うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

日記:時間を売って働く生活 ――リモートワーク、ブルシット・ジョブ、ユンガー

◆無意味な仕事

 

人類学の研究者が書いた『ブルシット・ジョブ』という本を読んでいる。

本書で紹介されるブルシット・ジョブに従事する人の証言には、他人事とは思えない親近感がある。

 

ブルシットジョブは通常、「とても実入りがよく、きわめて優良な労働条件のもとにある。ただ、その仕事に意味がないだけである」。

シットジョブはふつう、ブルシットではなく、社会に必要不可欠だが、従事する労働者への待遇や報酬は非常に悪い。

 

わたしは、自分の人生の意味の大半を仕事から得てきましたが、いまの仕事には、なんの意味も目的もありません。

わたしがここにいなくてもなにも変わらないことや、わたしがいなければ無駄な出費がなくなることに、だれかが勘づいているのではないかとおもうと、いつだって不安でなりません。

……自分の仕事には何の達成すべき課題もないという事実と折り合うことが、仕事の中で達成できる唯一の課題であるというばあいのみじめさ。

……みずからの選択にまったく反して、自分が寄生者やペテン師となってしまった事態と向き合うよう強いられることの惨めさ……。

 

自分の仕事でも役に立っているものは、主に尻拭い、つまり会社内での不必要なまでに入り組んださまざまな官僚制的プロセスによって生じた問題を解決することである、と。おまけに会社それ自体がまったく無意味なのである。

 

昔働いていた自〇隊の勤務環境はいわゆるブラック職場で、不快な事象が多数あった。

最近はセクハラ・パワハラ・募集難問題が報道されているが、実態はさらにひどいもので、報道できないような下劣なものがたくさんある。

しかし、自〇隊に対しては恨みと同じくらい、勉強になった点が多々ある。自〇隊で働いていなければ今の自分という人格や人間は存在しなかったと思われる。


その後転職した会社は、労働環境や福利厚生などはいわゆるホワイト企業だったが、精神的には自〇隊のブラック労働異常に苦痛だった。自分もなぜなのかと不思議におもったが、明らかにこのホワイト企業の方が不快で苦痛だった。

その理由を分析した結果、やっていることのほとんどが無意味と感じていたからだと推測した。

無意味なことをやっているので、その業務内容を話したり、会社名を口に出すのが恥ずかしかった。今でも、この会社に属していたという事実は自分にとっては恥ずかしい事柄である。

 

 

◆時間制の奴隷

在宅勤務のおかげで満員電車の通勤がなくなり、引き続き快適な生活を過ごしている。

世の中は出社回帰の傾向にあり、この環境がいつまで続くかは不明である。

 

以前働いていた会社が在宅勤務を廃止したとき、様々な事象が発生した。

  • コロナ禍で駐車場を解約していたために、職員が出社しても駐車場がなく帰宅
  • 会議室用のビルを解約したため会議室がなく、各自が自席からリモート会議
  • 取引先がリモートのため出社して終日イヤホンをつけてZoom
  • 旗振り役の中年管理職は次々コロナでダウンし、しゃがれ声で自宅からリモート会議に参加
  • 対面のほうが仕事が進む、何らかのエネルギーが発生するという名目でリモートワーク廃止となったが、同じ部署内でも複数の勤務地に分離しており、また普段の仕事は海外法人が相手(海外法人はほぼ在宅勤務)

 

なぜ自〇隊で働いていたときは出勤&職場に缶詰めだったのに、不快に感じなかったのだろうか。

おそらく、現場に出ざるを得ないというのが理解できる職場だったからである。

しかし、上の箇条書きのように、出社の意義がほとんどないにもかかわらず出頭させられると、徒労感が増大する。

 

1日最低8時間を完全に会社に捧げる働き方は嫌だなと感じた。

幸い今の労働は特定の成果物を出すのが指標で、勤務時間に何をしているかは誰も気にしていない。これは運よくそういうところを見つけられたおかげであって、将来どうなるかは不明である。

 

エルンスト・ユンガーは次のように書いている。

 

時間を持つことは、空間を持つことより重要である。空間と権力と金は、時間が与えられないならば、手かせ足かせの桎梏である。自由は時間の中に潜んでいる――結局のところ、個々人は、時間の使い方の弁明を自分自身に対して行わなければならない。時間こそ、彼の財産である。

 

 

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◆おまけ

伊豆のきれいな海

 

 

◆悪党の一員であるという選択

自分の所属している会社が悪事を働いているとき、その会社で例えば食堂運営や設備管理等、悪事と直接関係ない担当として会社に所属しているとき、自分は悪い会社の一員として殺されても文句は言えないだろうか。

悪徳会社の末端に所属しているというのは自分の選択の結果である。

という状況になったら、どうしようかと考えている。

ドイツの絶滅収容所運営に関わっていた職員は、末端にいたるまで訴追されている。自分がそのような場所にとどまっているのは自分の選択であり責任を負う事項である。

 

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