イスラエルの情報機関モサド(諜報特務庁)の歩みや、特記事項を、ダイジェストで紹介する本。
紹介されるエピソードの大半は、冷戦時代のものである。非常に有名な話も多い。
イスラエルの国の成り立ちや国の方針は非常に明確である。この方針に入っていけない人は、とことん受け入れられないだろう。
序章
……モサドの工作員全員が共有しているのは、祖国に対する理想主義的な深い愛情と、国を生存させるための自己犠牲心と、さまざまなに予測されるリスクと究極の危険に直面する覚悟である。
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1970年代、アリエル・シャロンはパレスチナ人テロリスト殺害のために特殊部隊を作った。メイル・ダガン大尉らの所属する特殊部隊は、アラブ人に変装し、テロリストを見つけては殺害した。
ダガンはSS隊員にひざまずく祖父の写真を常に壁にかけている。
この写真を見るたびに、ナチスによる大虐殺が二度とおきないように、自分たちを鍛えて、国を守らなければならないと自分に言い聞かせている。
2002年、シャロン首相はダガンをモサド長官に任命した。その後、モサドはヒズボラ最高幹部イマード・ムグニエを暗殺し、またシリア原子炉を破壊し、イランの秘密核兵器開発計画を阻止した。
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1970年以降、イランは西側諸国やイスラエルを欺き、パキスタンの支援を受けて核開発を進めた。イスラエルの情報機関モサドにとっては失態だった。
1990年代以降、イランの核関連技術者暗殺が相次いだ。
核開発施設への妨害行為や直接爆撃が行われた。2010年には、アメリカとイスラエルによるサイバー攻撃作戦が行われ、スタックスネット(stuxnet)をイランの核施設に送り込み、遠心分離機を破壊した。
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イスラエル建国時、諜報業務は情報部が担っていた。やがてモサドが設立されると業務は移管された。
初代長官シロアッフについて。
独立戦争後のイラクでは、多くのユダヤ人が当局や民衆から迫害された。
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ハルエル長官はイスラエル情報コミュニティを整備した:
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フルシチョフのスターリン批判演説は当初秘密文書化されていたが、やがて各国の主要共産党幹部に配布された。
イスラエルの情報員がこの文書を入手し、西側諸国に発信した。
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アイヒマン逮捕について。
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アイヒマン捕獲作戦を実行している間、ベングリオン首相の要請で、モサドは別の任務にも着手した。
イスラエル国内の超正統派が、自身の孫を誘拐して育てようとしたため、世俗派と超正統派との抗争が発生していた。
モサドは、このままでは宗派をめぐってイスラエルが分裂してしまうと考え、アメリカに移送された孫の居場所を突き止め、奪還した。
超正統派(ハレーディー(Charedi Judaism, Ultra-Orthodox Judaism))は出生率が高く、イスラエル人口の中で徐々に割合を増加させている(21世紀半ばに40パーセントに達する見込み)。
- 近代的な教育に否定的で、非就労者も多い。生活補助を受けているが貧困層が多い。
- 兵役を拒否する。兵役をめぐって抗議デモが発生している。
- 性や女性の地位に非常に保守的である。
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1960年代、エジプトのナセル政権は、イスラエルに対抗するため長距離ミサイルを開発していた。
モサドは、元武装親衛隊のオットー・スコルツェニーと接触し、エジプトの技術者情報を提供するよう依頼した。モサドは、技術者たちを次々と暗殺した。
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エリ・コーヘンは、シリア人になりすましシリアに潜入し、政府や軍、与党の人脈を得て名士となった。
かれはシリア軍に関するあらゆる情報を入手し、無線でイスラエルに送信していた。
イスラエルのシリア攻撃の後、スパイ活動がばれて、拷問・処刑された。
コーヘンはイスラエルの英雄となった。
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略
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ラトビア空軍のヘルベルトス・ツクルスは、戦間期はリンドバーグのような冒険パイロットとして名をはせたが、第0次世界大戦がはじまると、ソ連にかわってラトビアを占領したドイツ軍に協力し、2万5千人のユダヤ人をリガ郊外の森で殺害したため「リガの処刑人」と呼ばれた。
かれは戦後脱出し、サンパウロで暮らしていたが、モサドが居場所を突き止めた。モサドはツクルスを、ウルグアイのモンテビデオで暗殺した。
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1972年、ミュンヘンのオリンピック選手村にパレスチナ人テロリストが潜入し、イスラエル選手9人を人質に取った。その後、西ドイツの作戦が失敗し人質は全員死亡した。
テロ組織「黒い九月」は、パレスチナのゲリラ指導者アラファトがファタハの秘密組織として編成したテロ部隊である。
当初、テロ部隊は、自国のテロリストを虐殺したヨルダン政権に向けられた。やがて1967年の第3次中東戦争を経て、テロ部隊の標的はイスラエルとなった。
ゴルダ・メイアは報復のために、テロリスト殺害作戦を命じた。しかし、多数の暗殺の後、黒い九月の首謀者と間違えて一般人を殺害したため、作戦は中止された。
さらに1973年、イスラエルはエジプト・シリア軍から先制攻撃を受けた。
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第4次中東戦争では、エジプト政権中枢にいるスパイからのアラブ連合軍侵攻情報を得ていたにもかかわらず、政府・軍は信用しなかった。かれらは、戦力の差があることから、エジプトが攻め込んでくることはないと思い込んでいた。
(略)
その他、イランやシリアの核開発責任者、ヒズボラの指導者等の暗殺について、またエチオピア・ユダヤ人の脱出計画について書かれている。