさらした。

 

 ファシズム体制とされていた日本が、逆に国家統合ができず分裂していたという指摘は納得できる。陸海軍・内閣・宮中相互の対立は、日本に独裁者がおらず、全体主義が達成されていなかったことを示す。

 ヒトラー政権もまた組織対立が深刻で中世的と分析されているが、国家を破滅に導く政治体制は様々である。

 

 

  ***

 1 WW1

 日本は第1次世界大戦を対岸の火事としてしか認識しなかった。さらに、軍需景気により成金気分に陥り、必要な教訓を収集しなかった。

 徳富蘇峰によれば、日本が学び損ねたのは、国家総動員主義、総力戦体制である。英米自由主義も、ドイツ流国家主義も、いずれも総力戦体制の一種に過ぎない。

 ここで徳富が掲げているデモクラシーは、一君万民型の、全体主義に近い概念である。

 

 

 2 青島戦役

 1914年開戦とともに日英同盟に基づき日本はドイツ根拠地である山東半島・青島を攻撃した。担当したのは独立第十八師団(約3万人)である。

 青島要塞は1週間で陥落したが、そこで神尾陸軍中将が行った作戦は近代戦のものだった。

 

 ――歩兵突撃の時代は既に終わった、今後はひたすら火力の時代で、どれだけ砲弾を撃ち込めるか、大砲の数と性能と砲弾の補給量が勝負を決めるという、時流の先を行く認識が、日本陸軍にはきちんとあったのです。

 

 青島では新式の兵器……擲弾銃、榴弾砲カノン砲、航空機などが使われた。

 日本陸軍日露戦争で白兵突撃を敢行したが、それは物量や生産力が不足していたからで、本来兵器や砲弾があればそれを使おうとしていたのである。

 よって、青島の戦いが示すように、陸軍は初めから精神主義偏重だったわけではない。

 

 

 3 参謀本部の観察

 物量戦の時代を参謀本部は認識しており、戦後の宇垣軍縮も、歩兵を減らし兵器を近代化するものだった。
 フランスは第1次世界大戦当初、「超肉弾主義」に毒されており、塹壕も掘らずにひたすら行進することをよしとしていた。

 参謀本部は大戦直後に次のような冷静な観察報告を出している。

 

・大戦当初、英仏は非合理的な白兵突撃主義を採用していた。

日露戦争の白兵突撃は特殊事例に過ぎず、基本は火力と生産力、物量である。

・今後の戦争は歩兵突撃ではなく、科学力、生産力で決まるだろう。

 

 

 4 タンネンベルク信仰

 ところが、生産力・物量戦に対する認識が広まると同時に、タンネンベルク信仰――少数兵力の精神力をもって大軍を包囲殲滅する――が陸軍の中に広まっていく。

 タンネンベルクの戦いとは、ヒンデンブルク率いるドイツ軍が多勢のロシア帝国軍を破った戦いである。


 ――歴史の趨勢が物量戦であることは明々白々。しかし日本の生産力が仮想敵国の諸列強になかなか追いつきそうにない。このギャップから生じる軋みこそ、第1次世界大戦終結直後から日本陸軍を繰り返し悩ませてきたアポリアであり、現実主義をいつのまにか精神主義に反転させてしまう契機ともなったのです。

 

 陸軍は物量戦の現実に対応できないため精神主義に頼るしかなかった。

 

 [つづく]

 

 

参考:

 

the-cosmological-fort.hatenablog.com

 

the-cosmological-fort.hatenablog.com

 

the-cosmological-fort.hatenablog.com

 

the-cosmological-fort.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

戦時下の選挙と徴兵

 ◆戦時中の民主主義

 南北戦争開戦当初は、合衆国(北部)において、連合国(南部)派とみられる政治家等の拘留が行われたものの、戦争を通じて選挙や議会制は継続された。

 

 南北戦争後半の1864年の大統領選においてリンカーンは落選の危機にあった。

 北部の士気は低下し、南部との和平を求める声が民主党を中心に強まっっていた。この期間、カナダを拠点とする南部の軍人や活動家、また民主党州に潜伏する工作員らが北部での反乱を企てたが実現しなかった。

 退役していた北軍最高司令官ジョージ・マクレランが民主党和平派の支援を受けて大統領選に乗り出したとき、共和党リンカーンは敗北を覚悟していた。

 ところが、1864年8月にデヴィッド・ファラガットがモービルを、9月にウィリアム・シャーマンがアトランタを占領したことで、風向きは急変した。

 北軍の優勢が明らかになったことでリンカーンは大統領再選を達成することができた。

 

ja.wikipedia.org

 

 幾つかの州では兵士として従軍している市民が戦場で投票すること認めたが、これはアメリカの歴史でも初めてのことだった。北軍の兵士の70%以上がリンカーンを選んだ。 

 

 兵隊たちの多くは、和平よりも戦争継続(勝利)を選んだということだった。

 

 

 一方、カンザス準州では、南北戦争が始まる前に、政敵同士の武力抗争が行われていた。

 こちらは無法地帯であり、選挙制度は崩壊していた。

 

ja.wikipedia.org

 

 南部では、北部人3万人がカンザスに下ってきているという噂が広まり、1854年11月、大半はミズーリ州から「ボーダー・ラフィアンズ」と呼ばれた武装した奴隷制度擁護派の男達数千人が、州境を越えて準州内に入り、準州からアメリカ合衆国下院に送る代議院1名の選出を支配しようとした。登録有権者による投票は半数に満たず、ある場所では600人以上の投票者のうち合法投票者の数は20人に過ぎなかった。奴隷制度擁護派がこの選挙で勝利した。当時のカンザス準州には約1,500人の登録有権者がおり、その全てが実際に投票したわけではないのに、投票総数は6,000票以上になった。

 

 

 

 ◆悪名高き徴兵制

 建国理念として自由を掲げるアメリカでは、徴兵制は本質的に受け入れられないものだった。

 南北戦争中は、北部・南北双方で徴兵制が敷かれたが、どちらも様々な弊害を招き、特に北部の徴兵制は歴史的にも大きな失敗だったという(James McPhersonの本による)。

 

 

・徴兵は代人制や免除料金を設定していたために多くの徴兵忌避者を生んだ。さらに、徴兵に消極的な州は、各戸を訪問しての成人男子募集を行わず、正確な徴兵対象者数も把握していなかった。

 その結果、民主党地域では兵がほとんど集まらず、共和党地域から過剰に兵が集められる事態になった。

 

・金を受け取って代人として徴兵され、すぐに脱走してまた代人となる悪党たちが出現した。

 

・徴兵はそもそも自由と州の自治権を重んじるアメリカの建国理念に反しており、専制の兆候であるとして非難された。

 

・徴兵令は実際には志願を促進するのが目的であり、徴兵される前に志願すれば報酬を受け取ることができた。

 

・徴兵制が移民を利用しているという説は当時も今もよく唱えられるが、実際には徴募兵のうち移民が占める割合は多くない。

 しかし、南軍は北軍兵士のことを外人部隊だと思っていた。

 

・最終的に、徴兵された兵は少数にとどまり、またその練度も低かった。士気の高いものはすでに志願していたからである。その後、終戦まで戦闘を担ったのは開戦時に志願した兵たちだった。

 

 

 

 南部における徴兵制の発令は南部諸州に大きな不和や反発を巻き起こした。

 州の自治権や自由を重んじる連合国の理念からすれば、連合国政府(南部)が徴兵制をとることは原理に反する、専制的な動きだった。

 ジェファーソン・デイヴィス大統領やリー将軍は、ジャクソン流民主主義(自立した州の分権)を実現するために、ハミルトン流(連邦の強い権限)を用いなければならない矛盾に直面した。

 

 さらに、この徴兵制には多くの抜け道があった。

 金を払えば免除される代人制によって、金持ちの子息は徴兵を免れた。巷では「富める者の戦争を貧しい者が戦う」と揶揄された。

 特定産業の従事者もまた兵役を免除された。

 鉱山労働者、鉄道・道路工事人、薬剤師、教師、医療従事者、そして州の公務員は対象外となった。

 すると、学校を出た大量の卒業生が突如教師に就職し、またうさんくさい薬瓶を数個並べるだけの薬屋が町にあふれた。

 連合国政府による徴兵に反発する州(ジョージアなど)は、大量の公務員を新たに雇用し、徴兵対象外とした。

 

 

 

 ◆ワンチーム

 古今東西、非常事態には国民の異論や反対意見を封殺しようとする動きが生じる。

 厳しい判断が必要とされる状況で、全員がイエスマンになることは自滅行為である。

 

 また、いかなる非常時であっても地位を持つ人間のやることは変わらない。

 政治家や軍人の汚職腐敗はどこの国の歴史を読んでも必ず出現する。

 

 南北戦争中も、特に南部では政権が縁故企業を儲けさせているという非難が終始続いていた。

 細部は覚えていないが、イスラエル現代史も、戦闘と同じくらい、政治家及び軍人による汚職スキャンダルで占められていた。

 

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 ◆不服従

 『レオポルド王の幽霊』の中で、ベルギー国王によるコンゴでの非人道行為を告発したイギリス人が登場する。

 この人物はイギリス外務省で勤務していたアイルランド人だが、ベルギー告発の功績で表彰を受けたときも女王からの授与式を拒否した。

 その後、第1次世界大戦時にアイルランド独立運動に加担したとして処刑された。

 なぜこの人物の最期が記憶に残ったのだろうか。たとえ植民地や属領になっていても、下僕になることを最終的に拒否したからである。

 

 

King Leopold's Ghost

King Leopold's Ghost

  • 作者:Hochschild, Adam
  • 発売日: 2012/02/01
  • メディア: ペーパーバック
 

 

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『チリの地震』をまた買った

 ハインリヒ・フォン・クライストの本『チリの地震』が読みたくなったが手元になかったので買った。

 

 

 あらすじは細かく覚えていないが、大地震でパニックになった民衆が扇動され、まったく関係ない主人公とその子供がなぶり殺しになるというネガティブな話である。

 

 最初に読んだのは学校でドイツ文学の授業をとっていたときで、他にもビューヒナー『レンツ』など、不穏な本を読んで非常に面白いと感じた。

 

 いま日記を検索すると2010年に再度『チリの地震』を買った記録があるが、読んだメモがどこにも残っていない。

 〇〇隊員として集団生活をしていたためメモを保存しわすれた可能性が高い(当時、毎週末ネットカフェにこもってメモ帳を自分のメールアドレス宛に入力していた)。

 

 

 

 ◆無法者の系譜

 南北戦争中、カンザス準州ミズーリ州では、戦争を通じて凄惨なゲリラ戦が行われた。

 ミズーリ州は開戦後まもなく北軍に占領され、南軍はゲリラとなり抵抗した。カンザス準州には、北部・南部の双方からゲリラ部隊が現れ、主導を取ろうとした。

 奴隷制廃止主義者や北部派からなるJayHawkerと、南軍側に立つBushwhackerとが、相互に民間人虐殺、掠奪、放火などを繰り返した。

 特に有名なのはウィリアム・クァントリル(William Quantrill)と「ブラッディ」ビル・アンダーソン(William Anderson)で、両者とも本書ではサイコパスと判定されており、その周りにもヤンガー兄弟(Younger Brothers)やジェシー・ジェームズ(Jesse James)など、のちに世の中を荒らす無法者が集まっていた。

 

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