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・施設……テルノフ空軍基地核兵器貯蔵庫、ハイファ核兵器組み立て工場、再処理施設完成(1965)
・ジェリコミサイル(仏支援)
・イスラエルの核武装と、エジプト(アラブ連合)のソ連からの核兵器供与の懸念
――イスラエルはもちろん、アメリカ製の武器をさらに入手するためであれば、あらゆる手を使うつもりであった。しかし、自国の将来を守るうえでアメリカを「あてにする」つもりは毛頭なかった。
「サムソン・オプション」とは……
――サムソンは旧約聖書土師記の英雄。血みどろの闘いの跡、遊女デリラにだまされてペリシテ人に捕えられ、眼をえぐりだされて、ガザのダゴン神殿で見世物にされた。しかし、最後にもう一度、怪力を取り戻させてくださいと神に祈った。そして「わたしの命はペリシテ人とともに絶えればよい」と叫ぶや、神殿の柱を押し倒した。神殿は崩れ、サムソンは数多くの敵を道連れに死んだ。核武装推進派にとっては、サムソン・オプションとはマサダの悲劇を「二度とふたたび繰り返さない」ことであった。
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CIAは、ユダヤ人、親イスラエル職員を警戒するようになった。
・各国大使館ゴミ収集業者のCIAによる買収
・米国のイスラエル情報分析ミス
――この分析には、驚くほどの欠陥がある。イスラエルが核戦力の獲得を公表するか、少なくとも公式のルートで知らせてくるだろいうという大前提である。
・ジョンソンと政府首脳は、イスラエル核開発を黙認した。
・官僚たちの監視は無視された……イスラエル、南アフリカ、イエローケーキの輸入
※ 1967年6月 六日間戦争
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・ジョンソン政権、ニクソン政権の黙認
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・ダヤン国防相の推進
・モサドによるウラン鉱石購入(偽装会社を欧州で設立し、イスラエルに輸送する)
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CIAが核武装情報を報告したところ、ジョンソン大統領は激怒し、もみ消しを支持した。
正式に報告を受けてしまえば何らかの対策をとらなければならないからだ。
さらに退陣間際、ジョンソンは攻撃機F4をイスラエルに売却した。
※ 当時F4は核攻撃用途で使われており、三沢基地のF4もミサイル投下→離脱の訓練を繰り返していた。
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地下再処理施設について……
バヌヌ・リーク……モロッコ人技術者による核施設・核開発の全容リーク
※ ディモナは劣化ウラン加工施設も備えていた。
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1969年、ニクソンとキッシンジャーの登場……勢力均衡思想に基づく核拡散容認論。
政権・CIAは、核容認の方向へ忖度し、情報を握りつぶすようになった。
・1973年時点で、イスラエルは最低20発の核弾頭を保有し、搭載攻撃用F4はソ連核都市、アラブ各国都市に爆撃可能だった。
・訓練・保安体制の強化
・モシェ・ダヤンは軍・政府内での評価が低い……おしゃべり、女性関係、不正蓄財
・1972年、ディモナ責任者アハロン・カツィールが、ロッド空港において日本赤軍により殺害される
・1973年10月6日、ヨム・キプール戦争が始まった。シリア軍とエジプト軍がイスラエルを侵攻した。イスラエル(ゴルダ・メイア首相、ダヤン国防相)は窮地に陥り、核攻撃準備を行った。
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ヨム・キプール戦争時、10月8日の首脳会議……軍再結集、核攻撃準備、米国への通告と介入要請
キッシンジャーの戦略……
――イスラエルに勝たせること、ただし少しばかり血を流してもらうこと……
中東核戦争の懸念から、米国は武器弾薬供与を決心した。
米ソはイスラエルの核攻撃準備を知っていたため、双方が停戦に向かって働きかけた。
その後、イスラエルの核は再び米国・イスラエル間でのタブーとなった。
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濃縮ウラン回収企業NUMECのザルマン・シャピロに関する疑惑について。
イスラエルに濃縮ウランを横流しした疑惑は70年代を通じて取りざたされたが、実情は異なっていた。
――……ウランのほとんどは埋め立て場に埋まっているのではなかった。コンクリートの床に吸収され、換気ダクトに付着し、プラントの他の排水とともに地元の川に流され、大気中にばらまかれていたのだ。
シャピロは、水資源防衛と対テロ対策においてイスラエルに協力していた。水はイスラエルの弱点であり、常に水道テロの危険があった。
NRC(原子力規制員会)の焦り……スパイ疑惑が否定されれば、ウランが核施設から拡散するという環境汚染の事実を世間に知られることになる。
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1977年5月、リクード党のメナヘム・ベギンが総選挙で勝利し、より核武装に積極的な政権が誕生した。
ところが、核拡散防止に取り組むカーター政権は、ベギンの拡張策に気づかなかった。
――議会とホワイトハウスは要するに、イスラエルの核の問題を取り上げない理由について、軍縮担当者の口実をそのまま受け入れていた。つまり、イスラエルはもはや核拡散防止の対象にはならない、核がすでに拡散しているから……というわけだ。
孤立するイスラエルと南アフリカは、お互いに鉱石・武器売買・核実験で密接に協力した。
1977年、南アフリカ核実験は米ソ圧力でいったん延期された。
――またしても、情報が断絶したことになる。アメリカの官僚機構は条件反射のように、大統領にはイスラエルの核の問題を知らせないようにし、この情報に基づいて大統領が行動を起こさざるをえなくなる事態を避けた。
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1979年9月、イスラエル・南ア核実験を核探知衛星ヴェラが検知した。
この事件は、核拡散防止を掲げてきた、選挙前のカーターにとって打撃となる可能性があった。
官僚たちは、核実験を探知してしまった事実を、なかったことにした。
一方、核探知衛星ヴェラの技術者たちはもみ消し行動に激怒した。
政治的思惑(カーターの実績づくり)のために、核実験の事実は隠蔽された。
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ポラード……イスラエルの核スパイ摘発事件
・イスラエル軍参謀総長ラファエル・エイタンによるポラード雇用と大規模情報摂取
・ベギン首相とシャロン国防省による軍事同盟ブリーフィング……基地共同使用、画像衛星情報の共有
・1982年6月のレバノン侵攻
・アメリカは、イスラエルの核兵器情報分析を誤っていた。イスラエルの核兵器は予想よりはるかに進んでいた。
・イツハク・シャミルら親ソ派の台頭
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米国内のイスラエル・スパイについて
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湾岸戦争では、イラクが発射したスカッドミサイルに化学兵器が搭載されていた場合、イスラエルは核報復する準備を行っていた。
――イスラエルの核武装に対してアメリカ政府がとりつづけてきた態度は、本書でみてきたように、慇懃な無視の態度を超えている。現実を意図的に否定する方針をとりつづけてきたのだ。
核は最後の手段であるサムソン・オプションから、手段の1つへと変貌した。核利用は簡単にエスカレートするだろう。