うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

よみがえる水文

 シャチの腹には
 船底でつけられた
 港の景色がある

 
 沿海州の、冷たい氷の上に
 赤い葉が落ちて
 流氷の、隆起していくのに
 あわせて
 溝は落ち葉を吸った

 
 シャチの子たる神学校の
 生徒たちが
 外套をかぶる
 雲の山に
 照準を向けながら

 
 外国人墓地
 海の胴体は並べられて……

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『ドクトル・ジバゴ』パステルナーク

 ロシア人文学者パステルナークは、海外詩の翻訳者、詩人としても有名とのことである。本作『ドクトル・ジバゴ』はソ連において発禁となり、パステルナークはその後ノーベル文学賞を受賞したがソ連当局の反対により辞退させられた。

 物語は映画版とそこまで変わらないが、登場人物たちの思考が細部まで書かれている。

 無秩序と暴力のなかで生きようとする人びとが本作の主眼である。

  ***

 日露戦争時代から始まり、社会が徐々に崩壊していくロシアの様子が描かれる。

 主人公ユーラやその家族を含めて、どのような宗教や思想を拠り所にして生きていくべきかを常に考えていた。

 ――……もし人間のうちに眠っている獣性を抑止できるものが、現世の牢獄であれ、死後の応報であれ、ともかくも脅しであるとしたら、人類の最高の鑑となるのは、自己犠牲の道を歩む伝道者ではなく、鞭を手にしたサーカスの調教師だということになる。ところが、ここで肝心なのは、幾世紀にもわたって人間を動物の上に立たせ、無限に高いところへまで導いてきたのは、けっして棍棒ではなく、音楽でこそあった、ということです。

 

  ***

 第1次大戦はロシアの人びとの生活を変えてしまった。ジバゴも軍医として派遣され、革命により自宅に戻ってから、一家で地方に疎開することになる。

 各地の革命家、ボリシェヴィキ党員たちは荒唐無稽な哲学を振りかざし社会制度を転覆させていく。

 列車による旅の風景が描かれる。苛烈な赤軍の行為や、若い革命家との談話について。

 

 革命家ストレーリニコフについて。

 ――一方、善をなす人となるためには、彼はあまりにも原則的で、本来が無原則なものである心情に欠けていた。心情はもともと一般論を認めることがなく、あくまでも個別にこだわるものであり、小をなすがゆえに偉大なものなのだ。

 

 映画では学生時代からの革命運動家として描かれていたが、原作では個人的な信念から赤軍に参加した非党員である。

  ***

 ジバゴはパルチザンと行動をともにし、凄惨な戦闘や拷問、発狂の風景を目にする。その後、ラーラという愛人と再会する。

 

ドクトル・ジバゴ〈上巻〉 (新潮文庫)

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ドクトル・ジバゴ〈下巻〉 (新潮文庫)

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「天国の日々」

 制作:1978年

 監督:テレンス・マリック

 Days of heaven

 兄・妹・兄の恋人の3人組がテキサスの大農場にやってきて、季節労働者として働く映画。

 映画の見どころは農場の風景と夕暮れ、朝方の景色、風情のある農具である。

 風光明媚な麦畑で働き、夜はキャンプファイヤーをする等、楽しそうな生活にも思えるが、労働者たちの実態は悲惨だった。兄はみじめな生活から抜け出すため、恋人に対し、農場主との結婚をすすめた。世間知らずの病弱な農場主は、相手が金目当てであることに気が付かない。

 大農場での季節の移り変わりと、貧しい生活をしながら脱出しようとする人間たちを描く。リチャード・ギアとその妹、ギアの恋人たちは皆、あてもなく放浪する。

・曲芸師たち、第1次大戦の影、イナゴ(正確にはバッタ)の襲来と火炎地獄

 

天国の日々 [DVD]

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たとひわれ死のかげの谷を農王系 15 途方もない網

15 途方もない網

 

たとひわれ死のかげの谷を農王系 - 15 途方もない網

 

 

たとひわれ死のかげの谷を農王系

たとひわれ死のかげの谷を農王系

あらすじ……

 石英の星の下に生まれたわたし、ナーナーが農王系に拉致され、教育戦を指揮し、敵を亡ぼす物語

たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも禍害(わざはひ)をおそれじ

コデックスとともにあり

 

『Moscow 1941』Rodric Braithwaite その3

 工場が閉鎖し、また食料配給も止まったため、労働者たちの不満が蓄積した。市から逃亡しようとする工場長や幹部たちを労働者がとらえ、車両や荷物を破壊し、市内に連れ戻した。

 市内の恐慌を知らされたスターリンは外出禁止令を発し、また工場や商店を通常通り営業させた。NKVDや自警団、警察の取り締まりによりモスクワの秩序が戻った。

 ベリヤはこのとき、多数の囚人を射殺した。数百人以上が処刑された。

 

 一方で、党幹部、科学者や理系学生、作家、芸術家たちの疎開は早くから始まっていた。アルマ・アタ、サマルカンド、アシハバード等、職能ごとに疎開が行われた。

 モスクワにはドイツ人が多数住んでおり、市民から尊重されていた。独ソ戦が始まると、かれらは強制移住させられた。

 

 11月までには200万人ほどがモスクワを離れた。

 秋が深まるにつれてドイツ軍の状況が悪化した。

 11月、スターリンは地下鉄において演説を行った。また、アルテミエフ(モスクワ軍管区司令官)、シニロフSinilovらモスクワ防衛の指揮官に対し、例年どおり11月7日革命記念パレードを行うよう命じた。パレードは成功し、市民と兵士は一体感を味わった。

 劇場や音楽会も、爆撃を恐れず平常通り実施された。こうした士気高揚は成功し、やがてソ連軍反撃の起点となった。

 

 本書においてジューコフは、スターリンの顔色を伺う狭量な指揮官として描かれている。

 STAVKAの高級軍人たちは、スターリンに歯向かうよりも、部下に無謀な命令を下すほうを選んだ。

 12月にはドイツ軍は完全停止し、赤軍の抵抗が始まった。それでも、全面的な反撃にはまだ戦力が不足していた。

 軍とNKVDによってパルチザン部隊の訓練が行われ、敵の後方、占領地で活動をおこなった。ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤはドイツ軍に処刑されたパルチザンの英雄として、ソ連社会で度々取り上げられた。

 多くの成人が前線や工場に働きに出たため、1941年の犯罪の4割が子供によるものとなった。

 

 1942年初めのスターリンによる反撃命令はほぼすべて失敗した。しかし、ドイツ軍の進軍は停止した。その後、スターリングラードセバストポリ、クルスク、バグラチオン作戦と、赤軍はドイツ軍に対し勝利を重ねた。

 ドイツ軍の死者の7割以上が東部戦線だった。第2次世界大戦はソ連勝利だったとスターリンらが考えてもおかしくはない。

  ***

 モスクワの戦いは、ドイツ軍が無敵ではないことを証明した。

 スターリングラードレニングラードオデッサセバストポリが、英雄の街として名誉を与えられたのに対し、モスクワは、初戦の敗北、つまりスターリンの失敗と結びついていたため、その後も冷遇された。1965年、ようやくモスクワは英雄の街となった。

 ジューコフスターリンに危険視され、冷遇された。フルシチョフ時代に一度復権するが、またしても追放された。

 ロコソフスキーはポーランドの出自に目をつけられ、ポーランド統治を担当した。

 

 大戦におけるロシア人とフランス人との違いとして、マルク・ブロックは指導者を原因にあげた。フランスの指導者たちはパリを死守するという意欲に欠けていた。一方、スターリンは無慈悲な命令によってモスクワ死守を貫いた。

 本書によれば、「ロシア人たちは社会主義のためではなくロシアのために戦っているのだ」と、スターリンも認識していたという。

  ***

 ドイツ軍の侵攻と、スターリンの支配に苦しみながら生き延びたロシア人たちの災難は想像を絶するものである。

 それでも、かれらの一部は、独ソ戦時代が最も輝いていたとコメントする。

 ソ連崩壊まで生きた老人は、「われわれはみな勝利を信じていた。(ソ連の崩壊する)今日ほど、辛く、孤独に感じたことはない」と嘆いた。

  ***

 ◆メモ

 ヒトラーの失策(作戦に口を出す)も有名だが、スターリンも負けず劣らず、間違った戦争指導を連発している。それでも最終的に勝利したのは、何が原因だろうか。

・動員能力、生産量

・同盟国からの支援

・気候

赤軍の能力

・ドイツ側の失敗

 

 ※ コーカサス史に関する本『The Ghost of Freedom』では、同民族であるグルジア人のひとりが、スターリンに関して次のようにコメントしている……「スターリンコーカサス人らしさはない。かれは家族や友人を大切にしないし、自己の責任から逃げ、失策を人に押し付ける恥知らずだからだ。またかれはコーカサスに何の利益ももたらさなかった」

Moscow 1941: A City & Its People at War

Moscow 1941: A City & Its People at War