うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Black Flags』Joby Warrick その2 ――イラクのアルカイダがISISに引き継がれるまで

 

 

 

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当時USSOCOM司令官だったマクリスタルは、ファルージャザルカウィをとり逃したときのことを覚えていた。特殊部隊による家宅捜索は、イラク人にとって侵略者の闖入でしかなかった。

ザルカウィは、米軍の失敗とイラク人の憎悪を利用することができた。

マクリスタルは、イラク駐留米軍が占領統治に関して何1つ達成していないことを発見した。反政府勢力から押収された文書やPCなどは、空き部屋にただ積み上げられていた。

ja.wikipedia.org

 

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ザルカウィは、ヨルダンにテロリストを送り情報機関を爆破しようとしたが失敗した。

アブドゥッラー国王は、ワシントンD.C.での夕食会で、イラクの治安と女性の扱いが悪化している(※ フセイン政権は世俗政権だった)と話した。ところがホワイトハウス側から「そのような発言を公の場ですべきでない」と忠告された。

国王は、アメリカが異なる意見を封殺しようとしていることにショックを受けた。

 

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ザルカウィアメリカ人の青年企業家Nicolas Bergを拉致し、斬首ビデオを公開した。

www.theguardian.com

 

青年はお人好しな性格を利用され、戦闘員に拉致された。ビデオは衝撃を呼び、アブグレイブ刑務所虐待スキャンダルで毀損されていたイラク戦争への支持をさらに低下させた。米軍のイメージはもはやハイテク兵器ではなく、IEDと国旗に包まれた棺桶だった。

ja.wikipedia.org

 

 

ザルカウィは、ビンラディンに並ぶ国際テロリストとなった。

 

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バグダッドの西にあるラマディ(Ramadi)は、後にイスラム国の首都に指定されることになる都市である。米軍は基地内から出ないため、市街は無法地帯となっていた。米軍と接触を試みるものは殺害された。

ja.wikipedia.org

 

ラマディは外国人ジハーディストが支配するようになった。ザルカウィの周囲には、ならず者や犯罪者気質の者が多く流入していた。海外からやってきた青年は多くが自爆テロ要員となった。

無辜のムスリムを殺害する行為、また自爆テロに対して、ザルカウィのかつての師であるMaqdisiや、各国のスンニ派神学者が批判を行った。しかし、シーア派カトリックと異なり、スンニには中央集権的な権威がなく、ザルカウィは都合の良い解釈を採用することができた。

ヨルダン国王が主導した、テロリズム批判声明は、全世界の多数の神学者の支持を得た。一方、ビンラディンザルカウィの功績を認め、かれをエミール(またはアミール、組織の最高指導者)とし、イラクアルカイダに認定した。

 

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ビンラディンザルカウィは、2005年1月のイラク総選挙を破壊しようとした。アメリカは撤退時期を早めるため、是が非でも期日通りに実施しようとした。

爆弾テロや脅しにより、スンニ派住民がほぼ全員投票をボイコットした。スンニ派の間には、自分たち少数派が不利な扱いを受け、米軍がシーア派に肩入れしているという不満が高まっていた。

ザルカウィのアジトから押収した書類を分析した結果、かれは無学ゆえにコーランを都合よく解釈し、自分こそは古代の聖戦士の再来だと信じていることがわかった。アルカイダの副司令官ザワヒリは、ザルカウィに対し、シーア派の一般市民や人質の処刑は、民衆の支持を失うだけであると批判した。

jp.reuters.com

 

本家を超え、勢いに乗っていたザルカウィアルカイダはもはやフランチャイズではなく、「アルカイダ2.0」だといってよかった。

 

マクリスタルの特殊作戦チームは、Balad空軍基地を拠点に24時間体制での夜間爆撃・襲撃作戦、尋問、情報収集を続けた。マクリスタル自身も夜型シフトで勤務し、イラクアルカイダに息をつく暇を与えなかった。

「瞬きしない眼」と呼ばれたこの作戦は効果を発揮し、アルカイダは資金繰りやリクルートに支障をきたすようになった。

こうした状況のなか、2005年11月9日に、ヨルダン・アンマンでの同時爆破テロが発生した。

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サジダ・リシャウィはラマディ出身で、親族をイラク空爆で失い、現地でザルカウィ工作員に雇われ、アンマンに潜入した。彼女はアメリカ人や情報機関を攻撃したいと思っていたが、指示されたテロ現場はヨルダン人の結婚式場だった。

ヨルダン情報機関担当者はリシャウィを尋問したが、彼女はザルカウィと直接会ったこともなく、有益な情報も持っていなかった。

edition.cnn.com

 

スンニ派結婚式の女性や子供を狙ったテロによって、ザルカウィはヨルダンや他のアラブ諸国の支持を失った。またこの事件を機にヨルダンはより積極的な対テロ作戦に乗り出した。

 

2006年2月のサマラにおけるシーア派モスク爆破は、宗派間の戦闘を招き、1300人以上が死んだ。ザルカウィはイメージ回復のため自身のPVを作成しネットに流した。

シーア派民兵は、政府と協力してスンニ派に対し違法な拘留・拷問を行っていたことが判明した。イラクの内戦は本格化し、ブッシュは頭を抱えた。

 

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ヨルダン情報機関は、アメリカ人が見落としがちな微妙なアクセントや出身地をかぎ分けた。

マクリスタルのチームはヨルダン人と協力し、尋問によりザルカウィの居場所を突き止めた。空爆によりザルカウィは殺害された。

 

※ 閲覧注意(米国防総省公式サイト)

dod.defense.gov

 

3章 ISIS

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2011年2月、シリアの反政府デモに対し、アサド大統領は容赦のない武力鎮圧を行った。しかし当初、平和的な反政府デモは続けられた。アサド大統領は元々改革を指向していたがデモには非情な弾圧を行った。またかれは短気で有名だった。

ja.wikipedia.org

 

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抗議と鎮圧の過激化から、アサドの終わりは近いと考えられていた。しかし隣国ヨルダンの国王は、シリア問題は長引くのではないかと考えた。デモの当初、アサドは拘留していたイスラム過激派を釈放した。かれらが反政府デモ勢力に加担したため、「デモは過激派によるテロだ」というアサドの言説が正当化された。

 

イスラム国の成立:

ザルカウィの死後、特殊部隊による夜襲作戦やスンニ派の抵抗によりイラクアルカイダはほぼ壊滅状態となっていた。ザルカウィの後継組織は、バグダディ氏を指導者とし、「イラクイスラム国」と名称を変えたが、かつての勢いはなく、資源、戦闘員、拠点、大義に欠けていた。

シリア内戦の勃発は、衰退していたテロ組織を蘇らせることになった。

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バグダディはイスラム国の分派「アル・ヌスラ戦線」をシリアに潜入させ、カリフ国家建設活動を開始させた。シリアは内乱によって無秩序状態に陥っていた。この状況が、イスラム国に勢力拡大の機会を与えた。

ja.wikipedia.org

 

1971年生まれのバグダディは、イスラム法で学位をとり、学者を目指す無口で目立たない男だった。

イラク戦争はかれの人生を変えた。反政府組織に加わった後、2004年に米軍に逮捕され、Camp Buccaに拘留された。収容所には雑多な工作員や容疑者が詰め込まれており、過激派が教化とリクルートを行うのに最適の場所だった。バグダディはこの刑務所を「ジハード大学」だったと回想している。

眼鏡をかけた学者を米軍は危険度無しと判断し、10か月後に釈放した。

 

かれは「イラクアルカイダ」において、アンバル地方のシャリーアイスラム法)を担当する役職についた。ところが組織のナンバー1、2が米軍に殺害されたため、突如バグダディがトップとなった。

かれはイスラム法によってテロ組織の残虐行為を正当化することができた。またムハンマドの子孫であるBu Al-badri部族の生まれであり、「カリフ制国家の成立」という大義に信ぴょう性を付与することができた。

 

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2012年、アル・ヌスラ戦線がアルカイダの後継としてメディアに登場し、寄付を募った。アサドを敵視する湾岸諸国の富豪や政治家から大量の寄付があり、ジハードテロリストの資金源となった。アブドゥッラー国王は、過激派を支援する行為はやがて自分たちに牙をむいて返ってくると警告した。

ホワイトハウスでは、反政府勢力に武器支援すべきかどうかが協議されたが、オバマらは中東への新たな介入に消極的だった。パネッタ国防長官はこれに不満を持ちその後辞職した。

 

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2013年4月、バグダディはアル・ヌスラ戦線を廃止し、新たに「イラクとレバントのイスラム国the Islamic state of Iraq and al-Sham(ISIS)」への統合を宣言した。

一方、アル・ヌスラ戦線の指導者Abu Mohammad al-Julaniはバグダディの宣言を拒否し、アルカイダの指導者ザワヒリへの忠誠を表明した。

ja.wikipedia.org

 

ISISはイラク自爆テロを繰り返し、また複数の刑務所から元ザルカウィ組織戦闘員を大量に逃がした。かれらがISISに加わり、シリアの北部と東部に侵攻した。シリア東部のラッカRaqqaはISISに支配された。住民は細かいイスラム法違反で罰金をとられ、それが外国人戦闘員の給料となった。

ラッカからの秘密の報告によれば、戦闘員たちはレストランやネットカフェにおいて我が物顔でくつろぎ、薬局でバイアグラを買っていた。シリア反政府地域での人道支援を担当していた人物は、ISISが勢力を拡大していることを実感した。

 

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2014年春、ISISはイラクの都市ファルージャ、ラマディなど5都市を制圧した。イラクではマリキ首相のシーア派政権がスンニ派の弾圧を進めていたため、アンバル地方(イラク西部)のスンニ派部族DulaimがISISと連合し、政府軍を掃討した。

その後、バグダディの出身地サマラや、イラク第二の都市モスルも陥落した。

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2015年、ヨルダン人パイロットの焼殺動画は、元ザルカウィの師Maqdisiを含め多くの神学者や政府から非難された。しかし、ISISに志願する外国人や若者の勢いは収まらなかった。

jp.reuters.com

 

テロの温床となる憎悪は、宗教的な教えではなく、刑務所が生み出していた。

 

 

 

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