合衆国陸軍省情報部の出版していた部内刊行物「Intelligence Bulletin」(IB)を参考に、日本軍と日本兵の実像を考える。
精神主義、白兵戦一辺倒だったという定説は正確でないことを本書は示す。
狭いレベルにおいては、日本軍は合理性を追求していた。しかしその方針は、長期的には大敗北と人命損失を招くものだった。
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対日戦争の開始により、一部の米兵たちの間で「日本兵超人論」のような不安が広がっていた。米軍情報担当は、日本軍の実態を普及することで、こうした恐怖を払拭させる必要があると考えた。
同盟国の中国人と、敵国の日本人とは見分けがつきにくく、単純に人種差別的な扱いをすることができなかった。
日本兵の特徴……
・射撃が下手だが、集団射撃は統制がとれている。将校がいなくなると何もできない。
・負けそうになるとパニックを起こして逃げ出す。想定外の事態に弱い。
・銃剣道で「直突」しかやっていないため、捕虜との競技会では良く負けた。突撃を渋り、白兵戦を恐れる傾向が強い。
・食事の嗜好は米国人とあまり変わらない。
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非合理主義、精神主義の権化とされている日本軍とその兵隊たちの精神について。
・地方出身者はイデオロギーを素直に信じているが、都会の者はだまされておらず、またアメリカ文化にも親しんでいる。
・一番の動機は、部隊での体罰や仲間はずれへの恐れである。また、捕虜になれば故郷では生きていけないと考えていた。
ブーゲンビルの守備隊は士気を高めるために朝夕点呼時に「チクショー!」、「ヤルゾー!」、「ヤリマス!」、「センニンキリ!」という掛け声をかけるという命令を出した。
――「チクショー!」と絶叫する将校たちは真剣だったのか、上から言われて渋々やっていたのか。部下はそれをどうみていたのか。なんとも戯画的な帝国陸軍末期の姿であった。
米軍は捕虜獲得のために入念な心理戦と教育を行っている。
――米軍がここまで捕虜獲得にこだわったのは、いったん捕えられた日本兵捕虜は実に御しやすく、有用だったからである。
日本兵の給与は低く、地域の婦人連や在郷軍人会が家族の面倒を見た。捕虜になったと知れればこうした援助が打ち切られる。著者は、この慣習が、日本兵が投降を忌避した最大の理由と考える。
劣悪な医療体制について。
――「患者に対する日本軍の典型的な態度は西洋人には理解しがたいものがある。敵は明らかに個人をまったく尊重していない。患者は軍事作戦の妨げとしかみなされないし、治療を施せばやがて再起し戦えるという事実にもかかわらず、何の考慮も払われない」。
性病を軍の衛生問題として考えず、蔓延させた。
死んだ者には優しいが負傷者には総じて冷淡であり、撤退時には殺害した。
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太平洋戦争緒戦では、効果の低い夜間突撃や水際殲滅作戦をしていたが、やがて内陸部での迎撃と洞窟陣地作戦に移行していった。
内陸戦は米軍に対して効果を発揮したが、それは日本軍の過酷な人命軽視方針によって達成されたものだった。
・戦車に対抗する兵器が根本的に不足しており、そのことを中央も認識していた。苦肉の策として、人間地雷(穴を掘って地雷を抱えて埋まり、戦車が上に来たら爆発させる)等も考案された。
・日本軍は総じて戦闘機械(火砲、戦車)が足りなかった。
・狙撃兵を木の上に縛り付けて、死んでからも米軍の弾薬を消費させた。
・硫黄島、沖縄戦は、現地の将兵たちが考案した持久戦術の集大成だった。
・しかし、本土決戦では従来の玉砕・銃剣突撃・水際殲滅作戦をしようと中央は考えていたようである。関東平野では洞窟戦術等もあまり役に立たないと予想されていた。
・戦線が本土へ近づくほど、逆に食糧事情や補給体制は良くなっていたという。
・日本軍は、中国戦線では毒ガスを使用していた。対米戦では報復を恐れて用いなかった。
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IBの資料より。
――日本軍将校にとっては体面と志操の維持が最も重要であり、それゆえ空想的な英雄気取りとなりがちである。
著者の主張は、日本軍は一面的にファナティック、非合理的、学習能力皆無だったわけではなく、戦力と状況に併せて戦術を変更していった。
また、敵に損害を与えるという目的に基づいて合理的な手段(人間地雷等)もとっていた。
ただし、それが日本軍の失敗を正当化するものではないと強調している。