うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『アメリカの反知性主義』リチャード・ホーフスタッター その3

 第三部 民主主義の政治

 建国の父たち(founding fathers)はみな知識人である。

 「しかし、合衆国が知識人によって建国されたことは、あとからふり返ると皮肉な話だった。その後の合衆国の政治史を通じ、知識人はたいていアウトサイダーか従僕かスケープゴートでしかなかったからである」。

 トマス・ジェファソンにたいして、「指導力に欠ける哲学者・文人・知識人である」との批判がなされた。

 十九世紀になり、庶民への初等教育の普及が重視されると同時に、高等教育・高等文化へ疑惑の眼がむけられた。曰く、労働に必要のない古典研究、言語などは「働かなくても食べていけるものの道楽」である。

 だが、この大衆民主主義には欠陥があった。地位や格差を撤廃して、富裕階級や知識階級のリーダーシップを弱体化させた場合、指針はどこから出てくるのか。

 ――この一般庶民の英知を重視する傾向は、民主主義的信条を過激に述べるなかで、人民による一種の戦闘的な反知性主義となって花開いていったのである。

 彼らは政治問題を道徳問題と履き違えていた。この傾向はジャクソニアン・デモクラシーの選挙運動で爆発する。ジョン・クインシー・アダムズの代で知識人の価値は低下し、貴族出身ではないジャクソンがあらわれた。

 「アメリカ人は文明の発達が「人工的」なものであり、自国が自然から疎外されるのではないかと恐れていた。ジャクソンの支持者は、自然人の自然的英知の代表として彼を称賛したのである」。

 ニューオーリンズの英雄、荒野の寵児、原始主義のヒーロー。

 これは貴族政治と民主政治のあらそいだが、貴族は不毛な知性に、民衆は直観と行動にむすびつけられた。ジェントルメン(貴族ではないがヨーマンより地位の高い階級)の政治離れが進んだ。議員の柄が格段に悪くなった。

 ――下院は国家の動物園だった……品の悪さは目をおおうばかりだった。ウィスキーを飲んだり、痰を吐いたり、ナイフを振り回すことは当たり前だった……

 公務員は機会均等のためにだれにでもできる職務とされた。

 「ここに熟練と知性は、決定をくだしたり、管理をする権限から完全に遠ざけられたのである」。

 南北戦争は厖大な戦死者を出しただけで、リンカン、グラント政権はひきつづきジェントルマンや知識人追放をおこなった。

 「『ネーション』誌とハーヴァード、イェール両大学は、現代の野蛮卑俗な風潮の侵略を防ぐ唯一堅固な防壁だと思われる」。

 ヤンキーやニューヨーカーの、育ちの良い改革者たちは、教育と知性と、公共奉仕への情熱をもっていた。宗教は上流階級に支持される会衆派、ユニテリアン、監督派などだった。だが「彼らには友人がほとんどなく、味方はまったくいなかった」。金権政治が蔓延した。

 ――公務員制度改革はジェントルマンの階級的争点であり、アメリカ政治文化の試金石だった……。

 改革者たちは、試験によって幹部を教養ある階層のなかから、事務職を一般市民のなかから選定する制度を唱えた。だが、職業政治家たちは、これが地元民を追いやり、大学出の坊ちゃんを優遇するものだとして非難した。

 「現実は道徳や理想、教育や文化の領域ではなく、実業や政治という、きびしく男らしい領域なのだ」。

 「政治でいかに成功するかを本で学べると思う若者もいるでしょう。そこで彼らは、大学で教わるあらゆる腐った知識を頭に詰めこんでしまうのです」。

 文化は女々しいものだとされる。

 ――男性からは軽蔑され、女性からは嘲弄され、不毛、孤立、絶滅が運命づけられている人間……

 これを打開したのが、ジェントルマン出身でありながら騎兵隊や義勇兵とも交際する術をもつセオドア・ローズヴェルトだった。西部で荒っぽい生活を経験したこと、狩猟とスポーツに秀でていたことが、メディアの高評価につながった。知性・教育と男らしい行動力は両立すると彼は主張した。大学出身者とカウボーイの団結、米西戦争での活躍。

 政治機構が複雑化するにつれて、民主主義と専門職はお互いに歩み寄ることになった。ラ・フォレットは知性が政治的に有効でありうることを証明した。彼は大学時代の友人をブレーンとして結集させた。革新の意識が高まり、精神的なものへの見直しがはかられた。ルーハンはこの時代を「小ルネッサンス」と呼んだが、具体的にどの時代なのかよくわからん。どうやら第一次世界大戦前夜のようだ。学問的な専門職の技能が歓迎された。

 ウィルソンは革新主義を経ない、ふるいタイプの学者だった。はじめは労働問題や婦人・黒人問題などの社会改革に冷淡なため、知識人から支持を得られなかった。

 「ウィルソンが不戦を貫き、新しい自由が成果をあげていた一九一六年ごろになって、ようやくリベラルな知識人は全面的にウィルソン支持に傾いた」。

 ところがウィルソンや知識人が自制を失って戦争に加担すると、ふたたび反知性的反動がやってくる。

 アメリカ史は知性と反知性のあいだで揺れ動いてきた。大戦後、国民的英雄アイゼンハワー(その支持者ニクソンマッカーシー)は優れた知識人スティーヴンソンをくだす。だがケネディが再び文武両道のイメージを回復させた。

 ――知性と権力との関係に困難がつきまとうのは……権力と結びつくことも、重要な政治的地位から疎外されることも容易に受け入れられない――現代社会の一勢力となった知性は、この事実のために深刻で逆説的な問題に直面するのである。

 

 第四部 実用的な文化

 知識人と実業家は、つねに対立してきた。小説家の描く実業家は、たいてい愚鈍で無教養な俗物である。だが、カーネギーヘンリー・フォードのような文化英雄的実業家がいなくなったのも、実業家に一因がある。非人間的な巨大組織は彼らに暗い影をおとした。

 「かつては偉大な人間が財産を創り出したが、今日では偉大な組織がめぐまれた人間を創るのだ」。

 だが、知識人と実業家はアメリカでは奇妙な共生関係にある。ヨーロッパに比べて政府は文化芸術に関心を割かなかったため、パトロンは個人の実業家がつとめることがおおかった。

 芸術家は実業家を批判するが、これを援助することは実業家の道徳的な評価につながる。

 「彼らも精神的なものにある種の尊敬をいだいている」。

 実用主義は……「排他的かつ人間のほかの活動を軽視あるいは揶揄するものでないかぎり、非難に値するものではない……この国において精神的な問題を引き起こしてきたのは、実用主義を神秘化しようとする傾向である」。

 実用主義とビジネスはアメリカがもっとも関心のある分野である。ここには二つの基盤があり、ひとつは「過去への蔑視」、もうひとつが「自助と自己啓発という社会的倫理規範」である。過去のないアメリカにおいては、過去は実用性と独創性にかけるもので、大切なのは未来への技術ノウハウだった。

 ――そして多くのアメリカ人は、文明の真の成果は特許局にあると考えるようになった。

 ヨーロッパでは美的感覚を破壊する機械にたいして、つねに抵抗勢力が存在した。アメリカではホーソーン、フォークナー、メルヴィルソローなどがいるだろうが、孤立し、不必要の烙印をおされていた。トウェインは屈折した人物で、同時代の科学技術を信奉する一方これを風刺した。

 「アメリカでは強力な世襲貴族や国家の保護がなかったため、芸術や学問は商業によって得られた富に依存していた」。

 商人が文化に目を向けるかどうかが重要だった。

 「帆船時代には商取引のテンポは遅く、ビジネスの成功を追求することと品位ある余暇を送ることとは矛盾しなかった」。

 植民地時代のアメリカには、商業と文化をともに進展させようとする考えが主流だった。だが、彼ら知性や教養を重んじる実業家たちは、後世にこの生き方を伝えることができなかった。一八三〇年以降、商業の価値は低下し、手工業が隆盛した。

 「アメリカの経済も精神も、内に向かいはじめ、しだいに自足的になっていった」。

 ――アメリカ・ビジネスの非常に投機的な風土のなかでは、財をなすのも失うのも簡単だった。業務取引のペースは早まり、ビジネスはしだいに専門分化していった。
ビジネスは高度の文化ではなく高水準の生活を生み出すことによって正当化されるようになる。

 the self-made man、「たたき上げ」はアメリカの神話のひとつになった。自助の文学というジャンルがあったが、これは立身出世の人格開発をめざすものである。秀才・天才にたいする敵視が一般的になり、「宗教的なまでに経験を崇拝する傾向も強まった」。大学などに行くのは時間の無駄であり、はやくから生活の訓練をするべきだとされた。

 十九世紀になり、企業が巨大化、変質するとたたき上げの人間は消滅した。大学での実利的訓練が不可欠になり、各大学にビジネス・スクールが設立された。現在でも「ビッグビジネスにおける雇用や訓練では官僚的な昇進制度がものをいうことを、聡明な実業家はみな認識している」。

 ――こうした職業教育重視の傾向は、知性よりも人格――または人間性――を重視する傾向や、個性や才能よりも画一性や使いやすさを好む傾向と結びついている。

 農業における反知性主義……農業はかつてもっとも保守的な分野で、農民たちは農学や化学を軽蔑しては次から次へと耕作地を変えて土壌を荒らしていた。農業学校にもっとも強固に反対していたのは農民だった。数少ない農民出身の学生たちはみな工学に専攻を移していった。ローズヴェルト曰く「二〇世紀にはいるとまもなく、科学は農民大衆のあいだに革命を起こしはじめた」。農業と技術の結びつきには、一世紀がかかった。

 工業労働者……「労働運動の初期の歴史は、さまざまな徹底的な改革思想の満艦飾から始まった――土地改革、反独占、グリーンバック主義、生産者協同組合、マルクス主義、ヘンリー・ジョージの土地単一課税などである」。指導者ゴンパーズは、社会主義は不可能だと確信するにいたった。

 ――労働運動で実験を試みるのは、人間の生活に実験を加えることだ。私はこの点を理解できない知識人と手を組むのは危険だということに気がついた。

 知識人と労働運動が歩み寄るのは、ニューディールを待たねばならなかった。プロレタリア崇拝は多様な原始主義とむすびつき、知識人は白眼視された。アメリカでもこりかたまったプロレタリア文学がつくられた。だがこれは作家たちが共産主義から離れる原因となった。

 

アメリカの反知性主義

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