イスラエルが、アメリカ政府の黙認のもと、実質核保有国になった経緯を描く本。
イスラエルでは軍による検閲制度があり、摘発された場合ほぼ確実に入国禁止となるという。
著者のセイモア(シーモア)・ハーシュは、ベトナム戦争におけるソンミ村虐殺事件や、イラク戦争におけるアブグレイブ収容所捕虜虐待事件を告発した記者である。
◆所見
A
アメリカの大統領府、CIAなどの情報機関は、イスラエルの核をどう取り扱うかに関して、官僚的な欠点を露呈した。
・ユダヤ系ロビーからの支援や、投票行動に影響することを恐れて、一部の大統領はイスラエル核開発疑惑を追及をしなかった。
・カーター大統領は「人権外交」、「核拡散防止」の業績造りに取り組んでいた。もう少しで業績を達成するというところで、イスラエルの疑惑をとりあげるのは、自分たちの政策にとってマイナスである。よって、疑惑を見逃した。
こうした事象は、生物兵器禁止条約をめぐる米ソのやりとりでも出現している(『細菌戦争の世紀』)。
締結間近の禁止条約が白紙に戻るのを恐れて、政権担当者はロシアの生物兵器疑惑を「聞かなかったことにした」。
政治家は、自身の功績をあげるために、現実を犠牲にすることがある。
「やってる感」というのがそれにあたる。
B
イスラエルとアメリカの関係は不変ではなかった。当初、生存の危機に晒されていたイスラエルは、米国との軍事同盟を熱望し、基地共同使用や軍事援助を求めた。
しかし、信用できないことがわかると、同じく独自路線をとるフランスや南アフリカと手を組み、核開発を決心した。
この核開発は、議会(クネセト)とは関係のないところ、一部の元老と軍高官らによって進められた。
イラクが繰り返していたと同様の査察拒否や虚偽報告を、イスラエルは戦後数十年にわたって続けてきた。イラクとイスラエルの違いは、米国内に政治勢力(ユダヤ系団体など)がいたかどうかである。
ある国家が核開発を決心した場合、これを止めるのは非常に困難である。特に、支援する国が存在し、他国に政治的基盤を持つ場合はそうである。
C
イスラエルは、最大の支援国であるアメリカの動向を常に警戒し、またアメリカに対し、強引に軍や情報工作員を浸透させてきた。第二次大戦中のイギリスがもっとも熱心に情報収集した国はアメリカだったという。
味方をまず掌握し、信頼に足るかどうかを判断することが重要と、軍や情報機関は考えている。
D
周りを敵性国家に囲まれたイスラエルは、常に他国の支援を求めてきた。
北朝鮮は日米以外のほぼすべての周辺国から援助されており、また北朝鮮の主敵は米国である。日本も核武装すればいいという単純な話ではない。
核武装を強行するイスラエルの姿勢は、絶対に見習うべきではない。
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1
画像偵察衛星KH‐11をめぐるアメリカ・イスラエルの協定について……イスラエルはこのとき協定を濫用し、米軍内に浸透していた。
入手した衛星画像を使い、1981年6月、イスラエル空軍はイラク・オシラク原発爆撃した。
・オシラク原発爆撃を受けて、イラクに核協力してきたフランスは激怒した。
・ベギン政権のアリエル・シャロン国防大臣は、信頼できない同盟国アメリカをスパイしようと決めていた。
・冷戦時代、イスラエルの核ミサイルはソ連に照準をあわせていた。
2
核開発の主導者たち……ベングリオン首相、補佐官シモン・ペレス、エルンスト・ダヴィッド・ベルクマン
かれらは生き残りのために、核が不可欠だと考えた。米の支援、仏との協力をもとに、原子力開発を開始した。
・ワイツマン研究所
・フランス・イスラエルの科学技術者交流
3
1955年、ベングリオン首相・国防相のとき、エジプトが軍備を拡大し、ゲリラ戦士であるフェダインを訓練していた。
フランスとイスラエルは互いに第三世界勢力と戦っており、協力することになった。
・1956年7月、ナセルのスエズ運河国有化に激怒した英仏イスラエルが軍事侵攻を行った(10月スエズ危機(第二次中東戦争))。
――イスラエルの核爆弾はアメリカに向けたものとわれわれは理解していた。アメリカを核攻撃するという意味ではない。決定的な状況でイスラエルを支援する意思がアメリカにないのであれば、イスラエル側から支援を要求し、答えがノーなら核兵器を使うと警告するわけだ。
・米ソの介入により英仏は撤退した。
――スエズ戦争でアメリカが得た教訓は何だろうか……。イスラエルが国家の安全に必要と考えていることに取り組んでいるときには、それを停めるのがおそろしく危険であるということだ。
・フランスのギイ・モレ首相と、ペレス国防次官、メイア外相との原子炉協定について。
フランスは1960年代半ばに核戦力を確立し、脱NATO、アメリカに向けて進んだ。
・イスラエルは、フランスの協力のもと、1958年、ディモナEL-02原子炉工事を開始した。
4
1957年から、アメリカはU2偵察機を運用し、ソ連の核施設偵察を開始した。
※ 情報関係者の基本原則……「上層部が望まない情報は、報告するなかれ」
ところがCIAは、画像偵察によりイスラエル・ネゲブ砂漠にあるディモナ核施設情報をつかんだ。
アイゼンハワーはイスラエルの状況に同情し、核施設を黙認した。かれはまた、ナセルの汎アラブ主義を警戒していた。
・核開発と米国武官の偵察……掘削と残土、武官の写真撮影と野草集め(放射能痕跡収集)
5
イスラエルにおいて核施設建設が始まったときの様子について。
・技術協力でやってきた傲慢なフランス人
・秘密保全機関と体制の整備
・国際都市ベエルシェバ
当時、イスラエル国内の核開発反対派は財政担当、通常兵器を重視する軍人、人材流出を嘆く産業界などだった。
6
1960年、イスラエルの原子炉建設記事がNYタイムズに掲載された。
ベングリオンは、核開発に関してクネセト(議会)軽視を続けた。
7
アメリカ原子力委員会(AEC)委員長を務めていたルイス・ストラウスは、核兵器管理・拡散防止に努めていたが、一方で、ユダヤ人としての出自から、イスラエル核武装を支持していた。
二重の忠誠心……情報機関ではユダヤ人をイスラエル担当につけないという。
アメリカ人職員は、ホロコーストの罪悪感から、一般にイスラエル核開発を黙認する傾向にあった。
8
トゥルーマン大統領、ケネディ大統領への、ユダヤ人利益団体・実業家らの資金提供について。
ケネディとユダヤ票の複雑な関係……ケネディ自身は、資金や票田はありがたいが、露骨に政策介入しようとするとしてユダヤ人を嫌悪していた。
フルシチョフ、ベングリオンは、ケネディを「未熟で若いただの政治屋」と感じた。
ディモナ核施設査察をめぐり、ケネディとベングリオンは対立していた。
9
1963年、ベングリオンが辞任し、民主的・核開発慎重派のレヴィ・エシュコル首相が後任となった。
ケネディが暗殺され、ジョンソンが大統領となった。
ジョンソンは議員時代からのユダヤ難民支援で有名だった。かれはイスラエルを支援し、武器売却を承認した。
[つづく]
参考
the-cosmological-fort.hatenablog.com